何かに包まれている感じ。
何だろう、ひどく安心する。
全身を覆いつくしているような、大きな気配。
それは陽だまりの中にいるような心地好さだ。
この感覚を、俺は知っているかもしれない。
ぼんやりと目を開けたら、そこには跡部先輩の顔があった。
「よう、お目覚めか」
相変わらず綺麗ですな。
「…おはようございます」
「…呑気なやつだな」
先輩が呆れたように笑った。
えらく至近距離なのは、気のせいではないだろう。
多分俺と先輩の顔の距離は、3センチくらい。
見る人が見たらキスシーンに見えなくもない、はず。
というかそういうシーンにしか見えないだろう。
近すぎて焦点が合わないんですけど。
普段の俺なら驚いて飛び起きるところだが、先程の戦闘アンド多量の出血のせいで貧血気味だったこともあり(半分はリョーマの仕業)、飛び起きる元気がなかったのですよ。
それに哀しいかな、男に押し倒される図は慣れてるのだ。
長太郎のせいで。
もっとも長太郎の場合は、この後で強烈なボディーブローか頭上に鉄拳をお見舞いするんだけどさ。
「とりあえず、どいてくれませんかね」
保健室のベッドで男2人が密着している図はかなり痛いのではないかと思う。
「面白くない奴だな」
本当につまらなそうにそう言って、先輩は少し上体を起こした。
起こしたと言っても先輩は寝ている俺の顔の両脇に手をついて、上から見下ろしている。
距離は開いたが、怪しさ倍増って感じで何かいやだなぁ…。
「お前、警戒心ないだろ」
「失礼な、ちゃんとありますよ」
自分にとって危険だと判断したら、当然のことながら自己防衛を取らせてもらいますよ。
「なら少しは警戒しろよ」
「先輩相手に必要ないでしょ?」
俺がそう言うと、跡部先輩は少し意外そうに目を瞠った。
「俺は神魔だぞ?」
「そうでしょうね」
先程の戦闘に乱入してきて敵を一掃してくれたのは、確かに先輩だった。
顔はよく見えなかったけど、あの声と姿は間違いないだろう。
普通の一般人にそんな芸当ができるとは思えないから、先輩は天妖界から逃げ出したという神魔なのだろうと思う。
それも多分かなりの高位にいる神魔だろう。
不二クラスかな? もしかしたら手塚クラスかもしれない。
「そこまでわかってて、それでも俺を警戒する必要ないと? 俺がお前を喰らうために来たとは思わないのか?」
先輩の手が俺の首筋に触れる。
首をしめるというより、頚動脈に触れる。
「こんな細い首、少し力を入れるだけで簡単に落ちる」
ひんやりとした手が、少し熱を帯びる。
「、お前は人が好すぎる。このまま生気を奪い取ることだって簡単なんだぞ」
「でも、先輩はそんなことしないでしょ」
「……」
口元に笑みを浮かべてそう言うと、跡部先輩の手から力が抜ける。
力が目的なら、昨日だってさっきだって奪えたはずだ。
気絶していた俺は何の抵抗もできなかったんだし、先輩のことをまったく警戒してなかったんだから。
なのに先輩は怪我の心配をしてくれたうえに手当てまでしてくれた。
確かに先輩は神魔かもしれない。
だけど、悪意のない神魔だっているはずだ。
不二だって、手塚だって、リョーマだって、元は神魔なんだから。
それに先輩が俺を傷つけるなんて絶対にないって思ったんだ。
だから、信じる。それだけ。
「俺の直感ですけどね」
至近距離で俺を見つめる先輩の目を見つめ返して、俺はにこりと笑う。
先輩はしばらくそのまま俺のことを見つめ、
「…………まいった」
と困ったように笑った。
「ところでリョーマ君は?」
先輩がどいてくれたので、俺はようやくベッドから起き上がることができた。
気がついたら俺の肩の怪我は完治していた。
俺の治癒能力は自分に使えないから、どうやら先輩が治してくれたらしい。
やっぱり親切だ。
「あのチビなら向こうのベッドに寝かせておいた。瘴気が抜けたら動けるようになるだろうよ」
…前言撤回。
俺のことは傷痕すら残さないように治してくれたのに、リョーマは放置ですか。
真っ青な顔で眠るというよりも昏倒しているといった様子のリョーマは、その体格のせいもありとっても痛々しい。
仕方ない、俺が治してしんぜよう。
いそいそとベッドから下りようとすると、くらりと視界が歪んだ。
「無茶をするなよ。怪我は治したけど出血した血は戻らないんだぜ。今のお前には血の量が足りてねえんだ。動くことは勿論、あいつを治すことなんてできねえよ」
よろけた俺の身体を支えてくれながら、先輩はそう言った。
「じゃあ先輩が治してくれればいいのに…」
「あ〜ん、何で俺様が以外にわざわざ力を使わなきゃいけねえんだよ」
「…親切なのは俺限定ですか?」
「当然だろう。何たって俺はの対の伴侶だからな」
……。
『対の伴侶』、って何?
