若い頃から傍若無人と言われてきた。
恵まれた体躯、優れた運動神経。野性的な、だが整った顔立ち。
そして何よりも―――神から愛された天賦の才。
自身が『特別』だと言われるのは慣れている。そして遠巻きに見られるのも。
それを寂しいと思ったことはなかった。つまらないと思うことは多かったけれど。
青峰大輝はそんな子供時代を過ごし、そうしてそのまま大人になった。
違うところと言えば、種類こそ違えど同じような境遇だった『天才たち』と行動を共にするようになったことだろうか。
天才の中に紛れてしまえば己もただの『一個人』となる。
それを教えてくれたのは、自分と同年の青年だった。
同年ではあるが、同等だとは決して思えないカリスマ性を持った青年――――赤司は、良い意味でも悪い意味でも青峰が太刀打ちできないと認めた相手だ。
中学で知り合い高校で一度離れ、そして大学卒業後に再び縁が繋がった。
そのまま行動を共にしていれば、気が付けば人生の半分以上を共に過ごしていた。
親しい友人として。そして何よりも絶対的な雇用主として。
青峰は赤司が経営する会社の社員である。
表向きは飲食部門の経営本部長。限りなく黒に近い灰色の飲食店の運営を任されている。
経営に関しては素人同然だが、野生の勘が働くらしい青峰が目を付けた物件は大抵において黒字経営になるため赤司の評価は高い。
ここ最近は経営の幅を広げようとする赤司の要望を叶えるために奔走していた青峰は、新たに立ち上げようとしている新規事業の草案を赤司に提出するべく久しぶりに赤司のマンションを訪れた。
企業家として多忙を極める赤司が会社に出勤することは稀だ。
取引先との会議や会談は勿論のこと、必要とあらば国内外問わずに飛び回っている赤司を捕まえるには、出張から帰ってきたばかりの自宅に赴くのが一番だと青峰は経験から知っている。
自宅に戻るのは20日ぶりだから必ずいるだろうと睨んだ通り、インターフォンを数回押せば応答があった。声が不機嫌なのは覚悟していたので気にしない。
『――――何の用だ?』
「例の草案、持ってきたぜ。急ぎだろ?」
『―――――――入れ』
カチャリ、とオートロックが外されて青峰は扉を開けた。
半年前に引っ越したばかりの頃に足を踏み入れた以来だったが、思ったよりも生活感があって安心した。
自宅を留守にすることが多い上に自分のことには無頓着な赤司だから、もしかしたらまだ日用品すら揃えていないのではないかと思ったのだが、どうやらそんなことはなかったようで生活必需品の類はきちんと揃っていた。
おそらく側近の誰かが揃えたのだろうことは十分に想像できる。赤司好みの色彩なのでおそらく実渕あたりだろう。
玄関を上がりリビングへと足を進める。
赤司はソファーに座っていた。
身に纏っているのがバスローブなのはシャワーを浴びたからだろう。
生乾きの髪から察するに、おそらくシャワーを出てすぐ青峰がやってきたといったところだろうか。
皮張りのソファーで寛ぐ赤司の前に封筒を付きつける。
受け取った赤司が無言で読み進めている間にキッチンへ移動し冷蔵庫から飲み物を探す。
赤司が客をもてなすことは稀なので、欲しいものがあれば自分で動くのはいつものことだ。
ワインセラーには年代物の秘蔵品が冷えていることは分かっているが、今の時刻は午前十時だ。
流石の青峰も朝から飲酒をするつもりはない。
無難にミネラルウォーターを選択してリビングに戻れば、赤司は満足そうに口元に笑みを浮かべながら草案を読んでいる。どうやら及第点は貰えたらしい。
「ふぅん、悪くないじゃないか」
「まあな。そいつのせいでここ最近碌に寝てないんだからな。気に入ってもらわなきゃ困る」
「大輝の見る目は確かだからな。このまま進めてくれ」
「へいへい。店で働く女は俺の一存で決めて良いんだな」
「構わない。ただし、バストサイズだけで選ぶことだけは止めてくれ。店の品格が問われる」
「やんねーよ。モデル事務所に何人か良いのがいそうだから、そこから選んでみるわ」
「任せるよ」
ふわりと笑う赤司に苦笑を返して踵を返そうとした青峰は、赤司の声で引き止められた。
「そういえば」
赤司の思わせぶりな言葉はあまり良くない前兆だ。
返答を間違えれば厄介なことになるのは経験上知っている。
満足そうに草案を眺めていた赤司の視線が青峰に向けられる。
色違いの双眸がひたりと青峰を定める。
赤司と知り合って人生の半分以上が経過するが、相変わらずこの目は苦手だ。
何もかも見透かされる感じがしてならないのだ。そしてそれは多分気のせいではない。
「涼太は随分と可愛らしい人形にご執心のようだね」
「………………」
「ふふ、誤魔化さなくてもいい。別に咎めようというわけではないよ」
