着慣れた衣装を身に纏えば、嫌でも自分の立場が明確になる。
漆黒の衣装。
東洋の民族衣装をアレンジしたそれに身を包む時は、必ずと言っていいほど任務についている時なのだから。
ほっそりとした身体に纏う色は漆黒。
自分が四聖獣の「玄武」である証だ。
闇に生きる人間であるかを証明するような色彩に、シンは唇に自嘲の笑みを浮かべた。
首筋に残る赤い痕を指先で触れる。
昨夜、ユダにつけられたものだ。
あの時間が夢ではないことの、唯一の証。
あれから僅かしか経っていないというのに、己を取り巻く環境の変化に哂うしかない。
一生傍にいる、なんて、そんなことを本気で思っていた自分がひどく滑稽だ。
(そんなこと、できるはずがないのに――)
彼は日の光の下が相応しい。
そして自分はどこまでも深い闇の中。
元より交わることなどなかったのだ。
自分と、彼とは。
想いを振り切るように頭を振り、シンは最後の釦を留める。
衣装に身を包めば、自分はただの「シン」ではなくなる。
「玄武」という名の暗殺者。それだけだ。
願わくば、ユダが己の存在など忘れてくれるように。――そして憎んでくれるように。
シンは鏡に映る自分に一瞬だけ冷ややかな眼差しを浮かべ、部屋を後にした。
◇◆◇ ◇◆◇
最上階にある部屋のリビングに足を踏み入れれば、そこにいるのは久しぶりに見る仲間の顔。
「シン!」
「シン兄さん!」
マヤとガイが笑顔を浮かべて駆け寄ってくる。
弟のようなこの2人はそろそろ少年期を脱する時期だというのに、いまだに子供っぽい動作が抜けない。
童顔であることも重なってそれが可愛らしいのだが、彼らも熟練の暗殺者だ。
殺伐としてしまいそうな雰囲気を一気に明るくしてくれる彼らの笑顔には毎回助けられている。
「無事に戻ってきてくれてよかったぜ。ヒヤヒヤしたんだからな」
「心配かけてしまいましたね。ちゃんと戻ってきましたよ。…兄者は?」
「ゼウス様に呼ばれたっきり、もう2時間も戻ってこないんだ」
「そうですか…何かあったのでなければいいのですが…」
四聖獣の長であるゴウは、ゼウスの護衛を一手に担っているためかなり多忙だ。
それはシンにも言えることなのだが、秘書的な業務が多いシンは公式の場所に出ることもほとんどなく、ゼウスの傍に付き従う機会も少ないため外出する必要もそれほどない。
だからだろうか、常に留守がちなゴウを捕まえるのは難しい。
せめて帰還の報告をしたかったのだが、ゼウスは気紛れなのでいつゴウが解放されるのかわからないし、今の状況を考えるとすぐに帰ってくるとも考えにくい。
「ゴウのことだから心配いらねえよ。それよかシンが戻ってきてくれなかった方が心配だったんだからな。戻ってきてくれて嬉しいぜ」
「私も皆の所へ戻ってこられて嬉しいですよ」
ぎゅっと抱きついてきたガイの頭を撫でながらそう言えば、隣にいたマヤの瞳が剣呑に光った。
それに気づいた者はいなかったが。
「それにしても…せめて挨拶だけでもしたかったのですが、仕方ありませんね」
「もう行かれるのですか? せめて休憩くらいしていけばいいのに」
その言葉でシンがすぐに出かけてしまうことを察したのだろう。
キッチンで飲み物を用意していたレイが僅かに表情を曇らせる。
レイはつい先程シンと話したとは言え、会話らしい会話をしていない。
仲間というよりも幼馴染としてシンのことを案じているレイとしては、もう少し時間を開けたほうがいいのではないかと思ったのだ。
勿論シンの本音を知りたいと思う気持ちも多いのだが、レイにとってシンは大切な幼馴染なのだから当然である。
「ですが、私の我儘で無駄に時間が経過してしまいましたからね。あちらも混乱しているはずですから、今が好機かと思いまして…」
