保健室の扉をぶち破って姿を現したのは、なんとも不思議な生き物だった。
「うっわ…、ホラー…」
泥人形というかゾンビというか、とにかくそんな感じ。
しかも団体さんでご登場。
「何何なにこれー!? うぎゃー! 気色悪いー!!」
一応人間の形はしてるみたいだけど、全身がどろどろに溶けてて見ていて気持ち悪い。
人間が溶けたというよりも、骸骨を泥で加工したような外見だ。
窪んだ眼球の中は空洞なのに、何故か赤く光っている。
「リョーマ! お前の結界役に立たないじゃん!」
「仕方ないよ。俺結界作るの苦手だもん」
ええいっ、威張って言うな。
『見ツケタ……』
地の底を這うような低い声が、そいつから漏れた。
赤く光る目が俺の姿を捉えている。
というかしっかり名指しですか。
うわぁ、嬉しくない。
泥人形は俺を見てにやりと笑った。
そのまま室内に入ってこようとして、一歩踏み入れた途端大きく弾かれてうめき声をあげる。
リョーマの結界は一部が破られたものの、まだその効力は発揮しているようだ。
目の前に極上の餌(俺のこと)があるというのに、結界に阻まれて手が出せないことがすごく悔しそうだ。
ぎりぎりと歯噛みしている。
どうでもいいことだけど、こいつに歯があることが判明。
って呑気に観察してる場合じゃないよ。
『守リ人ノクセニ生意気ナ』
感情のない声。どこか機械的なその声に、なんとなく違和感を感じる。
いや、外見が変なのは見てわかるんだけど、もっとこう、何というか…。
そう、強そうじゃないんだよ。
「ふ〜んしゃべれるんだ。そこそこ知能はあるみたいだね」
リョーマが不敵に笑う。
「もっともそのくらいの力がなくちゃ、俺の結界を壊すことなんてできないか」
「…なあ、リョーマ」
「何?」
「こいつ、変」
「そりゃ変だよ。妖魔だもん」
いや、そういうことじゃなくて。
「なんていうか、操り人形って感じがする…」
リョーマが訝しそうに俺を見る。
こいつにリョーマの結界を破るほどの力をこいつが持っているとは思えない。
いくら苦手だと言っても、リョーマの実力が妖魔相手にに劣るはずはないだろう。
その程度の力で守護者になれるわけがないし、第一母さんが俺のところに来ることを許可するとも思えない。
母さんも結構な親馬鹿だから。
となるとこいつが見た目よりも強い妖魔か、それとも裏で操っている黒幕がいるかということだ。
ほとんど勘なんだけど、俺の勘ってば意外と当たるんだよね。
「操り人形…?」
リョーマの意識がそいつに向けられた時だった。
バシッ!!
何かが弾けるような音がして、俺たちを取り巻いていた空気が一瞬で消えた。
「結界が、消された…?」
リョーマが信じられないといったように呟いた。
どっと入ってくる濁った空気に、思わず袖口で口元を覆う。
「瘴気…」
「これが瘴気…うわっ、気持ち悪い!」
思わず叫んじゃったけど、本当に気持ち悪い。
ざらっというかねっとりというか、音にするとそんな感じ。
聞いたことはあるけど、実際に見たのは初めてだ。
全身にまとわりつく負の空気に、鳥肌が立つ。
人間界の空気だって天界に比べたらかなり悪いっていうのに、この空気はそれの比じゃない。
俺は一応父さんがこっちの人間ということと、長年こっちに住んでいるということで耐性がついてるんだろう。
気持ち悪いとは思うけど、身動きできなくなる程じゃない。
もの凄い空気の悪い場所に入り込んだ感覚がするだけだ。
一瞬で広がったそれは、俺よりもリョーマの方に影響があった。
天界で生きる者にとって、それは毒でしかない。
さらにリョーマは人間界に来たのも初めてだから、負の空気に対して耐性がほとんどない。
吸い込んだのはほんのわずかだったのだろう。
だが、耐性のない身体にそれだけできつい。
「リョーマ!?」
ぐらり、とリョーマの身体が傾いた。
慌てて支えると、額にびっしりと汗をかいている。
う…わ、ヤバいかも。