赤司がサイドテーブルの引き出しから数枚の写真を取り出しテーブルに放り投げた。
そこに写っていたのは高校生くらいの少年だった。
随分と影の薄いらしく写真でも若干ピントが合っていないようだが、それでも顔の確認には支障がない。
色素の薄い水色の髪の少年。儚い容貌は見覚えがあった。名前は確か――――。
「黒子テツヤ……」
数か月前に不都合な場面を目撃された、あの高校生だ。
見られた代償として口止めときつめのお仕置きをしたのだから覚えている。
珍しく純朴な少年だと、ほんの少しの憐憫を抱いたのだから忘れるはずもない。
彼が大人しく口を噤んでいる限り二度と交わることがないと思っていたのだが、渡された写真の二目には黄瀬と一緒に黄瀬が所有するマンションに入っていく姿が映っている。
更に三枚目は夜の公園で情事に耽っている写真だった。
木の幹に縋るように腕を回し、黄瀬がその小さな身体を背後から貫いている。
羞恥に耐えながら快感に流されている少年の顔は何とも言えずに淫靡で、その嬌声すら聞こえてきそうな絶妙なアングルだった。
以前に見た拒絶と恐怖に満ちた表情ではなく快楽に蕩けている表情は、この関係がずっと続いていたことが容易に想像できる。
確かに黄瀬はあの少年に執着しているように見えたが、今も関係が続いているとは流石に思わなかった。
ここ最近姿を見ないとは思っていたが、基本的に自分の仕事をきちんとこなしていれば煩く言われない職場なので気付きもしなかった。
そもそも黄瀬が誰と付き合おうと興味はないのだ。
あれだけ女性受けする顔をしているのにわざわざ男――――それも年端もいかない少年に手を出すのは物好きだとは思うが。
そういえばあの少年の泣き顔は中々クるものがあった。
随分前に観た本番の映像を思い出せば、黄瀬の気持ちも分からなくはない。
「別に涼太が未成年を囲っていようと美少年に嵌っていようと僕は構わない。仕事に支障が出ないならね。ただ、あいつは短慮だから相手に被害が及ぶ可能性を考えていない。最近おおっぴらに外に連れ出しているようじゃないか。自分がどれだけ多くの恨みを買っている存在か、理解していたら絶対にしないと思うけどね。どうでも良い存在か、それすら忘れるほど惹かれている存在か――――。涼太が気づいていないようなら、お前が気を付けてやれ。覚悟がないのに堅気の子供をこちらの世界に巻き込むな」
「――――――了解」
監督不行き届きだと言わんばかりに射抜かれ、青峰は背筋に冷ややかなものを感じた。
何故そこまで赤司が過敏になるのか、青峰には分からない。
赤司が黄瀬の交際関係について口を出したことなど一度もない。
黄瀬はあの外見をしているだけあって女性からアプローチされることが多く、今まで交際した女性遍歴は一緒に行動することが多い青峰ですら把握していないほど乱れている。
同業者だったこともあればモデルや芸能人だったこともある。人妻も珍しくないし、高校生と付き合ったことだって一度や二度ではない。
男ということが問題なのかと考えるが、どうやらそういうわけでもないらしい。
理由はわからないが赤司の言うことももっともなので青峰は素直に頷いた。
玄関を出る際、何気なく振り返った視線の先で赤司が寝室に戻るのを見遣り、そういえば赤司が現在囲っている相手も確か高校生だということを思い出した。
もしかしたら同じ高校なのだろうか。そしてその相手に何か言われたから口を出したのか。
そういえば赤司は今の恋人を溺愛しているという噂がある。確認したことはないけれど。
「………まさかな」
己の考えを一笑に付して、青峰は帰路についた。
◇◆◇ ◇◆◇
天気が良いからと途中で車を降りて公園にやってきた青峰は、設置されているバスケットゴールの前で1人の少年が必死でシュート練習をしているのに気が付いた。
最初に気付いたのは音だった。
そしてこの公園にストバスのコートがあることを思い出した青峰が視線をそちらへ向けると、何やら小さな影がうずくまったりジャンプしたりしていた。
「あいつ……」
小さな影だと思ったそれはつい先程写真で見た水色の髪の少年――――黒子テツヤであり、部活用のジャージ姿のまま何度もシュートを放っては失敗している。
バスケが大好きなのだと見ているだけで分かるものの、残念ながら才能には恵まれていなそうだ。
基本は完璧、だがどうしてかシュートが入らない。
学校の授業で習っただけでももう少し上手いのではないかと思う程だ。
これで学校ではバスケ部に所属しているのだというから驚きだ。
だが一生懸命な人間は嫌いではない。特に世の中の汚いことに慣れてしまった今では、純朴なスポーツ少年は眩しいものでしかない。
ふと、ボールがリングに跳ね返ってこちらへと転がってきた。
慌てて追いかけてくる姿を眺めながらボールを拾い上げれば、つられるように視線を上げた少年と目が合った。
