どうしてこんなことになったのだろう。
テツヤはここ半年で劇的に変化した己の境遇の原因がどこにあるか考えてみた。
何の変哲もない日々を過ごしていただけだった。
学校に行って勉強をして部活動をして。
ごく一般的な高校生活を送っていただけだったはずなのに、気が付いたら裏稼業の男に囲われて同性に抱かれる日々。
ようやく解放されたと思いきや今度は人質だ。
一体テツヤがどんな悪いことをしたというのだろうか。
普段は足を運ばない繁華街の裏路地に迷い込んでしまったことがテツヤの運命を狂わせたというのなら、あまりにも理不尽過ぎて何を後悔して良いのかわからない。
過ぎてしまったことを今更穿り返すのは趣味ではないがそれでも何故と思ってしまうのは、テツヤの手の中でずしりと重量感を示す鉄の塊のせいだ。
テレビ画面の中でしかお目にかかったことのない代物。
幼い頃からバスケと読書しか興味のなかったテツヤはモデルガンはおろか玩具の拳銃すら手にしたことがなかった。
記憶にあるものと言えば水鉄砲くらいだろうか。それもプラスチック製だったので酷く軽かったのを覚えている。――――本物はこんなにも重いのか。
何度か見たことがある刑事ドラマでは犯人も刑事も簡単に銃口を相手に向けていたけれど、生憎テツヤにはできそうもない。
経験はなくても知識としてこれが軽々と人の命を奪えてしまう代物だということは知っているし、威嚇にしても恐ろし過ぎるものを相手に突き付けるなんて無理だ。
だからこそテツヤはそれを毛布に隠すようにしっかりと握りしめた。
男―――灰崎は護身用として渡してくれたのだ。
逃げ出すための手段に使うことも考えられたが、足枷がついているため逃亡は不可能だし、何よりもこのような修羅場を経験したことのないテツヤが三人の見張りの目をかいくぐって逃亡できるとは到底思えなかった。
視線の先には明らかに堅気ではない屈強な男の姿。
幸い今はテツヤのことなど興味が失くしたように雑談を交わしている。
テツヤは静かに聞き耳を立てていた。
「あと30分かあ。本当に来るんだろうな、キセリョ」
「さあなぁ。アイツが来るっつってんなら来るんだろうよ」
「こっちには人質もいるし、来るんじゃね?」
「だけど、キセリョだぜ? 目の前で女が殺されようが眉一つ動かさなかったあの冷徹な男が、こんな貧相なガキに釣られるとか、俺は信じられねーんだけど」
「基本的に人にも物にも執着しないもんな。半年以上続いたのって、このガキくらいじゃねえの」
「あいつの特別って言ったら、赤司とか青峰くらいしか思いつかねえわ」
「同感。だからってあの2人を人質にするなんてリスクが大きすぎて無理だし、お気に入りが堅気のガキって言うのも信じられないけど、赤司のところは一般人巻き込むのアウトだから意地でも来るんじゃね?」
「キセリョの不祥事で一般人が巻き込まれたら赤司の顔に泥を塗るも同然だもんな。まぁ、こっちはそれが目的なんだけどさ」
「赤司には前から散々な目に遭わされてるからな。若造のくせにでしゃばりやがって何様だってんだ」
「つーか、あいつら全員まだ20代だろう。あいつらが生まれる前から俺たちゃこっちの世界で生きてたってのに礼儀が足りなさ過ぎるんだよな。あの高い鼻っ柱叩き折ってやらなきゃ気が済まねえ」
「生意気な若造には年長者の敬意ってもんを教えてやらないとな」
テツヤの存在を忘れたかのように男たちは缶ビール片手に下卑た笑みを浮かべている。
話の内容から彼らが黄瀬というよりは黄瀬を含めた彼の仕事関係者たちに対して恨みを抱いているようだというのは理解できた。
表も裏も社会のことに関して学生のテツヤは知識がないが、どうやら彼らは黄瀬の上司である「赤司」という人物が僅か数年で台頭してきたのが気に入らないようだ。
