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Fairy tale 第1章 03


――寂しい思いをさせてごめんね

母さんの声。
気にしないでよ。母さんには母さんの立場があるんだから。
そう、一緒に暮らせないのは仕方ない。
子供のわがままで大切な人を困らせてはいけないってことくらい分かってるから。

――は、強い子だね

違うよ、強くないよ。
だって……






「あれ?」

目を開けたら、そこはベッドの中だった。
と言っても自分の部屋じゃなくて、保健室の簡素なパイプベッド。
道理で寝心地がよくないと……いやいや。
えっと、状況の整理でもしてみましょうかね。
確か体育の授業でテニスをしていたんだよな。
そしたら長太郎のノーコンサーブが、俺の顔めがけて飛んできて……。
俺は慌てて自分の顔を両手で触ってみる。
痛いところは特になし。オッケー!
代わりと言っちゃあ何だが、後頭部がもの凄く痛いから多分そこにボールがぶつかったんだろうけど、とりあえず顔面ヒットだけは避けられたようだ。
よかったよかった。
長太郎のサーブは時速200kmを越すとか越さないとか。
あんな球が顔面にぶつかったら、本当にお婿に行けなくなっちゃうよ。
顔は男の命ですとか言うつもりは全然ないけど、傷なんて作ったらせっかくまともな顔に産んでくれた親に申し訳ないじゃないか。
そして、本当に長太郎にお嫁に貰われちゃうかも。
それは嫌だ。絶対嫌だ!

「目が覚めたか?」

そんな恐ろしい状況を想像して1人で焦っていた俺の頭上から、静かな声がかかった。
おや?
保健の先生とは似ても似つかない声に顔をあげると、そこにはえらく綺麗な顔の人がいた。
泣き黒子と、その上にある自信に満ちた強い瞳が、ひどく印象的だ。
誰だろう、先輩かな?
高校生と言われても違和感ないほど大人びている。

「あの〜?」
「あぁ、校医は席を外している。俺は用があって偶々ここに来たら、お前についているように言われただけだ」
「そうなんですか。それはお手数をおかけして申し訳ないです」
「気にするな。それより授業中倒れたそうだな。大丈夫か?」
「倒れたというか、倒されたというか……
「はあ?」

どうやらこの人は先生から何の事情も聞いていなかったらしい。
俺が事の顛末を説明すると、先輩(多分)は面白そうに口の端を持ち上げて笑った。

「ドジだな、お前」
「そう言いますけどね、時速200km近いボールなんて、簡単によけられませんよ」

しかもよそ見してたし。
逃げようと反応しただけでも褒めてくれ。

「まだズキズキするよ」

鈍い痛みどころじゃないぞ、これ。
まったく馬鹿になったらどうしてくれるんだ。
長太郎には後で何か奢ってもらおう。
痛む場所を触ってみると、でっかいコブになっていた。
本気で中身が心配になってきた。無事なんだろうか、ちょっと心配。
可哀想な俺の後頭部。
よしよしとコブを撫でていると、先輩がタオルを持ってきてくれた。

「生憎氷をきらしてるみたいでな。こんなもんでも、ないよりはマシだろう」

どうやら濡れタオルを冷凍庫で冷やしておいてくれたようだ。凍ってないけど、普通に濡らしたタオルよりも冷たそうだ。

「ありがとうございます」

タオルを受け取ろうと手を伸ばすと、先輩は枕元までやってきて俺の肩に手を置いた。
何だろうと思うよりも前に、ひんやりとした感触を後頭部に感じる。
おぉ、意外と優しい。
そう言えば先生の代わりにずっとついててくれたし、一見他人なんてどうでもいいタイプに見えるのに、実は面倒見がいいんだ。
タオルの冷たさが気持ちいい。
痛みが和らいでいくような感覚に、俺がうっとりと目を閉じていると、先輩がくすりと笑うのがわかった。
ちらりと上目遣いで見ると、にやにやと笑って俺を見ている視線とぶつかった。

「…何ですか?」
「お前って感情が全部顔に出るんだな」
「根が素直なんですよ」
「単純の間違いじゃないのか?」
「むかっ」
「本当のこと言われて悔しいんだろ」
「そんなことないですよ」

面白そうに笑う先輩と軽口を叩き合う。
初対面なのに話しやすい。
俺ってば基本的に人見知りしない性格だから、年が離れている人だろうと平気で話せるんだけど、そうじゃなくて……。
懐かしい感じ、っていうのかな。先輩を取り巻く雰囲気が、俺の知ってる人たちを彷彿させるんだ。
そのせいかな、初対面って感じがしないのは。

!!」

終了のチャイムが鳴って少しすると、もの凄い勢いで保健室の扉が開いた。
想像通り、現れたのは長太郎。授業終わったらすっ飛んできたらしく、当然着替えてもいない。
扉はもう少し静かに開けようよ長太郎君。壊れるぞ?

