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白花天舞 05


握り締めた拳は、自分でも驚くほど冷たかった。
思考は凍りつき、声は喉に張り付いたように上手く出てこない。
最初から予測していたことだった。
『大国ザフト』を狙う国は大陸に数多ある。そして『神の国オーブ』を手中に収めんと企む輩もそれこそ数え上げれば枚挙に暇がない。
その二国の同盟である婚姻に何かしらの邪魔が入ることはわかりきっていたことではないか。
だからこそ本来ならば王太子の傍を離れることのない腹心の部下を使者として遣わせたのだし、歌姫に助力を願い国境の警備を固めていたのだ。
だから、こういう報告が来ることも予想していた。


できることなら何事もなく王都へ到着してほしかったのだが。
やはりそれは甘い考えだったらしい。


「アスラン」


歌姫の声が耳を打つ。
普段と変わらない優しい声。だがその響きはわずかに強さを含んでいて。


「――わかっている」


アスランは瞑目する。
乱れる心を落ち着けるように深呼吸を1つ。
焦ってはいけない。すべての布石は打ってある。
あとは信じるのみだ。
自分と――そして彼女の運命を。


一呼吸の後、アスランは視線を上げた。
知的な緑柱石の眼差しに浮かぶのは、確固たる意志。
鋭い声が高らかに告げる。


「ヤヌアリウスへ出立する!」








   ◇◆◇   ◇◆◇








鈍い痛みがイザークを覚醒へと促した。
まだ命があったのかと、気付かれないようにかすかに息を吐く。
声を上げずにうっすらと瞼を上げると、明るい室内が視界に入った。
大きな窓と、風にゆらめくカーテン。
てっきり地下牢にでも繋がれているものかと思ったが、どうやら普通の部屋らしく喜んでいいのか少し考える。
意識を集中するが、敵意は感じない。
見える範囲に見張りはいないようだ。
不可解なことだが、とりあえず自分にとっては都合がいい。
目線が低いのは床に転がされているせいだ。
背後に拘束された腕は軽く動かしてみてもびくともしないが、生憎骨に異常はないようで安心する。
身体を起こすことは可能だ。だが意識が回復したことを知られていいものか。
わずかに逡巡するものの、小さな声が聞こえてきてイザークは顔を上げた。


「イザークさん!」


足元にうずくまって泣いていたのはキラだった。
菫色の瞳が涙で濡れている。
どれだけ泣いたのだろうか、赤く腫れた目が痛々しい。


「キラ、姫…」


声を出そうとすると肺のあたりが痛んだ。肋骨をやられたらしい。
それでも起き上がろうと身をよじれば、慌てたキラが制する。


「動かないで! ひどい怪我をしてるの!」


突然海域に現れた船団は信じられない速さでキラの乗る船を取り囲んだ。
一小隊を率いているとはいえ近衛隊は陸上での戦闘が主だ。
精鋭を選んだつもりだが、圧倒的な数を前にして手も足もでない。
最初は海賊かと思った。ザフトの海域に海賊が出るという噂を以前耳にしたことがあった。
だがあまりの統制の取れた動きはその想定を覆させた。
他国の海軍だとわかった時には遅かった。
花嫁達をディアッカに託し、一人でも多くの敵を討ち取ろうとしたのだが――。


「ごめんなさい。僕が足手まといになって…」
「姫のせいではない。俺の采配ミスだ」
「ううんっ、違う! イザークさんは僕達を逃がそうと全力を尽くしてくれました。僕が…」


侍女の1人が臥せっていたせいもあり動きが遅かった。その侍女を人質に取られ、キラが彼女の代わりに人質の交代を申し出て――。
だが事情はどうであれイザークが花嫁を守りきれなかったということは事実だ。
あれほど頼まれていたというのに。


「すみません…」
「謝らないで。イザークさんは悪くないんだから」


ふるふると頭を振る少女の瞳から涙が零れて頬に落ちる。
ごめんなさいと何度も謝る少女が綺麗だと思った。
こんな状況で不謹慎だとは思うが、彼女が無傷だったことに安堵した。
侍女達は無事に逃げられたのだろうか。ディアッカに託したから大丈夫だとは思うのだが。


「くっ…」


身体を起こすと束縛された腕がひきつれて痛んだ。
思わず苦痛の声を漏らせば、キラが思い出したように顔を上げる。


「だから、動かないでください!」
「申し訳ないが…それは無理、です…」


可能な限りキラを救い出すべく行動する。
それが自分に課せられた使命なのだから。


どうにか半身を起こせば、そこは豪華な客室、いや――寝室らしかった。
天蓋つきの大きなベッドには薔薇の花びらがふんだんにちりばめられており、まるで初夜の準備のようだ。


(いや――)


よう、ではなく初夜の準備そのものなのだろう。
青ざめたキラの表情が、間もなく訪れるであろう状況を恐れているように見えるのも無理はない。
白と青を基調とした巫女服は線の細いキラにはとてもよく似合うけれど、身を守るには些か無防備過ぎる。
だが、相手側にどのような事情があるにせよ、キラが無傷であることは行幸に違いない。
奇襲の目的はキラなのだろうが、では何故彼らはキラを軟禁するだけに留めているのか不思議だった。
もっともイザークの身を質に取られれば、この心優しい少女が無謀な行動に出ることはないだろうが。
ザフトに敵対している国であれば、自分を殺さずにいるはずがない。
イザーク・ジュールという名前が持つ価値観を、イザークはよく知っている。
末の宰相と目され、皇太子アスラン・ザラの片腕としての知名度は、おそらく各国に響いているはずだ。
今回イザークが使者として同行していることを知らないということはないだろう。
それでも尚イザークを生かしているのは、おそらく相手にとって利用価値があるからなのか、それとも彼らの目的がそれ以外にあるのか。
結論は瞬時にたたき出される。


