普段よりも少し遅くなってしまった朝食の席では、予想していた通りルカが待ち構えていた。
にやにやと意味ありげに笑う姿に一瞬眉を顰めるものの、今更部屋を出るわけにもいかずユダはそのまま自分の席へと腰を下ろした。
進められるまま隣に座ったシンの行動はひどくゆっくりだ。
相当身体に負担をかけてしまったのだろうと申し訳ない気持ちになるものの、少し気怠げに瞳を伏せている姿は妙になまめかしく、つい先程まで艶やかな姿を堪能していたというのにまたもや劣情が襲ってきて思わず苦笑した。
初めての恋愛に右往左往する青少年でもあるまいしと自嘲するものの、ようやく手に入れた宝物を片時も離さず愛でていたいと思うのは無理もないことだろうと開き直ってしまうあたり末期だと思う。
仕方ない。
理知的な瞳が羞恥に震え、未知の快感に怯えながらも溺れていく様があれほどに美しいものだと知ってしまえば、想いが通じる前よりも執着が強くなって当然だ。
甘やかな吐息も零れ落ちる涙も極上のワインよりもユダを酔わせた。
どれほど美しい女性を腕に抱いても感じなかった、心からの欲求。
触れるだけで鼓動が高鳴る相手など、今まで出会ったことがなかった。
目の前のシンはゆっくりとした動作で食事を進めている。
食べる量は決して多くはないが、出されたものは残さず食べるのは孤児院での教育だろうか。
苦労しているだろうにそんな様子を欠片も見せないシンは、知れば知るほどに愛しさが募っていく。
片時も離したくない、そう願ってしまうほどに。
「どうかされましたか、ユダ?」
じっと見つめていれば視線に気づいたのだろう、シンが手を止めてユダへと振り返る。
「いや、可愛いなと思って」
途端に赤くなる顔を見てルカが笑う。
「仲がよさそうで何よりだが、わたしの存在を忘れていないだろうね」
「忘れてはいない。気にならないだけだ」
「恋に溺れた男には何を言っても無駄というものか。可哀相に、免疫のないシンは真っ赤じゃないか」
昨夜から何度も告げたというのにそれでもまだ慣れないのだろうかと思えば、その純朴さに思わず笑みが浮かぶ。
ユダは良くも悪くも言葉をストレートにぶつける。
ルカは生まれた時から傍にいるため免疫がついているが、シンが慣れるのは当分先だろう。
むしろシンの性格を考慮すれば慣れる時が来るのかどうか疑問でもある。
シンのためにも人前では控えろと言いたいところだが、そこまで分別がないユダではない。
第三者の目がある場所ではすべて自制するだろうし、言ったとしてもせいぜい社交的な言葉程度だ。
だからこれは確信犯だろう。
身内の前なのだから大目に見ろということか。
やれやれとルカは肩をすくめてシンへと視線を移す。
まったく厄介な男に惚れられてしまったものだ。
困惑している様子ではあるけれど嫌がっているようには見えないから放っておくが。
但し、いつまでもこの場にいて2人の雰囲気に当てられているのは勘弁願いたい。
「出発は9時だ。ちゃんと準備をしておけよ」
飲みかけの珈琲を喉に流し込むと、ルカはそう言い置いて食堂を後にした。
◇◆◇ ◇◆◇
予定していた出発の時間の丁度5分前にユダは姿を現した。
傍らにシンを伴っているものの、シンはただ見送りに来ただけのようだ。
片時も離したくないと思っているのは分かっていたから、もしかしたら同行させるつもりかもしれないという危惧が浮かんだが、公私混同しない様はさすがと言える。
尤もユダが現在暗殺者に狙われている状況でなければどうしていたかは不明だが。
本日の予定ではユダの帰宅は深夜になる。
ゼウスが独裁を行うようになり国民からの反発が増えていくに従って、ユダの仕事は確実に増えていく。
ゼウス直々に廃嫡宣言をされているというのに国民のユダに向けられる信頼は高く、最近では国連からもゼウスを退位させ次期大公へと就任するように要請が来ている。
それほどゼウスが多くの民から疎まれているのかと思えば寂寥感は否めないが、今は感傷に浸るべき余裕などなく、ユダとルカは出来る限りの尽力をすることでゼウスの横暴を少しでも食い止めようとすることしかできない。
