伸ばした手の先で。
長太郎はその場に崩れ落ちた。
嘘だ、嘘だ! 嘘だ!!
地面に広がっていく血溜り。
鼻につく鉄の匂い。
ぴくりとも動かない長太郎。
そして、何の感情も見せずその光景を眺めているテニス部のみんな。
すべてが悪夢のようだった。
「人間はホンマに脆いなぁ」
くすくすと低い笑い声が耳元でそう囁く。
抱きしめる力は強く、楽しそうに笑いながらも俺の手を握る力は痛いほどだ。
俺を苦しめるためだけに長太郎を傷つけた。
まるで消耗品のように、長太郎の命を弄んだのだ。
満足そうに俺を見る、その冷ややかな瞳。
「そうは思わんか、」
だがその声は怒りで脳が沸騰寸前の俺の耳に入らなかった。
自分の鼓動が耳元で大きく聞こえる。
まるで何かを呼び起こすように、それは俺の頭に響いてくる。
長太郎を助けなきゃ。
それしか考えられない。
助けるんだ―――。
頭の中が白く染まる。
「何―――!?」
拘束を外すのは意外と簡単だった。
先ほどまでびくともしなかった腕は俺が引き剥がすとあっさりと外れた。
あまりの抵抗のなさに一瞬呆気に取られるものの、すぐに思い直して長太郎に駆け寄る。
長太郎の身体を抱き起こすと、新たに溢れ出た鮮血が俺の手を濡らし、身体を濡らした。
出血がひどい。だが、かすかだが鼓動はまだある。
切り裂かれた喉から時折空気の洩れる音が聞こえる。
まだ生きてる。
「ごめんな長太郎」
こんな目に合わせて。
俺の親友だというだけで。
「でも、必ず助けるから」
そっと傷口に手を当てると、それは一瞬でふさがる。
だが急激な出血でショック症状を起こしかけてる長太郎を助けるには、普通の癒しでは限界がある。
どうすれば一番いいのか考える前に身体が動いていた。
俺の力を分ければいいのだ。
以前跡部先輩が言っていた。
力のある神魔なら触れるだけで相手の生気を奪うことができると。
だったら逆もできるんじゃないか。
俺の唯一の特技は癒し。
半分は人間だけど半分は神魔の血が流れている俺なら、相手に生気を分け与えることもできるんじゃないかな。
長太郎の頚動脈に触れて、そっと念じてみる。
手のひらに熱を生じ、それが長太郎に流れていくのを感じる。
徐々に赤味を帯びていく長太郎の顔。
安定してくる心音。
多分、もう大丈夫。
となると、残る問題はあと2つ。
俺は長太郎を腕に抱いたまま、忍足先輩を振り返った。
先ほどの余裕はどこにいったのやら、目を見開いて俺を見ている。
忍足先輩に言いたいことは山ほどあるけえれど、まずはこっちが最優先。
「返してもらうよ」
長太郎の魂を。
「おいで」
宍戸先輩の手の中にいる長太郎の魂に呼びかけた。
「こっちにおいで」
戻っておいで、長太郎。
手を伸ばして、そう告げる。
すると、長太郎の魂がふわりと浮かび、俺の方へと飛んできた。
「な……馬鹿な…!?」
俺の手のひらに収まったそれは、最初の光よりもかなり弱まっている。
飛んでくる姿も弱々しいものだった。
多分限界が近かったのだろう。
あと少しで取り返しのつかないところだった。
「ごめんな、早く元に戻りな」
白い球体にそっと口付けると、それを長太郎の中に戻した。
淡い光に包まれた長太郎を地面に横たえて、俺は立ち上がった。
これで長太郎はひと安心。
あとは……。
つかつかと忍足先輩へと歩み寄る。
相変わらず呆然としている忍足先輩。
世の中には言っちゃいけない言葉と同じく、やってはいけないことがあるのですよ。
それを思い知らせないと。
食らえ、黄金の右ストレート。
「教育的指導ー!!!」
ばきぃっ!!
