目覚めた時、現実を放棄したくなったとしても無理はない。
何しろ目の前には麗しい尊顔のアップ、そして己の肩を抱き込むように回された逞しい腕。
現実を把握することを脳が拒否しているかのように、目の前の美形と自分の置かれている状況が理解できないシンの耳に、低く艶めいた声が響いたのは一拍後のこと。
「ゆっくり休めたか?」
くすり、と小さく笑われたのは気づかない、否、気にしている場合ではない。
「す…すみません!!」
文字通り飛び起きたシンにユダの表情は優しい。
傷がほぼ癒えていたということもあり、咄嗟の行動でも以前のように足への衝撃はなかった。
それでも筋力が弱っていたのでふらついてしまうのは仕方ない。
大恩あるユダの腕の中で熟睡してしまったという事実が、シンの顔を真っ赤に染めさせる。
元々シンは他人に対して警戒心が強い方だ。
知り合ってしばらくすれば警戒を解くけれど、それでも寝顔を見せることはほとんどない。
だからこそシンは自分が信じられない。
しかも白昼堂々、公園の芝生の上で、男同士、腕枕。
どれをとってもシンにとっては消え入りたいほどの羞恥だ。
更に相手がユダ。
尊敬し敬愛しているユダと一緒にいて、緊張していたというのにも関わらず熟睡。
穴があったら入りたいとはこのことだ。
「気にする必要はない。散歩に誘ったのは俺だ。ここに寝かせたのも俺なのだから。むしろ安らいでくれたのなら外に連れてきた甲斐もあるというものだ」
涙目でどうしていいかわからないと顔に書いてあるシンをからかうは少々酷だろうと思ったのだが、何を言ってもパニックを起こしているシンの頭には入っていないようだ。
消え入りそうに俯いてしまっている姿を見て、悪ふざけが過ぎたかと反省する。
それでもこんなシンを見る事ができたのは新鮮で、反省しているのかいないのか微妙なところだ。
シンは控え目で穏やかな性質をしているためか、他人よりも遙かに羞恥心が強い。
スキンシップには驚くほど慣れておらず、言葉遊びなど問題外。
少しでも肌を見せるのが恥ずかしいと、開襟シャツすら着ようとせずシャツのボタンは第一ボタンまでしっかり留めるほどだ。
まるで深窓の令嬢のようだと揶揄したのはルカ。
さすがにそのコメントには返答しづらかったのだが、こうしてシンを見れば成る程納得するしかない。
むしろ多数の令嬢を知るユダにしてみれば、シンの行動は正に令嬢のそれだ。
立ち居振る舞いから言葉遣い、礼儀作法にいたるまでほぼ完璧だ。
彼が孤児だと言う事実が信じられないほどに。
育った環境ではなく、おそらくこれがシン自身の本質。
とりあえず落ち着かせようと近くのベンチに座らせ、自身は冷たい飲み物を探しに場を離れる。
念のためどこにもいかないように言い含めれば、俯きながらも返事が返ってきたことに安心する。
謝るのは簡単だが、シンに少し冷静になれるだけの時間を与える方が確実に落ち着けると判断したのだ。
尤も悪いことをした自覚が皆無なユダに、謝るという選択肢がなかったことは当然と言えよう。
連れのために飲み物を探すとは、まるで本当のデートのようだと面映く感じながらユダは売店へと向かった。
その足取りは非常に軽かったと、後日護衛がルカに伝えていた。
◇◆◇ ◇◆◇
さて、ユダに新たな感情を覚えさせた当の本人は未だ自己嫌悪の中にいた。
俯いてひたすら頭を抱えるシンに、残念ながらユダの表情を見るだけの余裕はない。
見れば一発でめちゃくちゃ楽しんでいることがわかっただろうが、生憎シンはパニックになった時には周囲が一切見えておらず、ユダの笑いを含んだ声だけで状況を判断するほど頭は冷静になっていなかった。
結果としてシンは涙目でベンチに沈没したまま。
安心させるためか飲み物を買いに行くと言ってこの場を離れたユダに対して、安堵を感じるよりも不安を感じてしまい更に気分は急降下。
せっかくユダが気分転換にと誘ってくれたのに申し訳ないと、ルカやユダが聞いたら一笑されそうなほどに悩んでいた。
(どうしましょう…)
ユダの気分転換が第一だというのに自分が眠ってしまってどうするのだ。
しかも熟睡、ありえない失態だ。
ユダの身分を考えれば護衛なしで外出することなどありえないというのに、気後れするシンのために単独で外出したユダ。
尤も同行していないだけで陰からひっそりと守るSPの存在があったのだが、シンは気づいていないだけなのだが。
それならば自分が少しでも周囲に目を配ろうと思ったのに、眠ってしまっては警戒も何もないではないか。
幸いなことに怪しい人物が近づいてきた形跡はなかったが、だからといって結果オーライというわけにはいかない。
ユダはこの国にとってなくてはならない大切な存在なのだから。
徐々に冷静になっていく頭でそう考え、そしてある重要な事実に行き当たる。
…自分は、そんなユダを使いっ走りにしてしまったのではないか。
記憶を巻き戻してみよう。
パニックになったシンを慰めようと肩を抱いたユダ。これは更に増長させることになり不発。
腰が抜けたようにうずくまったまま、もはや言葉も出ないシンを傍にあったベンチに移動させたのはユダで。
その方法は所謂お姫様抱っこというやつで、勿論シン自身は状況の把握なんて出来る状態ではなかったのだけれど。
うるうると泣きそうになっているシンにもう泣くなと瞼に落とされたのは、もしかしなくてもユダの唇。
冷たいものでも飲めば落ち着くかとの問いに頷いたシンの耳に、じゃあ買ってくるから大人しく待っているんだぞという声が聞こえたのがつい先程。
「………」
もうどうしたらいいものやら。
己の行動にシンはとうとう頭を抱えてしまった。
眠ってしまったことすら信じられない失態なのに、その後の展開はまさに最悪ではないか。
世話になっておきながらユダを困らせるようなことをしてしまうなんて会わせる顔がない。
憧れの人を前にして冷静でいられるのは難しいとわかっているが、そろそろ慣れないと自分で墓穴を掘りまくってしまうような気がする。――否、もう十分掘っているのだが。
それでも逃げ出さないのは、先程のユダの言葉があるからに他ならない。
とにかく早く謝罪をしなければ。
そう思いようやく顔を上げたシンの前に、小さな人影が姿を現した。
- 09.04.18