ユダとルカを廃嫡したところで、ゼウスには後継者となる人物がいない。
だからこそ国民はユダやルカに望みを託すのであり、国連の理事もユダを正式な後継者と認識しているのだろう。
そうして各国から認識を浴びれば浴びるほど、ゼウスとの対立は深まるばかりなのが空しいばかりだ。
「そうだ、昨日1件夜会の誘いが来ていたぞ」
「夜会だと」
次代の大公候補として、又、ユダの人となりのせいもあって貴族連中から夜会の誘いは珍しくない。
全ての国民は等しく接するべきという信条もあって、ユダは個人的な夜会の参加は一切受けていない。
それがわかっているルカからの言葉にユダはかすかに眉を顰める。
長い指に挟まれたそれが目の前に差し出されて思わず視線を移した。
封に刻まれた双翼の紋章は、忘れようとしても忘れられないものだ。
「これは…ルシファーからか」
「ご名答」
ルシファーとはかつてゼウスの片腕として国の成長に大きな力を尽くした男だ。
オリンポスの中でも有数の貴族でありながら、その私財の全てを投げ出して貧しかった国を支えた。
今のオリンポスがあるのは、ルシファーの功績によるものが大きい。
父王を追い落として大公位についたゼウスを影となり日向となって支えた、ユダにとってはかつての父と同じく尊敬を抱く人物だった。
だが、彼はゼウスに叛旗を抱き国外追放されたはずだ。
彼自身、ゼウスに決別して自ら国を出たはずなのに。
「どうやら戻ってきたらしい。この国の情勢は不安定だ。わたしたちがいいようにゼウスを翻弄しているお陰で入国審査はほとんどなく、ゼウスが自ら定めた法律のお陰で個人資産が1億ドル以上あれば入国を拒否されることはないからな。帰国は簡単だろう」
「だが一体何のために…。ルシファーはゼウスに失望して国を出たのだろう。今更戻ってくる理由など…」
「それはこれから本人に聞けばいい。お前に直接会いたがっている。18時から会談を設けた。上手くいけばゼウスに対する最大の布石になるはずだ」
「…わかった」
ユダはルシファーを信じている。
国内での彼の評価はゼウスを弑逆しようとした大罪人だ。
それがゼウスによる偽りだと知っているのはわずか数名ばかり。
ユダとルカはそのうちの1人だ。
彼との接触を拒否する理由はない。
頷いた瞬間、背後で爆発音が響いた。
「?!」
自宅のある方向から聞こえたそれに思わず振り返れば、目の前に上がる黒い煙。
どこで起きたかなんて確かめるまでもない。
あの場所にはユダの屋敷しかないのだから。
大急ぎで車を戻らせる。
あの屋敷には確かに家人は少ない。
だがいくら少なかろうとユダが全幅の信頼を置いている人物ばかりだし、何よりも今はシンが滞在している。
元々外に出ることをあまり好まないシンだ。
ユダが家を出てまだ5分程度しか経っていないこともあり、彼が外出したとは考えられない。
逸る気持ちを抑えつつ屋敷に戻れば、庭園は見事に爆風によって荒らされていた。
先程の爆発は庭を直撃したものだろうと思われた。
だが、問題なのは被害状況などではなく…。
「シン!!」
ルカが制止するのを振り切り、ユダは屋敷へと飛び込んだ。
逃げ惑う家人を外に出るように促しながら、ユダは目的の部屋の扉を開けた。
「っ!?」
室内にいたのは菫色の長い髪をした、まるで女性と見まごうばかりの美貌の青年。
そしてその細い腕に抱かれているのは…。
「シンッ!」
意識がないのか青年の腕の中でぐったりとしているシンの姿にユダは顔色を変えた。
その様子に、目の前の青年の唇がやんわりと弧を描く。
「頂いていきますね」
外見通りの柔らかい声でそう告げると、青年はふわりと窓からその身を投げ出した。
細身だが身長のあるシンを腕に抱いているとは微塵も感じさせないその動きに、一瞬だけユダの行動が遅れた。
一拍置いて窓へと駆け寄ったユダの目に、青年の姿は既になかった。
- 09.08.03