神の国から花嫁が来る、という朗報に国中が沸きかえっていた。
並ぶものなき大国ザフト。その威光は大陸のみならず世界中に知られており、国民はザフト100年の繁栄を確信していた。
数十年前の戦争に明け暮れていた時代とは違い、現在の情勢は国民に戦争の脅威を抱かせることないほど穏やかで、それもみな君主パトリック・ザラの尽力の賜物だ。
小さな独立国だったザフト大国にまでのし上げ、更には国土をより豊かにしたパトリックは賢帝と呼ばれている。
大国を統治したパトリックがまず先に行ったのが国内の統治で、何十年もかかるであろう改革を彼はわずか数年で成し遂げた。
腐敗した貴族や僧侶の追放や軍規の改定など、短期間で国の情勢は見違えるほど変わった。
治安が安定すれば、国土は潤い経済は循環する。
ザフトの民は元々勤勉で優秀である。他国がいまだ領土拡大の戦乱に明け暮れている中、ザフトが経済大国として台頭するのは当然だった。
その根底には王家が国民を庇護してくれるという絶大な信頼があった。
それまでの王家といえば王宮から姿を見せず宴三昧。
国民から税金を搾り取るだけ搾り取って自分達だけが人間だとでも言うかのように横暴の限りを尽くしていたものだが、パトリックは違った。
腐敗と堕落を嫌い、厳格だが実直なパトリック・ザラは王宮内の腐敗を一掃すると、視察を称して気軽に王都に姿を見せた。
気軽に声をかけてくる国王に最初こそ戸惑ったものの、少数の供しか連れず国内を視察して回る国王に好感を抱かないはずはない。
その気質は息子であるアスランにも引き継がれており、彼もまたお忍びでふらりと王都へやってきては裏で暗躍する人買いや盗賊の取り締まっていく。
そんな王族に敬意を抱かないはずがなく、国民の王族に対する信頼は篤い。
そして、現在王都が常にないお祭り騒ぎになっている最大の原因が、王太子アスラン・ザラの婚姻である。
若干18歳にして国王の右腕となっているアスランはその手段もさることながら、端整な顔立ちで国民の――特に女性達からの人気が高い。
すらりと伸びた手足、隙のない身のこなしは優れた軍人らしく、国一番の美女と謳われた王妃レノアによく似た面差しはあくまでも端整。だが父王の威厳を受け継いだために脆弱な感はない。
宝石のように見事な緑柱石の瞳は理知的な輝きを放ち、きりりと結ばれた唇はやや神経質そうだがふわりと笑みを浮かべればそれも消える。
性格はザフトの国民性そのままに実直にして勤勉。
千里を見通せる視野の広さと、宰相に引けを取らない政治手腕。
国王パトリック・ザラにして『ザフトの寵児』と称されるほどの人物であるが、本人はそのようなこと気にしていないのか常に穏やかで、結果として国民からの支持は高い。
パトリックが拡げた国をアスランが統治し、その子孫が未来永劫にわたってザフトを安寧に導いてくれると国民は信じて疑わない。
そんな『ザフトの寵児』アスラン・ザラの婚姻がこの度決まったのだ。
相手は神の国と呼ばれるオーブの第二皇女。
国民が喜ばないはずがない。
アスランの側近である近衛隊隊長が使者としてオーブへ赴いてから20日余り。
王都は盛大なお祭り騒ぎの最中にあった。
◇◆◇ ◇◆◇
「あらあら、随分と難しいお顔をしておりますのね」
朗らかな声とともに執務室に姿を見せたのは、ラクス・クライン。
優雅な足取りで執務室に入ってくるラクスに、アスランはわずかに眉を顰める。
「ここは関係者以外立入禁止ですよ」
軽く咎めるように言えば、青い瞳がふわりと微笑む。
「まあ、いやだ。わたくしとアスランの仲じゃありませんの。立入禁止だなんて、そんな悲しいこと言わないでくださいな。たとえ婚約者ではなくても、わたくしと貴方は幼馴染に代わりはないでしょう」
アスランの第一の婚約者候補と言われていたことを揶揄するように言われれば、アスランも強く出れない。
アスランが正式にオーブの姫を娶ることが決まった以上、ラクスは婚約破棄と同様の不名誉を負ったことになるのだ。――実情はさておき。
それに、アスランは昔からこの幼馴染には頭が上がらないのだ。
小さく嘆息すると、青色の眼差しが不思議そうに瞬く。
「お邪魔でしたかしら?」
「はい」
「まあ、ではわたくしのことはお気になさらないでくださいな」