余程間抜け顔をしていたのだろう。
俺の顔を見て先輩が何かを察したのか、その眉間に不機嫌そうな皺が刻まれた。
「何にも聞いてねえのか…。ちっ…月華の奴、に何の説明もしなかったんだな」
「母さんを知ってるの? まさか昔の恋人とか…?」
外見年齢だと有閑マダムと若いツバメという感じだけど、あっちの世界じゃ見目と年齢が必ずしも一致することはない。
何しろ不二だって手塚だって、軽く200〜300年は生きている。母さんに至っては怖くて聞いてない。
だからその可能性もないわけじゃない。
でも先輩はもの凄く、本当にものすっごく嫌そうに否定した。
「冗談じゃねえっ、何で俺と月華が付き合わなきゃいけねえんだ! 気色悪い!」
気色悪いって…一応俺の母親なんですけど。
「あいつとは…そうだな、腐れ縁というのが一番近いかもしれないな」
「ふ〜ん」
ってことは先輩はいくつなんだろう。
「それで『対の伴侶』って?」
伴侶って言葉がすっごく気になるんですけど…。
「そのうちわかる」
「本人にも秘密ですか?」
「ま、簡単に言えば、『お前は俺のもの』ってことだな」
…簡単すぎです、跡部先輩。
「それにしても、お前本当に力使えないんだな」
「使えませんよ。きっと父さんの血が濃いんでしょうね」
あの父さんの血が濃いというのも嬉しくないが。
「仕方ねえな。俺が守ってやるよ」
「はい!?」
「逃げ出した神魔は、これからもお前のところへやって来るぞ。そのときどうやって身を守るつもりだ。まさか、また今回みたいに無鉄砲にぶつかっていくつもりじゃないだろうな」
「これからも来るって、どうして言い切れるんですか」
もしかしたらもう二度と現れないかもしれないじゃないか。
「…お前、自分がどれだけの価値があるか、わかってるか?」
「全然」
つーか、価値あるの?
「…まったくお前は。お前を喰らえば、それだけで統治者に近い力を手にすることができるんだ。それが無理でも人質にとれば、月華や守護者は手を出せない。ましてお前は身を守ることもできないときた。これで狙わない神魔はいないだろう。そして今回もわかっただろうが、守護者の力はこっちの世界だと半減される。雑魚ならいざ知らず、神魔と戦うには不利だな」
「う……」
俺って役立たずなだけでなく、足手まといなわけ?