「赤司」という人物がどのような手段で企業を大きくしてきたかはわからないが、出る杭は打たれるという言葉もあるように長年こちらの世界に生きてきた彼らにとっては面白くないことなのだろう。
だが「赤司」に直接手を出すのは怖くてできないため、比較的狙い易い部下の黄瀬を選んだのだろう。しかもテツヤという人質を取るという卑劣な方法を取って。
(ヤクザの勢力争いですか)
理解できれば湧いてくるのは困惑ではなく怒りだ。
元々テツヤは大人しいけれど気弱ではない。むしろ我の強さはかなりのものだし、沸点は低い自覚もある。
黄瀬に唯々諾々と従っていたのは最初こそ恐怖によるものが大きかったが、借金という契約があったからだ。
提示された条件に対してどのような形であれテツヤが頷いた。そんな関係だから大人しく従っていたのが大きい。勿論、ここ最近で芽生えてきた感情には敢えて蓋をした。
黄瀬は契約という形でテツヤを束縛していたけれど、2人の関係に彼が裏稼業であることを脅しに使ったことは限りなく少ない。そもそも出会いの事情が事情だったために使わざるを得なかったためであり、あの現場をテツヤが目撃していなければ使う必要もなかっただろう。
テツヤが黄瀬と一緒にいる時は一緒に外出することも多かったが、外での黄瀬はどこからどう見ても一般の人間だった。
他人とトラブルを起こすことも威嚇することもなく、困った人には親切に声をかけられれば笑顔で応対するという、誰がどう見ても好青年そのものだ。
彼らのようにいかにもその筋ですと言った印象は見えず、況してや言動にも表さなかったものだから目の前で柄の悪さを主張している男たちの姿はテツヤには恐ろしいものというより醜悪なものにしか見えない。
比べる相手が悪いのかもしれない。だがテツヤが知っている裏社会の人間といえば黄瀬と青峰くらいしかいないため判断材料は彼らしかいないのだ。
黄瀬がテツヤに対して行った数々の所業は決して褒められたことではないし卑怯で非道だとわかっているが、それでも彼はテツヤを手に入れるために家族の安全を盾に脅すようなことはしていない。
紛れもなく脅迫ではあったが、それはあくまでもテツヤ自身のことであり、どのような状況であれ決めたのはテツヤだ。
だからこそ、自分の命運を他人に左右されるなんてことは認められない。
自分の人生なのだから自分で選ぶ権利はあるはずだ。
理解できない状況に巻き込まれたせいで麻痺していた脳内は、糖分を補給したせいかかなり明確に動くようになっている。
勿論小柄なテツヤが大の男三人を倒すことは不可能だし、以前より低下してしまった体力では得意のミスディレクションを使ったとしても逃げ切ることは難しいだろう。
だがテツヤはお姫様ではないので、助けが来るまでただ待っているだけなんてできない。
男たちに気取られないようにスラックスの裾を探る。手に触れる細い金属がそこにありテツヤはさりげなさを装ってそれを外した。
手の中にあるのは安全ピン。
今日の部活で着替えの際にふざけていて裾が破れてしまったのだが、応急措置として安全ピンでとめておいたままだったのが幸いした。
ふと友人の言葉を思い出した。
―――なあ、知ってる? 安全ピンって結構万能なんだよ
確かあれは部活の合宿中のことだった。
就寝時間までの自由時間に部活仲間で雑談をしていた時に、そういえばと友人が話してくれたのだ。
彼は携帯していたソーイングセットの中からマチ針と安全ピンを取り出し、この小さな針金が色々なことで役に立つのだと告げられた。
知っておいて損はないよと言われて器用にロッカーの鍵を開ける友人の手元を見ていたためやり方は覚えている。
特に目立つことのない大人しい友人がどうしてそのような方法を知っていたのか不明だが、教えてもらった方法がまさかこんな形で役に立つとは思ってもみなかった。