「平、気……」
「平気じゃないだろ。死にそうな顔色してるぞ」
外傷じゃない場合、俺の特殊能力は通用するんだろうか。
とりあえず額に触れてみるけど、反応は薄い。
効き目がないわけじゃないと思うけど、通常よりも効果は期待できないだろう。
この状況で治癒に専念できるはずもないし。
「ちょっと瘴気に当てられただけ…。少しすれば回復するから」
鬱通しそうに俺の手を払いのけて、リョーマは立ち上がろうとした。
「!?」
ふと俺の背後に視線を移し、リョーマは血相を変えた。
「!!」
差し伸べられた手が俺に触れるよりも前に、リョーマの身体がふわりと浮いて、そのまま激しく床に叩きつけられた。
「ぐっ!!」
「リョーマ!?」
「なかなかしぶといものだ」
「!!」
いつの間に現れたのか、目の前に男の姿があった。
褐色というよりは黒に近い肌の色。
闇色の髪。黒い衣に身を包んだその姿は、まるっきり影のよう。
爛々と光る赤い目と、にやりと笑う口元に見える犬歯が闇の中で異様に際立っている。
ざわり、と鳥肌が立った。
間違いない。こいつが黒幕だ。
ぞっとするほど整った顔立ちからして、かなりの力を持っていることがわかる。
おそらく神魔クラスじゃないだろうか。
「お前がか」
「…だったら何か?」
「我に力を貸せ」
「嫌です」
きっぱりはっきり即答した。
どう考えても「2人で協力してよりよい世界を作りましょう」とか「俺と一緒に温かい家庭を作ってくれ」とかいう話じゃないと思うし。
いやそうでも困るんだけど。
とにかく、その提案が俺にとって良いことであるはずがない。
だから協力できない。単純な結論だ。
「…ならば死んでもらおう」
言い終わると同時に、泥人形が一斉に襲ってきた。
「うわー!! 近寄るなー!!」
背後から襲ってきた一体を蹴り倒す。
すると蹴った部分がこそげて飛んでいった。
べしゃっという嫌な音がしてそれは壁にぶち当たり、そこからまた新たな泥人形が出現した。
何こいつ?
もしかして細胞分裂……もとい増殖するわけ?
ってことは俺ってば何もできないじゃんかっ!!
男が小さく笑った。
「隙だらけだな」
「!」
ザシュッ!
肉を斬る嫌な音がして、肩に激痛が走った。
一瞬で背後にしのび酔った男の鋭い爪で、肩口をざっくりと切り裂かれたのだ。
「統治者の息子だというから期待していたが、何と他愛のないことだ」
男が軽く手を振るだけで、指先から生じたかまいたちによって俺の皮膚が切り裂かれていく。
最初の一撃に比べ、傷は浅い。
じわじわといたぶろうというつもりだろうか。
何とか反撃の手を考えるけど、力のない俺では到底勝ち目がない。
リョーマは先程の衝撃と多量に浴びてしまった瘴気のせいで、すでにフラフラ状態だ。
意識はあるみたいだけど、動くことができない。
ヤバイ。
……俺ってば、絶体絶命?
「さて、あまりいたぶっても可哀想だ。そろそろ楽にしてやろう」
男の手が俺に向かって伸ばされた。
振り上げた手が下ろされたとき、それが最期だろうと思った。
だが―――。
「仕方ねえなぁ」
やけに皮肉げで、でもどこか嬉しそうな声が聞こえた。
「!?」
その直後、結界に亀裂が走り、そこから閃光が差し込んだ。
光に触れた泥人形が、一瞬にして蒸発していく。
「何!?」
「人のものに気安く手を出してんじゃねーよ」
不機嫌そうな声と共に、まばゆい光が迸る。
「―――――!!」
男は声もなく光に呑まれた。
それはあまりにもあっという間の出来事だった。
一体何が起こったんだ?
味方? それとも新たな敵?
まったく判断ができない。
足元から力が抜けて床に座り込んだ俺の前に、誰かが近づいてきた。
かつん、と足音がして長い足が俺の目の前に現れた。
「誰…?」
顔を見ようとして、急に気色が歪んだ。
そういえば大量に出血してたんだっけ。
「やば、貧血……」
そして意識がブラックアウトした。