ボールを打つ軽快な音が近くなってくる。
それと同時に黄色い声援も近くなってきて、意気揚々とコートに向かっていた俺は久しぶりの状況に思わず回れ右をして帰っちゃおうかなぁとか思ってしまった。
まあ、俺の右腕をがっしりと捕まえている手がある以上、それは不可能なんだけどさ。
「あのさ、長太郎」
「何?」
「そんなにきつく捕まえてなくても、俺は逃げませんのことよ?」
「信用できない」
…あっそ。
それは今から5分前。
最近めっきり日常生活から離れてしまったために心身共に疲れ切ってしまった俺が、いそいそと部活の準備を始める長太郎を見て、ポツリと。
『久しぶりにテニスしたいなぁ』
と口走っちゃったもんだからさあ大変。
あわよくば俺をテニス部に入部させようと、テニス部の入部届けを毎日懐に隠し持っている長太郎がその言葉を聞き逃すはずもなく、現在俺は満面の笑顔を浮かべた長太郎にテニスコートへ連行されているというわけ。
いや、確かにテニス部に遊びにいきたいなとは思ってたよ。
最近運動不足だし。
家に帰っても居候の相手しなきゃなんないし、場合によっては自称『対の伴侶』とか言う守護者の魔の手から逃げなきゃならないし。
ぶっちゃけ家に帰っても疲れるだけなんだから。
だったら気の合う先輩や同級生と青春してたほうが何倍もいいと思ったって誰も怒らないと思う(約1名怒りそうだけど)。
でもさ、こうやって腕を掴まれて連行されていると逃げたくなっちゃうのは何でだろう?
人間の悲しい性とでも言っておこうか。
「逃げないから離してくれない?」
「えぇ〜」
「歩きにくい」
「じゃあさ、代わりに手を繋ごうか?」
「…あのさ、俺と手を繋いで楽しい?」
「うん」
即答かよ。
「もっと、こう『いや〜ん、鳳君カッコイイ〜
』とか『鳳先輩、素敵
』とか言ってくれる女の子の方が楽しいと思うよ俺としては」
「え〜、だって好みじゃないし」
「何が?」
「顔」
「………」
「そんな話したこともない子より、の方が全然いい。だから手を繋ごう」
ええいっ、お前は小学生か!
つーか頬を染めるな! もじもじするな!
ぺしっ、と長太郎の頭をはたいて、早歩きで部室に向かう。
こいつ最近よく壊れるな。
「おっはよーございまーす」
向かう先は正レギュラー専用の部室。
中にいたのは当然の如く3年生。
突然現れた部外者の俺に笑いかけてくれる優しい人たちだ。
「おー、久しぶり」
「宍戸先輩、ちわ」
「元気そうだね」
「滝先輩も元気そうですね」
「相変わらず可愛…」
ゲシッ!
「ぐ……!」
「な〜にか言いましたか、がっくん先輩?」
「…ナンデモアリマセン」
ったく、俺よりがっくん先輩の方が全然可愛いっての。
身長だって俺のが高いんだし。
ちょこっとだけ。
氷帝学園テニス部は全国区だから、正レギュラーともなるともの凄く強い。
試合をしているときは真剣でかっこいいと思うんだけど、普段の彼らは優しくて面白くて変な人たちだ。
「今日もお邪魔させてもらいます」
「なら大歓迎だよ。あとで試合しようね」
にっこり笑顔でそう言ってくれるのは、滝先輩。
普段はすっごく優しいけど怒らせると一番怖いと噂だ。
俺はテニス部員じゃないから怒られたことないので知らないけど、怒らせると般若になるらしい。
一度がっくん先輩に聞いてみたけど、思い出したらぷるぷる震えてたから相当なのかもしれない。
見て見たい気もしないでもないが、自分が怒られるのは御免です。
「長太郎は一緒じゃないのか?」
「おかしくなってきたので途中で置いてきました」
「激ダサだな、あいつも…」
そう言って椅子から立ち上がったのが宍戸先輩。
シャンプーのCMに出れそうなほど綺麗な長髪が、さらりと風に揺れる。
相変わらず見事なキューティクル。天使の輪ができてますよ。
以前触らせてもらったけど、その辺の女の子なんて目じゃないくらいさらさらだった。
うたた寝しているときに編み込みをしたら思いっきり怒られて、それ以来触らせてくれないんだけどね。
折角クラスの女の子に教えてもらったのに。、哀しい…。
「おはようございます…あれ、向日先輩どうしたんですか?」
「おう、長太郎。遅かったな」
「がっくん先輩、そんなとこにしゃがみこんでると通行の邪魔ですよー」
「くそくそ…」
俺のローキックに撃沈したままのがっくん先輩を無視して、ロッカーを空けた。
部員じゃない俺には当然ロッカーもないんだけど、そのロッカーのネームプレートにはしっかりと『』の文字。
適当な場所に荷物置いといても問題はないんだけど、あまりに頻繁に来ていたので滝先輩が用意してくれたのだ。
中を開けると新品のラケット。
……。
………。
…………何で?
