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血の絆 05


見渡す限り一面の木々。
鬱蒼と生い茂る森に迷い込んでもうどれくらい経つのだろうか。
かろうじて覗く上空にある太陽の角度から考えても軽く一刻は経過しているのは間違いない。
ほんの軽い散策のつもりが本格的な遭難になってしまい、普段なら絶対にありえない醜態にユダは秀麗な眉を顰めた。

目の前に広がるのは出口の見えない森。
人間が寄りつかない森であるという触れ込み通り、ユダがこの森に足を踏み入れてから一度も人の姿を見てはいない。
地理的な条件を言えば、隣国との境界であり貿易の盛んな街を結ぶ街道としても最短の距離であるというのに、何故だかこの森を通ろうという商人は少ないのだ。皆無と言っても良い。
それどころか旅人も現地の住人もこの森を忌避するように遠回りするという話を聞いたユダは、最初この森には性質の悪い山賊の住処でもあるのだろうと思った。
貿易が盛んな街の近くには賊が住みつくことは多いし、特にこれだけ人の手が入っていない森ならば隠れ棲むには最適だ。
人が来ないけれど実を結ぶ木々は多く繁っているし小動物の数も多い。
追尾の軍から逃げるのもこの森に馴染んでしまえば簡単だろう、そう思っていたユダは人々がこの森を忌避する本当の理由を聞いて驚いた。

魔物が出るというのだ。それも吸血鬼が。

教会に属するユダにとってそれは見過ごすことのできない証言だ。
神が人間を創造した失敗作とも、悪魔が人間を滅ぼすために誕生させたとも言われる魔物、その中でも吸血鬼はその性質と嗜好から人間の天敵と言えるべき存在である。
男を誑かし女を犯し、その血肉を啜る。
魅入られた者は逃げることができず恍惚のうちに死を迎える、例外はない。
だがそのように恐れられている吸血鬼ではあるが、生憎ユダはその存在を信じていない。
吸血鬼だけでない、時折噂に上る人狼の存在も同様だ。
噂は所詮噂だけの存在であり、実在すると信じるには証拠も証言も確実性が薄い。
吸血鬼が出るという噂を聞いて駆けつけてみれば、その正体は血に飢えた殺人鬼だったということも一度や二度ではないのだ。
おそらく人間の恐怖心が作り上げた幻想だろうと、被害に遭ったという村人の震える姿を見てもユダの中で彼らが実在するとは思えなかった。
だがそれでもその森を忌避する者は後を絶たず、ついには盗賊すら棲み付かないと言われている始末。
それならばユダが真相を解明してみせようと、正義感というよりは多大な好奇心で森に踏み入ったのは数時間前。
結果は空振りも良いところだが、道に迷ってしまって情けないことこの上ない。
平和な森だからと言って夜を過ごすには何の準備もしていない。
携帯しているものと言えば僅かな食糧と武器である剣のみ。
夜になれば寒さを増す森の中で暖を取る外套もなければ火を起こす道具も持っていない。
どうにかして日が沈むまでに森を抜けなければと先程から足を速めているのだが、どうも更に奥へ奥へと進んで行っているような気がしてならない。
このまま森を抜けたらどこへ行くのかユダは知らない。
驚くべきことに地図すらこの先は作成されていないのだ。
だが今更戻るより先に進む方が出口に近いのは確実のはず。
ユダは諦めたようにため息をついて更に足を進めた。
己の体力が常人以上であることに感謝をしながら。







   ◇◆◇   ◇◆◇







どれだけ歩いただろうか。
鬱蒼と繁る木々だけだと思っていた空間がいきなり開けた。
とは言っても出口ではなさそうだ。
直径30メートルほどだろうか、短い草が生い茂る広場があった。
その中央には自然に出来ただろうと思われる小さな泉。
水は森の奥から流れてくるのか小さなせせらぎが聞こえており、なみなみと水を湛えた泉が木漏れ日の光を反射してまるでその空間全体が輝いているような錯覚を起こさせた。

「………」

今までの道程とはあまりにも違いすぎる光景にユダが息を呑んだ。
というのもその泉には様々な種類の動物がいたからだ。
鳥や兎やリスと言った小動物から、狐や狼といった捕食動物まで、全部で20匹はいるだろう。
捕食者である狼と被捕食者である兎が同一空間に存在しているなど、ありえない事態だ。
しかもそれらは肩を寄せ合うように眠っており、警戒心の欠片も見当たらない。
視界の端では白鷺が気持ちよさそうに泳いでいたり、狸の親子がコロコロと転がりながら戯れていた。
楽しそうに見えるその光景にユダはそこへ足を踏み入れるのを躊躇った。
どう見ても野生動物。
天敵同士が仲良くしているのが不思議だが、人間に慣れているとは思えないため、ユダが足を踏み入れたら驚いて逃げてしまうのではないかと危惧したのだ。
だが、どうやらそういうことはなさそうだと判断する。
というのも泉から少し離れた場所に横たわる人影を発見したからだ。
木々の枝が邪魔をしてここからではその人物が良く見えないが、どうやら細身の人物。
年齢も性別も一切分からないが、動物に囲まれている様子はもしかしたら眠っているのかもしれない。
この森に入ってから初めての人間である。
絶賛迷子中のユダとしてはどうにかしてその人物から森の出口を聞き出したい。
眠っているだろう人物を起こすのは忍びないが、背に腹は代えられないというのが正直な気持ちだ。
何しろ長時間の移動で疲労こそないものの空腹であることは隠しようのない事実なのだから。