足枷の鍵は玩具の手錠についているようなシンプルなタイプで、単純な造りだからこそやってみる価値はある。
黒子テツヤは非力な御姫様ではない。
助けを待って怯えているだけなんて御免だ。
男たちの視線がこちらを向いていないことと毛布で身体のほとんどが隠れていることを良いことに、テツヤは自分を繋いでいる鎖を静かに引き寄せた。
タイムリミットはあと30分。
◇◆◇ ◇◆◇
「だーかーらー、話が違うって言ってんだよ!」
倉庫の駐車場に停めておいた車の中で灰崎は怒鳴った。
元々気乗りのしない仕事だった。
堅気の子供を質にして気に入らない男を罠に嵌めたい。
そんな話に素直に乗る人間がいたら、それは間違いなく外道だろう。
とは言え灰崎も道に則った生活をしているかと言われれば答えることはできないが、それでも流石にそこまで腐ってはいないという自負があっただけに、その依頼は正直腹に据えかねた。
だがつれなく断ることはできない事情がありやむなく引き受けたのだが、やはりというか案の定というか依頼相手は予想以上に最低な男だった。
事が終わるまで人質には指一本触れるなと言っておいたにも関わらず、灰崎が交渉で離れた途端に人質を襲おうとするわこっそりと薬を使って廃人にしようとするわで開いた口が塞がらなかった。
人質本人が薬漬けにされる寸前だったことに気が付いていなかったのは幸いだったが、そのため男たちに人質を任せておけなくなり灰崎が人質の世話を見ることになった。
彼らの用意する水にも食べ物にも何が混ぜられているかわからないので灰崎がコンビニで食料を調達してきた。
何の躊躇いもなくおしるこドリンクとまいう棒を手に取ったのは条件反射だ。他意はない。
お陰でテツヤ本人から怪訝そうな顔をされてしまったのは忘れたい記憶である。灰崎の好みではないとだけ伝えておけば良かっただろうか。どちらでも大差なかったことは考えてはいけないような気がする。
灰崎が男たちから頼まれていた仕事はターゲットを呼び出すまでなので、本来ならばすぐに帰ってしまっても良かったのだが、交渉相手である黄瀬と人質であるテツヤとの関係が終了しているという話を聞いてしまってはそうすることもできない。
ただでさえ黄瀬のお気に入りということでテツヤは目を付けられてしまっている。
ついでに言えば中性的な美少年に男たちの下世話な好奇心が疼いているのに気が付いてしまったものだから余計に帰ることが出kなくなってしまった。
タイムリミットは連絡してから一時間。
そろそろ半分の時間が経過するが、黄瀬が到着する気配は未だない。
黄瀬が自宅マンションにいたと考えれば、間もなくやってくるだろう。
もし仮に呼び出した黄瀬が時間内に来なければ、間違いなくテツヤは無事では済まない。
堅気の子供一人死のうが生きようが灰崎にとってはどうでも良いことだが、自分が関わったせいで1人の高校生の未来が狂うことになるのはあまり気分が良いことではない。
どちらにしろ人質の安全に考慮するようにと別口の依頼を受けてしまっている以上、全てが終わるまで離れることはできないのだが。
(面倒くせーよなー)
偽らざる正直な感想はこの一言に尽きた。
仕事だからきちっとやるのは当然だが、本当に面倒臭い。
何でこんな貧乏くじを引いてしまったのかと愚痴ることが出来る相手は生憎海の向こうだ。
行って来いと笑顔で背中を蹴り出してくれた年上の仲間の顔を思い浮かべ脳内で出来る限りの罵詈雑言を浴びせておいた。本当にやったら五体満足では済まないので、あくまでも脳内のみである。
ややしてスマートフォンの向こうから聞き慣れた声が聞こえてくる。
内容はいつもと同じ。つまり無理難題だ。
「はぁ?! っざけんなよ、おいっ! 何で俺がそんなことしなくちゃ―――借り? 嘘つくな、お前に借りは全くないぞ。虹村さんから許可済――? ………あのおっさんマジぶっ殺す」
