車に乗せられて走ること30分、連れてこられたのは海岸沿いの国立公園だった。
広大な敷地には沢山の緑、中央にある花壇には国花である薔薇が何百本と花開いている。
ジョギングコースや小さな遊具などがあるこの場所は有名な公園で、都心からそう離れていないというにも関わらず自然溢れる豊かな公園として、訪れる者の目と心を癒している場所だ。
オリンポスにはこうした公園が多いが、それらは歴代の大公が愛した場所であると共に、この国が自然と同化して発展を遂げてきた象徴となっている。
特にこの公園は現大公であるゼウスが待望の第一子であるユダの誕生を祝って造らせた場所だから、国民としても馴染みは深い。
勿論シンも何度か訪れたことはある。
広い敷地内には沢山のベンチがあり、木陰に設置されたそれに座ってゆっくり読書を楽しんだこともあるし、友人達と芝生に寝転がって午睡をしたこともある。
管理人のいない普通の自然公園ではあったが、ボランティアの手によって草木の手入れはしっかりと行われているし、公共心の強い国民性からか公園内はとても綺麗だ。
中央に咲き乱れる薔薇も見事だが、公園内にはその他多くの花が季節折々に花開き緑溢れる場所に彩を加えている。
小動物の姿も多く見られ、木陰でランチタイムを過ごす人々の傍からもらった餌をほおばるリスや小鳥の姿も珍しくない。
普段人間には警戒して近寄らない自然の生き物が、この場所では普通に見られる。
そんな物珍しい状況からかこの公園を訪れる人は後を立たない。
「あの、ここ…ですか?」
「そうだが?」
散歩程度というからにはそう遠くない場所だろうと思っていた予想は当たった。
本日ルカはいない。
オフなのだから一緒に行動する必要はないのだろうが、常に一緒にいるように感じていたから違和感は拭えない。
ユダの身分を考えれば護衛もつけずに自分と2人だけという事態は警備上問題があるのではないかと思うのだが、晴れ晴れとした表情のユダを前にすれば何も言えなくなってしまう。
実は公園の要所にユダにも内緒でSPが控えていたりするのだが、当然シンはそれを知らない。
長くない付き合いからもユダの身が常に危険に晒されていることに気づいているシンは、暴漢に襲われても不思議でない現状に戸惑いを隠せない。
思わずそう訊ねればユダから返ってきたのはひどくあっさりとした返事で、そう言われてしまえばシンは反論できなかった。
芝生にごろりと寝転がる姿は普段のスーツと違いシャツとパンツというラフなスタイル。
飾らない服装だというのにまるであつらえたように似合っている。
ユダは背も高いが筋肉質で身体のバランスもいいので、どのような服装をしても似合うのだろう。
服装のせいだろうかリラックスしているように見えるユダに、警備や安全面の配慮などと言って気分を悪くしてもらいたくないと、シンは進められるままにユダの隣へと腰を下ろした。
「久々の外の空気だ。あまり動き回るのは進められないが、せっかくのよい天気だ。ゆっくりしていこう」
「…はい」
気取らないレストランでの軽い食事と公園での日向ぼっこ。
まるで本当にデートのようだとシンは知らず顔を赤くした。
こうして隣にいることが未だに夢の様な気がしてならない。
知れば知るほどユダは素晴らしい人物で、憧れが尊敬に変わるのも遅くなかった。
そしてその気持ちが特別な意味を持つものになるのも時間がかからなかった。
そんなユダと2人きり。
緊張するなという方が無理だ。
ユダの隣に腰を下ろしガチガチに緊張しているシンの姿をどう思ったのか、ユダは軽く笑ってその背中へ手を伸ばした。
「…っ?!」
「そんなに固くなる必要ないだろう。ほら、リラックスして」
「ユ…ユダ?!」
「枕程度なら提供してやるからお前も寝てしまえ」
「ああああああああああのっ」
シンは力いっぱい暴れた。
それも当然だろう。
背後から身体を引かれて気が付いたら背中に芝生の感触。
それだけならまだいい。
至近距離から見つめる蒼瞳と肩に感じるぬくもり。
そして首の下にあるのはユダのたくましい腕で、これはもしかしてもしかしなくても腕枕ではないか。
とてもじゃないが落ち着いてなどいられるはずがない。
かと言ってその腕を無下に払うことなどできるはずもなく、結果シンの身体が先程よりも硬直してしまったのは当然で。
真っ赤になってどうにか逃げようとしているシンの姿は、けれど嫌がっているようには見えないのでユダの笑みを誘う。
シンは奥ゆかしい性格をしている上に思慮深いから、多少強引な手を使ってもユダの腕を振り払わないだろうと思っての行動だが、どうやらその目論見は成功したらしい。
身の置き所がないと縮こまる姿はとても可愛らしい。
陽光を受けて水面のように輝く髪を優しく撫でれば、観念したのか今まで逃げようと身じろいでいた身体がぴたりと治まった。