さすがにへこむかも…。
自分の身は自分で守るって言っておきながら、今回この体たらくだし。
俯いた俺の頭に、大きな手が乗った。
「先輩?」
見上げると、そこには温かい先輩の笑顔。
手がするりと下りてきて、俺の頬に添えられる。
「俺が守ってやるよ」
「え…?」
「お前を狙うすべてのものから、俺が守ってやる」
「なんで…」
「さあな。返事は?」
「あ…うん」
初めて見る極上の笑顔に、一瞬言葉の意味がわからず俺は頷いてしまった。
「、駄目!!」
突然響いた声に顔を動かすと、そこには上半身を起こしたリョーマがいた。
「あ、リョーマ。起きたん、だ……!?」
振り向いた俺の顎を、先輩は力ずくで自分の方に向き直させた。
ぐきっ、という音がしたのは気のせいではないはずだ。
抗議の言葉を発しようとした俺の目の前に綺麗な顔が迫ってきたかと思ったら、いきなり口を塞がれた。
突然の展開に呆然としてしまい反応が遅れた。
押しのけようともがくが俺の顎を掴む力は強く、広い胸に抱きしめられて身動きもできない。
「んっ……」
深くなる口付けに、頭の奥が霞がかってくる。
ヤバイぞ! こいつ慣れてる!!
誰か、助けろ!!
「ちょっと、アンタ! から離れなよ!!」
ぼふっという音とともに、先輩の頭に枕が命中し、俺はようやくその腕から逃れることができた。
ぜいぜい。苦しかった。
サンキュー、リョーマ。
「てめえ、何しやがる」
「それはこっちの台詞。に手を出すのやめてくれる。俺が狙ってたんだからさ」
…いま、何か変な言葉を聞いたような……。
すると先輩はそんなリョーマを鼻で笑った。
うっわー、嫌味。
「遅かったな。こいつは俺のもんだ」
はいー!?
「いつの間に?」
「契約はすませたぜ。ほら」
そう言って、先輩は俺の髪をかきあげる。
「白金の耳環…ということは、あんたがの……」
「ま、そういうことだ」
わけがわからない俺とは対照的に、リョーマが悔しそうに歯噛みした。
俺の問題のはずなのに、何故か俺だけ蚊帳の外だ。
説明しないと暴れるぞ。
「耳に触れてみろ」
無言の脅迫が功を奏したのか、先輩がそう言った。
耳…?
「何か、ある…」
渡された鏡で見ると、俺の耳にはそれまでなかったピアスがついていた。
銀色に輝く繊細な模様の入ったそれは、中央に小さな石がついていた。
いつの間についたのか俺の耳で見事な輝きを放つこれは、もしかしてもしかしなくてもダイヤモンドですか?
「守護者の証だよ」
「そういうこと」
「うわっ!?」
声と共に不二と英二が出現した。
頼むから普通に扉を開けて入ってきてくれ、心臓に悪いから。
「守護者? だって俺契約してないよ?」
「、さっきそいつの言葉に頷いたじゃん。あれが契約の承認で、その後相手の身体に触れることで契約は成立するんだよ」
「まあ、略式だけどね。間違ってないから」
触れる…?
ってあのキスですか?
目で訴えるとリョーマが頷いた。
「マジ、ですか……?」
そんな簡単でいいのか?
「ちぇ〜、俺だっての守護者狙ってたのに」
「そうだね。残念だよ」
「てめえらの詰めが甘いんだよ」
「まさか跡部が来てるとは思わなかったからね。油断したよ」
「卑怯にゃ」
あれ?
友好的とは言いがたくても、どう考えても初対面もしくは敵同士とは思えない会話が交わされているのに疑問を持つ。
だって、不二は脱走した神魔を追っているわけで、跡部先輩はその神魔なわけで…。
「知り合い?」
「あぁ、は合ったことなかったっけ? 彼は月華様に最も近い能力を持つ神魔だよ。守護者の契約はしてないけど、敵じゃない。もっとも完全な味方というわけでもないみたいだけど」
「誰の守護者にもなるつもりはないって言ってたのに、ちゃっかりこっちに来てるなんてさ。しかも俺たちに内緒での守護者になるなんて、ずっこいぞ」
「ふん」
何か厄介ごとが増えたような気がするんだけど…。
まあ、何とかなるか……な?