「ぐっ……!!」
ほとんどの人が吹っ飛ばされるほどの威力を持つ俺の右ストレートを食らって、忍足先輩はさすがに飛ばされることこそなかったものの、その威力を受け止めることができず地面に倒れた。
「人間だろうが神魔だろうが、生命を弄んでいいってことはないんだ! そんなこともわからないなんて、あんた一体何年生きてるんだよ!!」
危うく長太郎が死んじゃうところだったじゃないか。
どれだけ力のある神魔だか知らないけど、俺の大切な友達に手をかけた罪は重い。
不二を呼んで天妖界に強制送還させるか、跡部先輩に頼んでこのまま封印してしまうか。
それともすべての力を剥奪してしまおうか。
不二はこの場にいないし、力の剥奪なんてどうやっていいかわからない。
よし、跡部先輩にお願いしよう。
「跡部先輩、この人………先輩?」
何で跡部先輩まで呆然としてるの?
よくよく見れば操られてるはずの先輩たちも、心なしか頬が赤いような…。
何でですか?
「…?」
跡部先輩が喘ぐように俺を呼んだ。
「何?」
「それが、本当の姿か……?」
本当の姿?
いつもの俺じゃん。
ちょっと怒ってるけど、別に変わりはないよ。
「はい」
「うわっ!?」
突然差し出された鏡よりも、差し出した人物にびっくりした。
「ふ、不二!?」
そこにいたのは不二周助。
何でいっつも背後からやってくるの?
気配しなくて怖いです。
「い…いつの間に…?」
「いいから見てごらん」
俺の質問にはスルーですか。
まあ、いいけどさ。
とりあえずみんなが驚いている原因が俺にあるらしいので、差し出された鏡を覗き込んでみる。
何だろ、何か書いてあるとか?
「……………………………………………………誰これ?」
「」
「いや違うでしょう」
思わずそう答えたけど、だってどこをどう見ても別人。
鏡の中には銀の長い髪と銀の瞳の………これが俺?
どうりで頭がやけに重くなったと思ったら…ってそういう問題じゃないだろー!
造りは確かにそうかもしれないけど、俺ってば父さん譲りの日本人特有の黒髪と黒目だったはずなんだけど…Why?
「こうやって見るとは月華様似だよね。似てるっていうよりそっくり」
「いや…あの…そんな嬉しそうに言われても……」
「今日は満月だし、もしかしたらと思ってたんだけど、無事覚醒してくれたみたいでよかったよ」
「覚醒?」
「そう。統治者としての覚醒」
「…あのさ、俺の記憶が確かなら、統治者って代々女性がなるものなんじゃないの?」
「あれ、知ってたんだ」
「母さんから聞いた。ってことはさ、俺じゃどう頑張っても統治者になれないんじゃないの? 俺男だし」
だが不二は相変わらず笑顔のまま。
「うん。だから覚醒」
「………」
にこにこ笑顔の不二とは会話がかみ合わないことが判明。
誰か説明プリーズ。
「だーかーら」
不二の手がすっと俺の胸元を指さす。
そこにはあるはずのないふくらみが2つ。
「………………………………………………何これ?」
「だから覚醒だって言ってるじゃない。統治者の血を継ぐ者は、覚醒すると満月の光で女性になるんだ。天妖界は2つの月が支配する世界だから常に女性の姿をしてるってことになる。だからたとえ男だとしても天妖界にいればずっと女性だから問題ないでしょ」
「……えっと……」
すみません、俺の脳が思考を停止しました。
男だけど……女?
ってことはこの2つのふくらみってばあんまんでも詰め物でもなく、本物ですか?
未知の物体を見るようにじーっと見下ろしてたら、突然背後から大きな手が伸びた。
「へえ、本物じゃん」
「ぎゃーーーー!!!!」
触るな掴むな揉むな!!!