突然起こすのも申し訳なく、ユダは足音を忍ばせてその人物へと近づいた。
ユダの気配を察知した兎が飛び起きるように目を覚まし、そして一目散に逃げ出した。
それに倣うように一斉に逃げていく動物たちに、やはりと苦笑する。
彼らが心を許すのは眠っている人物だけで、不法侵入者であるユダは警戒するべき敵と認識されてしまったのだろう。
残っているのは狼と熊の2種類のみ。
どちらも今のところ攻撃する様子が見られないのは幸いか。警戒対象ではあるらしいが、襲ってこないだけで十分助かる。

安堵のため息をついてユダは眠っている人物の隣へと辿り着いた。
そこで初めて顔を見て、その秀麗さにユダは再び息を呑んだ。

まるで美の女神が端整込めて作ったのだと言わんばかりの美しい青年が、木漏れ日を浴びてすやすやと眠っているのだ。
森の中に人がいるだけでも十分過ぎるほど驚いたというのに、それが女性以上に麗しい男性なのだから驚くなという方が無理だ。

起こさないように細心の注意を払いながら触れてみれば、流水のように輝く青銀の髪は絹糸のようにさらさらとユダの指に何とも言えない心地良さを与えた。
安らかな寝顔を浮かべる顔立ちは非常に繊細な造りをしていて、閉ざされた瞼に影を落とす睫毛の先まで計算され尽くしたかのような美を備えている。
男性であることは確かだろうが、それにしても細い。
首もユダが片手で掴めてしまいそうな細さだし、華奢な肩やほっそりした指などは男性というよりも女性のそれに近いようにも見える。
だがゆっくりと上下する胸に女性特有の膨らみは見つからず、男性であることは間違いないようなのだが、それにしても不思議なほどに『男』を感じない人物だ。
このような場所で無防備に眠っていては危険なのではないかと思うユダは悪くない。
とはいえ青年の護衛のように狐と熊が目を光らせている以上、彼が危ない目に遭うことは少なそうだ。



「ん、……」


青年の唇から小さな吐息が漏れる。
起きたのだろうかと思ったがどうやらそうではないようで、小さく震えると己の身を抱きしめるように丸くなってしまった。
寒いのだろうかとつい無意識でその頬へ触れてみれば、指先からは驚くほど冷たい感触が伝わってきて驚いた。
体温を感じさせないほど冷え切った肌は異常とも思えたが、いくら日が差しているとはいえこのような風通しの良い場所で眠っていたせいで身体が冷えたのだろう。
事実、日が傾いてきてから森の中の温度は下降しており、軽装のユダでも若干の肌寒さを感じる程なのだ。
明らかにユダより筋肉も脂肪もついていない青年の身体が冷えるのも当然である。
己の体温で温めるように手のひらで頬を包み込めば、ゆっくりと温まっていく肌のぬくもり。
無意識のうちにすり、とすり寄ってくる姿が何とも言えず愛らしい。
何よりも驚いたのはその肌のきめの細かさだ。
しっとりと吸い付くようにユダの手に馴染む。
どれほど高貴な身分の女性であっても持たないだろう最上の肌質だ。

ユダの身分は司祭だが、神職に就く前はそれなりに名の知れた貴族の子息だった。
生憎嫡男でないため家の相続権はなかったが、ユダの美貌に惹かれた女性からのアプローチは多く、若気の至りで据え膳を美味しく頂いた回数はそれなりに多い。
故に高貴な女性と肌を重ねた経験はそれなりにあるのだが、その誰もが裸足で逃げ出す程には目の前の青年の肌は極上だった。
眠っていてもわかる品の良い外見といい、正にユダの好みそのものである。
これまで多くの女性を見、複数の女性と閨を共にしたユダが一度も出会ったことのない理想の女性像に、目の前の青年は驚くほどぴったりと当てはまるのだ。
唯一の違いと言えば性別だけ。
何とも勿体ないことだと思いながらも、ここ数年の禁欲生活で押さえつけられた雄の本能が疼くのが自分でもわかった。
何しろ目の前には理想の相手。しかも眠っていて意識はない。
更には無意識であるのは分かっているが、ユダに甘えるようにすり寄ってくるその愛らしさが加わってしまえば、男の理性なんてあっという間に崩壊してしまうのも無理はない。
そうして見てしまえば淡く色づく小さな唇から目が離せない。
すうすうと穏やかな寝息を零す唇は薔薇の花びらのように可憐で、肌と同様触れればしっとりとしてユダに甘美な夢を見せてくれることだろう。
先程小さく漏れた声も低すぎず高すぎず、不思議と耳に心地良い声だった。
その音色が甘く艶やかな喘ぎを奏でたらどれほど官能的なのだろうか。
不埒な行いだと分かっている。何せ相手は意識がないのだから。

だが、それでも一度覚えてしまった感情を制御するのは何故か難しくて。
鉄壁だと褒められたユダの理性は驚くほど見事に瓦解していった。
顔を近づける。鼻腔をくすぐる馥郁とした香りは青年のものだろうか。



「――――すまない」



小さく謝罪の言葉を告げ、ユダはその唇に己のそれをゆっくりと重ねていった。


  • 13.05.07