耳まで真っ赤になっているのがわかって、ユダの笑みは更に深まる。
シンと一緒にいるとひどく心が安らぐ自分をユダは自覚していた。
ユダは長子だ。
しかも次期大公として教育を受けていたから常に気を張って生きてきた。
父と袂を別ってからは更に張り詰めていたのだろう。
自分の人生は国と民に捧げるものだから、そのために尽力するのが当然。
自分が安らぐ前に民の生活を向上させることが最優先だと、無自覚に思い込んでいたのかもしれない。
だからルカの言葉も聞き入れるつもりはなかった。
第一ユダ自身幼い頃からの習慣だったからその自覚がなかったのだ。
民の笑顔を見ることが幸せだと、それが安らぎだと信じていた。
それが違うと気づいたのは、計らずともシンを家に招きいれてからだった。
向けられる信頼、穏やかな笑顔。
控え目ながらも自分を気遣う姿はユダに言葉では表現できない安らぎと癒しを与えてくれた。
最初は義務感だった。
自分のせいで重傷を負った青年をそのまま家に帰すわけにはいかなくて、少しでも償いになるのならばという理由で自分の屋敷へ連れ帰った。
シンが恐縮していることに気づいていたけれどそれには気づかないふりをして。
そうして始まった共同生活。
勿論ユダとシンの行動時間はほとんど重ならないため、会える時間はユダが屋敷に戻ってきてから。
どんなに遅くなっても寝ずに待っていてくれる姿を嬉しいと感じたのはいつからだろうか。
余計なことは聞こうとせず、飲み物を用意したりハープを奏でてくれたりと、少しでもユダの心が休まるようにと気を遣ってくれるシンの姿を愛しいと感じたのは――。
「――シン」
「はい?」
名を呼べば頬を染めながらも笑顔を浮かべてくれる姿を見て、この笑顔を守りたいと思った。
守りたい、とはこういう意味なのかと初めて言葉の意味を理解した。
義務ではなく使命でもなく、ただ大切な人を守りたいと思う気持ち。
それこそが政道の第一なのだと、そんな今更ながらのことにようやく気づいた自分がいた。
怪我の回復は良好だ。
最初は松葉杖でもつらそうに歩いていたのだが、最近は室内の歩行なら杖なしでも可能になっていた。
庭に出る際にはさすがに転倒防止のために杖を持参しているけれど、それも間もなく必要なくなりそうだ。
怪我が治ればシンがユダの屋敷にいる必要はない。
むしろ今の段階でもシンが自宅に戻って生活することは可能なのだ。
だがシンの傍は存外居心地がよくて、このまま一緒に暮らしていて欲しいと願ってしまう。
それはルカも同様のようで、当初こそ他人を家に入れることに難色を示したルカだったが、今ではシンを弟のように可愛がっている。
ユダもルカも家族という繋がりが薄い。
義兄弟ではあるが、幼いころは別々の館で育てられていたし、大人達の権力争いのせいで年に数回会うのがやっとだった。
そのせいか志を同じくして父親と袂を別った2人だけれど、兄弟というよりは同志のようなもので、ユダはルカを弟と思ったことは少ないし、ルカもユダを兄と慕っているようには見えない。
だからだろうか、打算なく温かい笑顔で迎えてくれるシンを身内のように感じてしまうのは。
(ここは、平和だ)
政権争いも派閥もここでは存在しない。
ただ国民が穏やかなひと時を過ごせるようにと大公が設立した自然公園。
残念なことにゼウスはあの当時とは随分変わってしまったが、彼の信念の元で建設されたこの場所は昔も今も変わらない。
ユダは時々この場所を訪れる。
それは疲れた心を癒すためでもあるし、己の理想をこの目で確かめるためでもあった。
幼い頃、政務を抜け出してゼウスと2人でこの場所を訪れた。
勿論ゼウスの顔は広く知られていたけれど、明らかにお忍びだとわかる親子連れの様子に誰もが気さくに声をかけて、短い親子のひと時を過ごしたものだ。
誰もが平等に幸せに暮らせる国にしたいのだと、まだ幼い自分に理想を語った父。
その父を支える息子になるのだと決意したのは、多分この場所が最初だ。
己の理想を忘れないように、今はいないかつての父の背中を思い出すように、ユダはここへ足を運ぶ。
穏やかで落ち着けるけれど、どうしても寂寥の念が浮かんでしまい楽しむという感情からはほど遠い場所にあったこの地。
それでもこうして足を運んでしまうのは、やはりこの場所を好きだからなのだろう。
隣から聞こえてくる小さな吐息。
どうやら逃げ出すことを諦めて大人しくしているうちに眠ってしまったようだ。
あどけない寝顔を浮かべるシンの額ににユダは口付けを落とす。
己の気分転換のために連れ出したようなものだが、どうやらこの場所はシンにとっても居心地のいい場所になったらしい。
安心したように眠るのはユダが傍にいるからだと思っていいのだろうか。
「そうだといいんだがな」
眠りを妨げないように呟いた声は静かに風に溶けた。
- 09.04.03