「細いわりに胸も大きいし、結構俺の好みだぜ」
「先輩の好みはどーでもいいー! さっさと離せー! セクハラー!!!」
うわーん!!
結局跡部先輩の腕からは逃れることはできなかった。
忍足先輩からは簡単に抜けられたのに、この違いは一体なぜ?
とりあえず必死の説得の甲斐あってか身体をまさぐられることはなくなった。
背後から腰を抱かれてる状態なので、ヤバイって言ったらヤバイ体勢なんだけど、背に腹は変えられない。
これだけでも精一杯譲歩してくれたらしいんだから。
…いや、もう大変だったのですよ。
この野郎…もとい先輩は人の身体がどれだけ変化したか確かめてやるなんてほざいて、服の中まで手を伸ばし出したんだから。
背後から完璧に密着されてると、さすがに力技に訴えることができなくて、本当にもう大変だった。
その間事態はほったらかし。
長太郎は寝たままだし先輩たちは突っ立ったままだし、忍足先輩は座り込んで呆然としたままだった。
フリーズしたままだったんだよね。
俺が思うのもなんだけど、何で逃げなかったんだろ忍足先輩。
ということでようやく俺の気持ちも落ち着いたので、そろそろ忍足先輩の処遇を決めないと。
「不二、この人強制送還してくれる?」
「あ、無理」
何で!?
「だってさ、あれ見てよ」
あれ、と指さすのは忍足先輩。
座り込んでいる彼の左腕に、細い鎖みたいなものが巻き付いていた。
あれれ?
さっきまではなかったよな。
「何あれ?」
「銀聖鎖って言ってね、統治者の力が具現化したもので、守護者の証の1つ」
………………………………………………。
「つまり、の守護者になっちゃったんだよね、彼」
嘘だろ?
「だって、跡部先輩のときと違う」
「あ〜ん? 俺様とこいつが同じのはずねえだろうが」
「跡部は特別だから。覚醒したのはいいことだけど、僕としてはもう少し力を抑えて欲しいんだけど」
「何や、俺、捕われたんか?」
「まあそういうことだね。これでもう悪さできないよ」
「折角統治者の息子殺して跡部を自由にしたろ思っとったのに、まさか捕われるとは思うてへんかったわ。ミイラ取りがミイラになるってやつやな。まあ可愛えし、俺を捕らえるほどの実力なら跡部が捕われるのも無理あらへんな」
あっさり言うな、そして爽やかな顔するな!
あんたさっき長太郎殺そうとしただろうが!
「そりゃ仕方あらへん。俺らにとって人間なんて駒みたいなもんやし? 安心してええよ。の守護者になったから、そないなこともうせえへんし」
「には俺がついてる。お前はいらねえよ」
「そないなこと言われても、契約されてもうたんやからしゃーないやん。とりあえずのガードは跡部に任せるし、俺はこいつらを守ったるわ」
こいつらっていうのはテニス部のみんなのこと。
つーか危ない目にあわせたのはお前だ。
…あぁ、もうなんかすっごく疲れた。
「不二、質問」
「はいどうぞ」
「神魔ってこんな簡単に考え方変わるもん?」
「契約すると、それまでの自分の価値観じゃなく契約者の価値観に変わるから。今回がいい例でしょ。忍足はを殺すためにの友人を利用したけど、契約を交わした以上決してに害は加えないし、が悲しむことは一切しない」
「そういうもん?」
「僕たちは普通の人間の思考とは違うから」
「そういうこと。これからよろしゅうな。お姫さん」
そう言って忍足先輩は俺の髪の端に口付けた。
「お姫さんじゃないー!」
「だって自分女の子やん」
「俺は男だー!!」
「跡部に食われんように頑張れや」
「ふん、余計なこと言ってんじゃねえよ」
「カムバーーク! 俺の日常ー!!」
「今更なのに」
「せやせや」
うわーん!!
- 04.09.20