それを取り上げて首をひねる。
YONEXのラケットは俺の見覚えのないものだ。
俺の知る限り、YONEXを使ってるのは宍戸先輩だけ。
「あの〜」
「あぁ、それは僕達からのプレゼント」
「はい?」
滝先輩の言葉に余計わけがわからなくなった。
「ほら、っていつも部の置忘れのラケット使うか人から借りるかしてたでしょ。折角実力あるのに他人のラケット使うのもどうかと思ってさ、皆で相談して用意しておいたんだ。選んだのは宍戸だよ」
「みんな…」
うわ〜感動。
宍戸先輩は恥ずかしいのかそっぽを向いてしまった。
「ありがとう! 宍戸先輩〜〜!!」
「うわっ! 離せよ暑苦しい!」
「宍戸先輩大好き」
感激の抱擁と感謝のキスをすると、宍戸先輩は真っ赤になって暴れた。
手にしっかり馴染むラケット。
すっごく嬉しかった。
この感動はやはり身体で証明しなければ。
「宍戸だけ?」
「いえいえそんな、滝先輩にも感謝ですよ」
「どういたしまして」
「がっくん先輩もありがと」
「おう、喜べ」
「ついでに長太郎も」
「ついで?」
「うそうそ、大感謝」
「なら良かった」
やっぱものすごくいい人たちだ。
「うわぁい、早く使いたいな」
「着替えたら試合しようね」
「はいっ」
そうとなったらとっとと着替えないとね。
光の速さでジャージに着替えてラケットを手にすると、扉が開いた。
「岳人、支度まだ出来へんのか?」
現れたのは、見たことのない眼鏡…もとい眼鏡をかけた上級生らしき人。
今時丸眼鏡と思わないでもなかったけど、それが嫌味なくらいよく似合っている。
長太郎ほどじゃないにしても、そこそこ長身だ。跡部先輩くらいかな。
つーか、誰?
「誰やねん自分」
おうっ、俺が思っていたことを先に訊かれてしまったですよ。
自分こそ誰やねん!
「あぁ、忍足は初めて会うんだっけ。この子は。長太郎のクラスメイトでテニス部の客員だよ。、こっちは忍足侑士と言ってね、先週氷帝に転校してきたんだ。僕と同じクラス」
「転校? こんな時期に?」
「侑士はテニスの実力を買われてスカウトされたんだぜ」
「ふ〜ん」
ということは忍足先輩のテニスの実力は相当なものなんだろう。
是非見てみたいな。
「向日とダブルスを組むことになりそうなんだ」
こそ、と滝先輩が教えてくれた。
成る程、あのアクロバティックスタイルをフォローできる実力のある人なんだ。
「初めまして、お邪魔してます」
「あぁ、気にせんといて。こっちこそよろしゅうな」
爽やかな笑顔。感じよさそうな人だ。
差し出された手を握り返そうとして手を伸ばしたらその手がすっと伸びて、あろうことか俺の胸をぺたりと撫でた。
「あ!」
「侑士…!?」
「……」
何事ですか?
「何や…」
残念そうな忍足先輩の声。
「可愛らしい顔してるから女の子やと思ったら、自分男なんやな」
……前言撤回。
ムカつく男だ。
- 04.08.11