(目的は、オーブか)


『神の国オーブ』を欲した国は歴史上数多存在した。
豊富な天然資源は覇権を狙う国にとって大きな利益になる。
それを手に入れようと武力で制しようとした国がほとんどだが、そのどれもがオーブを囲む天然の要塞に阻まれ退散していった。
武力で制することは不可能、だからこそ狙いはザフトへ嫁ぐ姫君に絞られたのだろう。
そして、それは現時点で成功してしまった。
どうにかしてこの事態を回避しなければ、自分は勿論のことキラの身もオーブも危うい。


戒めている手を動かせば、左腕に鋭い痛みが走った。
白い軍服が血に濡れている。先程の戦闘で負傷した傷だ。
失血は少なくない。おそらく浅くはないだろう。
二の腕をきつく縛っているのは、白い布。ふと見ればキラの服の裾が不自然に破れている。
己の服を引き裂いてイザークの止血をしてくれたのだ。
痛みよりも己の不甲斐なさに眉を顰めれば、涙を拭ったキラの手が傷口に添えられた。


「キラ姫…?」
「静かに」


白い小さな手が傷口に触れる。失血のせいか冷えていた腕がかすかに熱を帯びていくのを感じる。
イザークは瞠目した。
体温と呼ぶには過ぎるほどの熱が傷口を包み、熱とともに痛みが引いていくのを感じて、イザークは目の前の巫女を仰ぎ見た。
次いで腹部へと手を当てられ、ややしてそこからも痛みが引いていく。
傷が癒えていくのだ。驚くべき速さで。
それが目の前の少女の仕業なのは疑いようがなく――。


「姫――」


信じられないといった様子で見つめれば、どこか強い眼差しの彼女が振り返った。
オーブの至宝と呼ばれた姫。そう呼ばれるのは彼女の持つ美しさのせいだと思っていた。
神に仕える巫女というのは、あくまでも儀式的なもので。祈りを捧げるための存在なのだと。
だが、この力は一体何なのか。


「これが、僕の持つ癒しの力」


驚くほど身体が軽い。
治癒能力は高位の僧侶であれば不可能ではない。
だがそれはあくまでも自己の治癒能力を高めるためのもので、今のキラのように傷を一瞬で癒すようなことはできないし、今までの文献の中でも読んだことがない。


「ハウメアの加護、ですか…?」
「さあ。気が付いたらできてたから」


キラはかすかに首を傾げる。
それが本当ならとんでもないことだ。
オーブはよくこの宝を手放したものだ。


「他に痛むところはありますか?」
「いえ…」
「それならよかった」


安心したように息をつく少女の様子にいまだ戸惑いつつも、イザークは自分の姿を見下ろした。
自分の両足を拘束しているのはただの縄。おそらく両手も同様だろう。
腰に佩いていた剣は奪われているが、足に感じる感触はなくなっていない。どうやら彼らは隠し持っていた暗器には気付かなかったらしい。
傷は先程キラが治してくれた。
これならばまだ可能性は残されている。
イザークはかすかに身をよじった。
イザークとアスランが幼いころから師事していた男は、少々変わった経歴の持ち主だった。
剣技は文句なく一流。体術も優れていた。
薬学にも詳しかった彼が、だが何よりも得意としていたのは暗器――暗殺用の武器の扱いだった。
彼の素性をイザークは知らない。
だが、代々王家の師範を務める教育係を差し置いて素性の知れない彼をアスランとイザークの師としたのは最高評議会だった。
形ばかりの剣技ではなく、生き残るための知識を叩き込むようにという評議会の命を、彼は忠実に実行した。
お陰で幼いころからイザークもアスランも生傷が絶えなかった。
命の危険を感じたのも一度や二度ではない。
よくもまああのような男に大事な息子達を預けたものだと、アスランと2人で自分達の親を恨んだこともあったのだが。
直情型のイザークは暗器に対して嫌悪を抱き、幼いころは散々ごねたものだ。
正々堂々と戦わずに勝ったところで、誰に誇れるのだと。
幼い正義感を、師と仰いだ男は否定しなかった。
確かに、暗器は騎士には向かない。
だが、彼は言ったのだ。いつか必ず役に立つときがくる――と。
物事を千里も見通すような彼のことを尊敬していないと言えば嘘になる。
反発もあったし、半ば本気で殺意を抱いたこともあったけれど、だが彼の言うことは常に正しかった。
そう、今がまさにその時。


ごき、という音がしてイザークの顔が苦悶に歪む。
キラが顔色を変えるよりも早く、イザークの両手を戒めていた縄がはらりと解けた。


「イザークさ…」


袖口に忍ばせてあった小さな剣を取り出し、両足を拘束していた縄を切る。
手首をさすりながら立ち上がった彼を驚いたように見上げる菫色の眼差しに、イザークは手を差し伸べる。


「さあ、参りましょうか」


捕らえられてからどれだけの時間が経ったのだろうか。
おそらくそれほど経過していないだろうが、それは大した問題ではない。
それならば、自分は目の前の姫を救出することにのみ力を注げばいいのだ。


イザークが知るアスラン・ザラという男は決して無能ではないのだから。


  • 07.04.25