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Lost Heaven 06


数日シンの同行を見ていたが、やはり怪しいところは1つもなかった。
元々行動的な性格ではなかったのだろう、1日のほとんどをベッドで過ごす生活もそれほど苦に見えないのが幸いだ。
することと言えば読書ばかり。
部屋に用意させた本は相当量あったのだが数日で読破してしまい、怪我の経過が良好だということもあって書庫への出入りを許したら、子供のように嬉しそうな顔をして朝から夜まで連日書庫へ入り浸っている。
放っておけば寝食を忘れるシンに、最低限食事だけでも摂るようにとユダが諭すのも1度や2度ではない。
見知らぬ人間を屋敷に入れるということもあって最初は警戒していたルカだったが、シンの行動に何一つ不審なところがないためその警戒もすぐに解いた。
そうして会話を交わしていくうちにシンに感じたのは、不思議な安らぎだった。
穏やかで控え目で、およそ今まで自分やユダの周りにはいないタイプだ。
どちらかと言えば自分と似ているだろうか、だがユダの義弟として、また臣下としてユダを護ることを念頭において行動するルカにはない癒しの力がある。
強いて言えば小動物のよう。
相手を気遣う優しさに溢れているシンの行動は、政局を奪おうと緊張した毎日を送っているユダやルカの心を優しく癒してくれる。
勿論本人にそのつもりがないのだからそれは計算されたことではない。
屋敷に引き取られたその日から、シンはユダやルカが帰ってくれば必ず顔を見せた。
料理は苦手だけれどお茶を淹れるくらいはできるからと、疲れて帰ってきた2人に茶を振舞ってくれるのもいつものこと。
深夜を過ぎても寝ないで待っている様子は好ましい。
それが世話になっているからという理由でも、帰ってきて家人以外で迎えてくれる人物がいるというのは存外心地よく、楽しそうに会話を交わすユダとシンの姿に、何とも言えない温かい気持ちが芽生えてくる。
シンを屋敷に連れてきたのはシンにとっても良い結果になったが、それ以上にユダにとって良い傾向だった。
ユダは人の上に立つ人物だ。
本人がそう生まれ育てられたこともあるが、彼自身すべての民を護ることを使命としている節がある。
悪政を強いる父親を追い落とそうとしているのだから相当の覚悟を持っているのは当然だが、少々気負いすぎているように見えていたのはルカだけではないだろう。
ユダは自覚していないが、相当の完璧主義者だ。
自分の理想を高く掲げ、目標に突き進んでいく。
その姿は頼もしいの一言に尽きるが、常に気を張っていてはいざというときに疲れてしまう。
少しは気楽に過ごす時間も必要だとルカが再三言っていたのだが、笑顔で頷きながらもユダは聞き入れてくれなかった。
そのユダがシンを連れてきてから大きく変化を見せた。
慣れない場所で心細い思いをしていないかと何かと世話を焼き、どんなに忙しくても日に一度は顔を見せ、可能な限り食事を一緒に摂るようにした。
多忙を理由に碌に食事を摂らなかったユダにとってそれは良い傾向であることは確かだ。
穏やかな性質のシンと一緒にいることはユダの気も休まるようで、ここ数日のユダは思いつめた表情をすることも少なくなった。
四阿でシンのハープを聞きながら、音色に誘われるように転寝をすることもしばしば。
そんなユダの眠りを妨げないように、そっと上掛けをかけ静かな音色を奏で続けるシンの姿も珍しくない。
こちらの事情に巻き込まれる形で怪我を負わせてしまった青年。
だがその存在は不思議とユダやルカに受け入れられていて、数日前に初めて会ったというのが嘘のようだった。







   ◇◆◇   ◇◆◇







「外ですか?」
「ああ。いつまでも屋敷の中というのも息が詰まるだろう。足の経過もよくなっているし、リハビリも兼ねて少しは動いた方がいいと思うのだがどうだろうか」
「特に不自由な思いをしたことはないのですが。散歩でしたら庭でも十分ですし…」

仕事から帰ってくるなりユダに言われた言葉の意味がわからず、シンはきょとんと首を傾げる。
傷口はほぼふさがった。骨折の経過も良好で、介添人がいれば多少の外出も許可されたのは先日のことだ。
だがシンは外に出たいとは一言も言わなかった。
最初は遠慮しているのかと思ったのだが、どうやら素で外出に興味がなかったらしいと気づいてユダは軽く笑う。
この屋敷がシンにとって居心地のいい場所になっていることが嬉しくないわけがない。

「リハビリとは少し違うか。俺とデートをしないかと誘っているのだが、シンは嫌だろうか」
「デ…デート?!」


瞬時に顔を赤くして狼狽える姿を眺め、ユダは頷いた。
シンはユダが知る誰よりも純粋で純情だ。
こういう言葉遊びにも慣れていない姿がひどく新鮮で、だからだろうかシンと一緒にいるのがとても楽しい。

「この家の庭は確かに広いが、同じ景色ばかりというのも飽きるだろう。明日は久しぶりのオフなのだが、よかったら散歩程度に付き合ってもらえないか」
「それは構いませんが、久しぶりの休日でしたらゆっくりとお身体を休ませた方がよいのではありませんか。ここ連日帰りも遅いしお疲れでしょう」
「じっとしていることができない性分なんだ。勿論、シンが嫌だというのなら無理強いはしない」
「い…いえ、嫌だなんてことありません!」
「それはよかった。明日が楽しみだ」

穏やかに笑って、ユダはシンの長い髪を撫でる。
シンの髪は腰まで届く長さだというのに絹のようになめらかで触り心地がいい。
特に手入れをしているわけではないと言っていたが、この長さで傷みひとつないというのは珍しい。
さらりと手で梳く感触がユダのお気に入りだ。

「では明日を楽しみにしているよ、シン。おやすみ」
「お休みなさい」

軽く肩を叩いて部屋を出て行くユダの背中を見送って、シンは自分の肩へとそっと手を寄せた。
ユダが触れたそこだけ熱を持っているように感じるのは気のせいだろうか。
ユダはシンに触れることが好きだ。
ルカや使用人への態度を見ていて思うのだが、シンだけでなく信頼した人物に触れるのが彼の癖のようだった。
事あるごとにシンに触れるユダに最初こそ戸惑ったものの、次第にそれも慣れた。
他人に触れられることは苦手なシンだったが、ユダに触れられるのは嫌ではない。
ただ、触れられるたびにどきどきして心臓に悪いとは思うけれど。
元々ユダは憧れの人物だ。
高潔で崇高。国民の憧れであり希望であるユダ。
そんな彼と知り合いになれるとは思っていなかったし、こうして彼の屋敷で世話になる日が来るなんて想像したこともなかった。
シンにとってユダは天に輝く星よりも遠い存在だったのだ。
そんなユダと毎日ほんの少しでも会話が出来るだけで考えられない僥倖だというのに、彼は何かと自分のことを気遣ってくれる。
そして明日はデートだというのだから、自分の身のあまりの変化にどうしたらいいかわからない。
勿論嬉しいのだが、ユダへ憧れ以上の感情を抱いていた自覚があるシンにとってそれは少々刺激が強すぎるものであって。
恋愛経験がほとんどないシンは、生まれてこの方デートというものをしたことがない。
怪我が完治していないシンをあちこちへ引っ張りまわすとは思えないから、多分本当に散歩程度のものだろう。
だがシンにとってそれが初デートであることは確かで。
しかも相手がユダとなればシンの緊張は一気に高くなる。

「…ユダとデート…」



多分、今夜は眠れない。


  • 09.03.28