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血の絆 09


ユダの様子がおかしい。
出会ってから今日まで決して長いとは言えない期間しか知らないシンですらわかるほど、今日のユダはどこか心ここにあらずといった様子だ。気付いた時は自分が何かユダに非礼を働いたのではないかと考えたがシンを抱きしめる腕は相変わらず、身じろぎをしても逃がさないといったようにきつく抱きしめて戯れのように口づけを繰り返している。
そうやってシンを快楽の海に溺れさせていながら、ユダは時折意識を逸らすのだ。苦悩している様子は見られないのが幸いだが、シンと一緒にいることが何かユダにとって不都合があるのではないかとシンが思うのも無理ないことだろう。

「どうかなさったんですか?」

幾度目かの口づけの後にシンが問いかければユダは慌てて否定する。
だがそれを大人しく信じるにはシンはユダのことを想い過ぎていた。

「もし私と一緒にいることが貴方にとって不都合でしたら、どうぞお戻りください」
「そのようなことはない。シンと共にいるのを望んでいるのは俺の方だ。不都合などあるわけがない」
「ですが、今日は心ここにあらずといった様子ですし…」
「瑣末なことだ。気にするな」
「あっ、ユダ…んっ」

気遣わしそうなシンを誤魔化すように背後から抱きしめ唇を重ねる。先程よりも深くしっとりと絡み合うような口づけに、ここ数日ですっかり慣らされたシンはされるがままにユダに身を委ねた。
無意識のように腕が首に絡み、もっとと強請るように身体を摺り寄せる。そんな愛らしくも淫靡さを備えた仕草にユダは先に進もうとする理性を必死で抑えこんだ。
誤魔化すためにいつもよりも強めの口づけだったが、ここ数日ですっかり快楽を教え込まれた身体は従順にそれを受け入れてしまったらしい。しどけなく漏れる吐息や快楽によって火照った細い身体。悦に蕩けたシンの艶やかな姿は自分だけが知る絶景だが、その姿は毎回その肌を暴きそうになる衝動を抑えるのに苦労するのだ。
シンが思慮深い性質だということは理解していたつもりだったが、まさかこんな些細なことまで気づかれるとは思っていなかった。
誤魔化しはしたが確かにユダはシンとの逢瀬でありながら余所事を考えていた。
厳密に言えばシンにも関係のあることだが、少なくとも今の時点でユダはシンに打ち明けるつもりはない。

『シンの伴侶になる気はないか?』

シンの兄だと名乗る吸血鬼がユダに提案したそれは、何よりも魅力的な誘惑だった。







   ◇◆◇   ◇◆◇







『君にシンの伴侶となってもらいたい』

シンとの逢瀬の帰り道、ユダの前に現れた男はルカと名乗りシンの兄であると告げてきた。
顔かたちも身体的な特徴も似ていない彼は一目見ただけでは兄だと信じることは難しかっただろう。だがユダは彼の言葉に嘘はないと確信していた。――否、知っていたと言う方が正しい。
ユダが恋い焦がれた絵画。優しい母と愛らしい2人の兄弟らしき幼子。弟らしき年少の少年はシンに良く似ていたが、兄と思しき少年とユダの前に現れた青年もまた良く似ていたのだ。
あの絵画の少年がシンであることをユダは疑っていない。それとなく交わされてきた会話の中であの少年がシンであると確信できたからだ。
そんなルカから言われた突然の提案。伴侶にと請われて拒否するつもりはない。初めて会った時からあの綺麗で儚い吸血鬼が欲しかったのだ。いずれは身も心も欲しいと思っていたからこそシンの実兄から言われれば即答で頷いた。
だが伴侶になると言われてどうすれば良いかユダにはわからない。
人間のように婚姻を結ぶというだけではないだろう。それではユダはあっという間に老いて死んでしまう。共に生きる以上はユダが吸血鬼になることが大前提だと思うが、残念ながらユダにはその方法がわからない。
伝承では吸血鬼に血を吸われれば吸血鬼になると言われているが、そんな簡単なものでないことはこれまでのシンとの逢瀬で知っている。
何故ならユダは最初の逢瀬でシンに微量とは言え血を吸われている。白く尖った歯がユダの肌を傷つけ、そこから流れる血をシンは舐め取った。それでもユダは人間のままだ。
その後偶然負ったかすり傷の血をシンに舐めさせたことがあったがそれでも変化はない。どうやらただ血を舐め取られたりかすり傷を負わされた程度では吸血鬼化することはないようだ。

ではどうすれば良いのか。こればかりはシンに聞けることではなかった。
最近ではそこまでではないが吸血鬼である自分を嫌っているシンに己を眷属にしてほしいと言えば、シンは更に傷つきユダの前から姿を消すだろう。優し過ぎる程に優しい子だ。ユダが人外の化生になるようなことに加担することなど耐えられるとは思えない。それが愛されているという理由なのだから喜んで良いのやら悪いのやら複雑なところだ。
だがユダとしてはやはりシンと同族になりたい。このままの関係を続けてもあと数十年。平均寿命を考えればあと二十年程でシンとは別れを余儀なくされてしまう。もし仮に健康でいられたとしても醜く老いた姿を永遠に若く美しい姿のシンに見られるのはつらい。そんなことになるのならばいっそ贄としてシンにこの身を喰らい尽くされ彼の糧になる方ががどれほどマシか。
元々人間としての自分に愛着のなかったユダだ。シンと共に生きることができるならば人間を止めるくらい何ということはない。しかも己が吸血鬼になることでシンが半永久的に生気不足に陥ることがないというのなら願ったりではないか。