「跡部先輩……?」

その勢いのまま保健室に入ってこようとした長太郎が、俺と先輩を見て驚いたように固まった。
不思議そうに俺の隣にいる先輩を見ている。
なるほど、この人は『跡部』先輩というのか。
どこかで聞いたことがあるような、ないような。
…う〜ん、思い出せん。
長太郎のノーコンサーブのせいにでもしとこう。

「迎えが来たようだな。大したこともないようだし、もう戻っていいぞ。校医には俺が説明しておく」
「ありがとうございます、……跡部先輩」
「……お前、俺の名前、今初めて知ったろ」

ぎくっ!!

……?」

金縛りから解けた長太郎がベッドに近づきつつ、俺に不審な目を向ける。
まさかそんなことないよね、とか言いそうな顔だな。
でもなぁ。
知らなかったのは事実だし。

「……バレました?」
「思いっきりな」
「あ、あははははは……」

笑ってごまかしてしまえ。

さあ……」

長太郎が呆れたようにため息をついた。

「興味がないことにはまったく関心がないのはわかるけど、跡部先輩の顔を知らないのは学校中でもくらいだと思うよ?」
「何で?」
「跡部先輩は、うちの学校の生徒会長
「何ですとっ!?」

そんな有名人だったとは!!
っていうか長太郎の言う通り、生徒会長の顔くらい知っておけよ俺!
やっぱり笑ってごまかすか?

「まさか俺様を知らない奴がいるとはな」
「すみません」

俺の特技は人の顔を覚えないことなんです、とは言えない。
言ったら怒られるだろう、勿論長太郎に。
一度話したことのある人は覚えるけど、そうでない人は全然駄目。
何しろ噂話にはまったく興味がないし。

「別に謝らなくてもいい。……お前、って言ったな」
「2−6のです」

遅ればせながら自己紹介。
氷帝の生徒数を考えると、当然先輩は俺のことを知るはずがないから。
でも、そうじゃなかった。

「あぁ。お前があのか」
「あの、って……?」

先輩が俺のことを知っていたことにも驚いたけど、それ以上にその形容の仕方が気になった。

「…お前、自分が有名人だという自覚はあるか?」
「全然、まったく、ありませんね」

きっぱりと答える。
だって俺はごく普通の一般生徒。部活にも入ってないし役職にもついてないし。
何か目立つようなことしたか?
長太郎が額を押さえてるけど、何でだろう。

「俺の耳にもお前の噂は色々届いてるぜ」
「うわさ?」
「一見大人しそうなのに、実はかなり気が強いとか。売られた喧嘩は倍で買うとか」

げっ!

「倍じゃなくて3倍です

長太郎がすかさず訂正する。しなくてよろしい!!

「1年の時、体育の三村にセクハラされて、かかと落としを決めた話は有名だな」
「あれでうちのクラスの体育の担当、変わったんですよね」

かかと落とし……。そんなことしたような……。
つーかセクハラって何だよ!?

「あれはっ! 柔道の授業で押さえ込みされて苦しかったのに、離してくれなかったから…!!」

白帯に黒帯が勝てるわけないのに平気で締め技使ってくるから、つい怒りのあまり足が出ちゃったんだよな。
それにしても…。

「俺ってそんなに有名なんですか?」
「色んな意味でな」

色んな意味?
すると、跡部先輩がにやりと笑った。
何かいや〜な予感がする。

「知りたいか?」
「遠慮します」

思わず即答。
だって、絶対いい話じゃない。
俺の勘がそう告げている。
先輩は楽しそうに笑うと、椅子にかかっていた俺のジャージをぽんと放り投げた。

「早くしないと昼飯食う時間なくなるぞ?」

はっ! いけない!
俺は慌ててベッドから下りた。
思ったより頭の痛みは和らいだ。先輩のお陰かも。

「んじゃ、ありがとうございました。跡部先輩。お礼はまた改めて。さあ長太郎、昼飯の時間だ! 急ぐぞ! ハリーアップ!!」

先輩にぺこりと頭を下げると、俺は長太郎の腕を引っ掴んで走り出した。
成長期の身体に、1日3回の食事は大切なのですよ。あまり身長伸びてないけど。

「またな」

俺の背中に、面白そうに笑うそんな声が届いた。
何だか気に入られたみたいだ。