「それはそうですが…。では、僕も一緒に行きます。サポートは多い方がいいでしょう」
「いえ、これは私の仕事です。私1人で行かせてください」
「シン…」
常に控え目だから忘れてしまいがちだが、シンは頑固だ。
一度こうと決めたら頑として譲らない。
それは何が最良かということを見定めているということでもあり、そのためには己のことは後回しにしてしまうからでもある。
今回のことだってシンが戻りたくないと思っていたことくらいレイには承知のことだ。
シンが幼いころから誰を思っているか、付き合いの長いレイは勿論ゴウだって知っていた。
元々こういう裏の仕事をするとは思えないほどシンは隠し事が下手だ。
更に思慮深く友人思いで、暗殺者という肩書きがこれほど相応しくない人物はないだろうとレイは常々思っている。
自分だって己の手を血で染める仕事を誇っているわけではないが、それでも仕事だと割り切れるだけの冷酷さは備えている。
だがシンは違う。
感情を押し殺してその身を闇に染めていく姿は見ていて痛々しい。
何とかしてやりたいと思いはするものの、所詮自分達はゼウスの手駒で、彼が命ずれば従わないわけにはいかない。
だから止めることもできないし、今回の命令も引き受けざるを得なかったのだ。
シンがどれだけ傷つくかわかっていながら、それでも。
シン自身に笑顔で拒絶されてしまえば、レイはそれ以上何も言えない。
「…わかりました。くれぐれも気をつけてくださいね」
「ありがとうございます、レイ」
そう答えて、差し出された飲み物にも手をつけず、ソファーに座ろうともしないまま、シンは入ってきた扉へと足を向けた。
その仕草がまるで自分達との接触を拒んでいるように見えてレイは哀しくなる。
ガイですらシンとレイの会話に居心地の悪いものを感じて何も言えなかった。
沈黙を破ったのはマヤの声。
「シン兄さん。どうして自分に嘘をつくのさ」
「マヤ?」
険のある響きに足を止めれば、厳しい表情のマヤ。
それは敵意を持っているというよりは、泣きそうになるのを我慢しているようにしか見えなくて、シンは首を傾げた。
きつく握られた拳が、まるで迷子の幼子のように見えるのは気のせいか。
「シン兄さん、戻ってこられて嬉しいなんて思ってないくせに」
「マヤ…」
「だって、シン兄さん…ユダさんのところにいたかったんでしょ」
「……」
「僕、シン兄さんのあんなに幸せそうな顔なんて見たことなかった。いつだって穏やかで優しくて、でもいっつもつらそうにしてて…。今だってそうだ。泣きそうな顔をして嬉しいなんて言われたって信じられないよ。シン兄さんはいつもみんなのことばかり考えて自分の気持ちを押し殺して…。僕、そんなのやだよ」
潤み始めた眼差しにシンは何と返答していいかわからない。
つらいと思っていたのは事実だ。
だがそれしか方法がなかったことも確かだし、彼らと一緒にいるのは楽しかったし心強かった。
決して自分を押し殺していたわけでもないし、自分を犠牲にしていたわけでもない。
それをマヤに言ったところでマヤが納得してくれるとは思わないが。
マヤは奔放に生きているように見えるが、人一倍繊細で他人の感情に聡い。
シン自身すら気づいていなかったことを感じ取っていたのかもしれない。
皆のところに戻ってこられて嬉しいのは事実だが、彼の元を去ったことを悔やんでいないかと言われれば否定できないのも事実。
そうやってシンのことを思ってくれるマヤの気持ちはとても嬉しい。
だが、その感情はこれからの任務にとって不利にしかならないのだ。
気づかず蓋をすることでしか、シンは前を向くことができない。
「……行きます」
眼鏡の奥の瞳を伏せ、シンはマヤには答えずに部屋を後にした。
「シン兄さんの、馬鹿ぁ!!」
涙まじりの怒号が聞こえた。
- 09.10.02