そのためにはユダが吸血鬼になることが不可欠なのだが、それこそが最も難しい。

シンには聞けない。聞いたとしても吸血鬼としての自覚が足りなさすぎるシンが果たして知っているかどうかも分からない。
となればユダに残された選択肢は一つしかない。

ユダはとある街のバーへと足を運んだ。
活気に溢れる街にあるバーらしく多くの客で賑わう店内、そのカウンターの一角に目当ての人物はいた。目立つ容姿であるにも関わらず誰からの視線も浴びていない。何かしらの術でもかけているのだろうか。とりあえずユダにとっては邪魔されることなく話ができそうなので助かるが。
麦酒を注文して青年の隣に座る。程なくして目の前に置かれた麦酒を一口飲み、そして隣の青年へと初めて声をかけた。

「眷属になるにはどうしたらいい」

ルカの動きが止まった。ややして小さな笑い声。振り向けば深紅の瞳が楽しそうに弓を描いていた。

「提案した私が言うのも何だが、人間であることを捨てることに微塵も躊躇いはないようだな」
「シンと永遠を歩けるというのなら些細なことだ」
「私の弟は随分と愛されているようだ」

機嫌良さそうにルカは目の前のグラスを煽る。シンと同じく白い喉が上下した。グラスの中身を一気に煽って親指で唇を拭う。そんな仕草の一つにも艶が溢れている。硬質な美を持つ禁欲的な姿でありながらふとした瞬間に見せる姿が非常に艶っぽい。そんなところもシンに良く似ていた。

「眷属になるにはいくつかあるが、一番手っ取り早いのは吸血鬼に抱かれることだな」
「……お前、にか…?」

瞬時に顔を歪めたユダに何を思ったのか、ルカはくつくつと笑った。

「悪いがそれはできない。私にも最愛の伴侶がいるんでね。他の者は誰であれ抱く気はない」
「なら言うな。…だがシンが相手でも困るな。俺はシンを抱きたいのであって抱かれたいわけではない」
「シンにも無理だろうよ。お前に抱いてくれと言われたら色々な意味で憤死する」

良くも悪くもシンは受け身だ。自分から行動を起こすことはほとんどない。それが命に関わることでもそうなのだから、男を抱いてくれと言われても無理だろう。しかも相手はシンに快楽を教え込んだユダだ。ユダの愛撫で見も世もなく喘いでいる立場から逆になれと言われも無理だろう。もっともユダは誰であれ男に組み敷かれるつもりはない。それがシンであってもだ。

「となると残るは一つだな」
「勿体ぶらないで早く言え」
「お前が眷属になりたい相手の血を飲むことだ」
「シンの…?」
「ああ。我々の血は少々特殊なものでね。同族には何の効果もないが異種族――つまり人間が飲めばそれがたった一滴であれ命を落とす劇薬のようなものだ」

ルカの言葉にユダはあからさまにため息をついた。

「死んだら意味がないだろう」
「まあ最後まで話を聞け。死ぬと言ってもそれは我らの意志が伴わなければだ。どういう仕組みかわからないが我らの血は意志を持って飲ませれば不老長寿の妙薬となり、そうでなければ触れただけで命を落とす猛毒となる。尤も不老長寿と言っても我らの仲間になるというだけなのだが。どうだ、いかにも人外らしい異能だと思わないか」
「…シンが大人しく血をくれるとは思えないんだが」
「心配するな。シンはあれでいて執着心が強い。他のものに関して無関心なだけに、唯一と決めたものには相当固執するんだ。人間でいた過去を捨てきれないのが良い例だな。後は家族だ。兄である私、そして私の伴侶でありシンの親友でもあるレイ。シンが絶対に喪いたくないと思っているのは今のところそれだけだ。ああ、お前も数に入っているかもしれないが、こればかりは本人に確認したわけではないので適当なことは言えない」

軽口を叩くようにルカは続ける。

「私にとってシンは目の中に入れても痛くないほど可愛い弟なんでね、どうせなら幸せになってもらいたい。最近のシンは幸せそうで、どうせならそれが永遠に続けばいいと思ってしまった。愚かな兄心と思ってくれていい」

ルカは上機嫌で2杯目のグラスに口をつける。どうやら注文の時だけ相手に認識されるようにしているらしい。何とも便利な能力だとユダは舌を巻いた。

「感謝するよ、『義兄上』」
「首尾よく行くことを祈ってるよ。可愛い『義弟殿』」

差し出されたグラスに己のグラスをぶつけ、ユダとルカは共犯者のように笑った。



  • 16.06.04