『そういうわけだからよろしく。あぁ、黒子テツヤに何かあったらただじゃすまないから』
「ちょ―――待てよ、それは俺じゃなくてリョータにだな………………あの野郎、切りやがった」
忌々しそうに舌打ちをして通話を終了させるとポケットに放り込んだ。
当初の予定と代わって随分と面倒な展開になりつつあることに苛立ちを隠せない。
こういう雑事が面倒で国を出たというのに、あちらでもこちらでも結局灰崎が貧乏くじを引く羽目になるのはどうしてだろう。
関わった人物に原因があるのか、そういう人物のみと関わる自分に原因があるのか。
「はー、やだやだ。俺も可愛い子に癒してもらいたいもんだね」
裏社会のギスギスした空気は決して嫌いではないが、あまりにも理不尽なことばかり続くと純粋無垢な相手に癒してもらいたいと思うのは男ならば当然だろう。
その証拠のように裏稼業の男たちはかなりの確率で動物を飼育している。
犬だったり猫だったり小鳥だったり。
ごつい男が家に返れば小さな動物相手に猫撫で声を出しているのは結構シュールだが、そうでもしなければやっていられないというのが偽らざる本音だ。
黄瀬がテツヤを選んだのも、おそらくそういう理由からだろうと灰崎は思っている。
気は強そうだが見るからに善良な少年だ。
中性的な容姿は確かに可愛らしいと言えなくもないし、運動部に所属しているとは思えないくらい華奢な体躯は少女と言っても通用するだろう。
そのへんの女性など目ではない程に白い肌も、空気に透けてしまいそうに薄い色素も興味深い。
何よりもあれだけ黄瀬が執着しているということは、それだけで稀有な存在だと言っても良い。
それほど長い付き合いでもないが黄瀬の外道っぷりは良く知っているのだ。
身体の相性、性格、容姿、それら全ての好みが気分によってコロコロ変わる黄瀬なので、長く続いた女性というのは皆無に近い。
基本的に一度抱いてしまえばそれっきりということが多い中で、半年以上もの期間―――それも週に2〜3回も逢瀬を重ねるのは、はっきり言って奇跡だ。
しかも調べさせた情報によれば、週末は朝から夕方までずっと一緒に過ごしているらしい。
テツヤのために惜しげもなく金を使い、貴重なオフを常に一緒に過ごし、況してや自宅に呼び寄せている。
灰崎が知る限りで黄瀬がそこまで入れあげた女性はいない。
それどころか家族や仲間内でもなかったはずだ。黄瀬は人懐こく見えて警戒心が強いのだ。
そこまで黄瀬に執着されているテツヤという少年に興味が湧かない方が可笑しいだろう。
「ま、俺には関係ないけどな」
刻一刻と減りつつあるタイムリミットを眺めながら煙草に火をつけたその瞬間。
「――――――――っ?!」
暗い倉庫に数発の銃声が響き渡った。
すぐに脳裏をよぎるのは、怯えた目をした子供の姿。
傍を離れる際に威嚇の意味も含めて銃を渡したのは灰崎の独断だった。
自ら命を絶つようなタイプには見えなかったし、素人が銃を扱えると思わなかったから渡したのだが―――。
「くそっ」
少々軽率だったと己に舌打ちしながら灰崎は裏口から倉庫に入る。
まず、目に飛び込んできたのは叩きのめされた状態で床に沈んでいる三人の男。
いずれも一撃でやられたらしく抵抗した形跡はない。
そして視線を動かしていく。
つい数十分程前まで震えて毛布の中に蹲っていた子供の姿はそこにはない。
無造作に放り投げられた鎖と足枷だけが残されていた。
ゆっくりと視線を彷徨わせた灰崎は、この場にいなかった人物の姿を発見した。
投げ出された長い足。
左の肩から背にかけてじわりと赤に染まる白いシャツ。
小柄な少年を全身で守るように抱きしめた男が、冷たいコンクリートに横たわっていた。
- 14.01.22