そう言いながらソファーに腰を下ろすと、歌姫の突然の訪問に驚いていた側近へと視線を移す。
「すみませんが、飲み物を何かいただけますか? ええと、そうですわね、ダージリンがよいですわ。それから、お茶菓子もあればよろしいのですけど」
「え、っと…その…」
無邪気な笑顔のお願いに橙色の髪の側近がどう返答したらよいものか戸惑う。
彼はアスランの側近ではあるが、侍従ではないのだ。
アスランは先程よりも大きく嘆息した。
「…ラスティ。悪いが用意してやってくれ」
「あ…、はい」
「カップは3つお願いしますね」
アスランとラクス、そして側近であるラスティも数に入っているとわかって、ラスティの表情が輝く。
「かしこまりました、ラクスさま」
小さく礼をして橙色の髪が扉の向こうに消えるのを確認すると、ラクスは机に歩み寄る。
立ち上がる仕草も歩く姿も、滑るような動作は貴婦人の手本となるもの。
だが、先程まで穏やかだった眼差しが幾分冷たい。
「国境から知らせが届きましたわ」
懐から取り出した手紙をアスランに差し出したそれを受け取ったアスランの表情がわずかに強張る。
「あまり状況はよくありません。こちらの予想通り先日動きがあったようです。一応港町には軍を潜ませておりますけれど、イザークさまがどれほど有能であろうとも、海の上ではどう見てもこちらが不利」
「向こうの様子は」
「大西洋連邦から船団が2つ出航したとの連絡がありました。彼らが裏にいるのは間違いないかと」
「そうか…」
受け取った手紙を燭台の火にかざすと、1枚の紙は瞬く間に燃え広がり灰になる。
想定していた事実とはいえ、やはり心が痛む。
航海が予定通りなら、イザークの船はまもなくザフト帝国国境の港町に寄港する頃。
そこで補給をすませ、そのまま船で王都へ向かう手はずだ。
「危険な目にあわせたくなかったんだが…」
大切な大切な花嫁。
直接対面したことは一度もないけれど、不思議な縁で出会った愛しい人。
何があっても守ると約束した。
彼女も、そして彼女の祖国も。
だからこそ、危険な賭けに出たのだ。彼女も承知の上で――。
「アスラン」
憂い顔の幼馴染の手に白い手がそっと触れる。
「大丈夫ですわ」
向けられる青い瞳は穏やかで優しい。
「貴方が信じなくてどうするのです。何よりもまず、貴方が心を強く持たなくては」
「――あぁ、そうですねラクス」
春風のような外見に、強い信念を持った眼差し。
広い視野は時としてアスランをも凌ぐほどで。
一軍の将のように強い信念と聖母のような慈愛は、アスランにとって大切なものだ。――愛情とは違うものだけれど。
「すべて準備は整っています。あとは相手の出方次第。これが吉と出るか凶と出るかは、すべてアスランの采配にかかってますのよ。忘れてはいけませんわ」
「大丈夫です」
「それならよいのですが。女は不甲斐ない男性を嫌うもの。そのような情けない顔をしていては、愛しい花嫁に嫌われますよ」
「ラクス…」
ころころと鈴が転がるように笑う歌姫に、アスランは苦笑をもらす。
まったく、この姫君にはどうやっても適わない。
幼い頃から婚約者候補と言われてはいたものの、2人の間に男女の愛情は欠片もない。
言うならば友愛、家族愛のようなもの。
国内外の動向を探るためにあえて否定せずにいたが、お互い想う相手は違う。
アスランは唯一の至宝を望み、ラクスの眼差しは他に向けられている。
だが、2人の望む未来は同じ。ザフトの――ひいては世界の平和。
途方もない夢だと笑われそうなものだが、確固たる信念があればそれも叶うと信じている。
だからこそ、危ない賭けにも出ることができるのだ。
本当に危険なのだけれど。
乱れた足音が近づいてきたのに気付いたアスランが椅子から立ち上がるのと、勢いよく扉が開かれるのが同時だった。
「ニコル? ――何があった」
常に優雅な動作を崩さない年下の部下に誰何の眼差しを向ければ、青ざめた表情のニコルが崩れるように膝をつく。
ざわり、と嫌な予感が背を伝う。
歌姫がきつく唇を噛む。
幼い顔立ちが悲痛に歪む。
「ヤヌアリウスの海域にて、ブルーコスモスの船団が花嫁の乗る船を急襲!」
強張った顔の2人に、尚もニコルが告げる。
「オーブの姫君と近衛隊隊長が、拉致されました…」
- 07.04.20