人形のような顔立ちだと青峰は思う。
表情が乏しく感情が読めないのだ。こういうタイプは珍しい。
だが、青峰の姿を認めた瞬間に表情がさっと強張った。
どうやら覚えているらしい。
黄瀬ほどではないにしても青峰の姿は少年にとって恐怖の対象であろう。それだけのことをした自覚はあるが、こうして怯えられるのはあまり面白くない。
懐かしいボールの感触につい口元が緩んだ青峰は、一歩ずつテツヤへと近づいていく。
ほんの僅か腰が引けてはいるものの、テツヤはその場から逃げ出さずに立っていた。胆力はあるようだ。
「なぁ、お前、シュート苦手なのか?」
ボールを指先で弄びながらテツヤにそう問いかければ、暫く躊躇った様子を見せたものの小さく頷いた。
「シュートだけでなく、ドリブルも苦手です」
「マジかよ? それで誠凛のレギュラーやってんのって逆に凄くね?」
「僕はパサーなので………」
「あぁ、なるほど」
特殊なタイプの選手ということらしい。青峰には理解できないが、そういう選手も必要なのだろう。世の中すべてが天才ではないのだから。
ボールを返してほしいけれど言葉にするには度胸が足りないらしいテツヤは、先ほどから一定の距離を保ったまま動かない。おそらく青峰がボールを投げてくれるのを待っているのだろう。
「なぁ」
「………はい」
「俺が教えてやろうか?」
「――――――え?」
青峰はそう告げるとボールを無造作に放り投げた。
大きな弧を描いてゴールネットを揺らしたボールを、テツヤが信じられないといった様子で見送った。この程度のことは朝飯前だ。たとえ十年以上ボールに触れていなくても身体が覚えている。
「これでも学生時代はそれなりに名の知れた選手だったんだぜ」
更に受け取ったボールで豪快なダンクを決めてみせれば、テツヤの瞳がキラキラと輝いた。
子犬のようだなと青峰は思った。
◇◆◇ ◇◆◇
子犬のようだと感じたのは間違いではなかったらしい。
あれからアリウープや3Pシュートを決めてみせれば、最初の警戒などどこへ行ってしまったのかと言わんばかりに走り寄ってきた。
大きな瞳をキラキラと輝かせ、どうすればいいのかとかどうやって投げたのかとか矢継ぎ早に聞いてくる姿は、まさにわんこ。それも黄瀬のような大型犬ではなく室内で飼われる小型犬の類だ。
どうやらテツヤはパスに特化したせいでシュートフォームでもパスの時の癖が出てしまうらしい。
それを矯正するには時間が足りなく、そして矯正した結果パスにも影響が出る可能性が否定できないこともあり、テツヤの特性を活かしたまま使えるシュートフォームを模索することになった。
幸いというかテツヤはバスケに対しては非常に貪欲なので練習は全く苦にならなかったらしい。
今も部活終了後だというのに暗くなるのも気にせず只管シュート練習に励んでいる。
コツがつかめてきたのか何度かシュートが成功するようになった頃合いを見て、青峰は練習を終了させた。
一目見て分かるように小柄で貧弱な身体だ。スタミナもないだろうし、オーバーワークは身体を壊す原因になるので根を詰めるのも良くないのだ。
「ありがとうございます。青峰さん」
「大輝で良いっつってんのに」
「年上を呼び捨てにはできません」
体育会系の上下社会か、それとも持って生まれた年功序列の精神か、テツヤは頑なに青峰を「さん」付けで呼ぶ。
ほんの数時間だが何となく親しみを感じていた青峰にとっては距離を感じる呼び方に不満はあるものの、第一印象の通り頑固だったテツヤが呼び方を変えることはなく、結局根負けしたのは青峰の方だった。
まぁそれなりに懐いてもらえた自信はあるので呼び名の変更は次の機会に取っておくことにしようと、赤司に警告されたことなどすっかり忘れて青峰は次にテツヤに会うための理由を探していた。
柔らかい髪をくしゃりと撫でれば子供のように笑う姿が何とも言えずに可愛らしく、つい悪戯心を出して頬にキスをしてしまったのは昨年までいた外国での習慣が出てしまったためだ。決して他意はない。
だが―――――――。
「―――何、やってるんスか」
低い、地を這うような声が背後から聞こえた。
地獄の鬼もかくやと言わんばかりの低音に驚いて振り返った青峰の前にいたのは黄瀬涼太。
見事なまでに据わった視線はテツヤの頭上に置かれている青峰の手に向けられてる。
「黄瀬、さん……」
「おう、黄瀬。偶然だ――――」
和やかに挨拶しようと思ったのは一瞬、あからさまな殺気を向けられて言葉が続かない。
黄瀬が青峰に敵意を向けられるのも初めてなら、殺意を向けられたのも初めてだった。
何が原因かなんて聞くまでもないだろう。
「――――行くよ」
「痛っ」
テツヤの頭上から青峰の手を払うと、そのままテツヤの腕を掴んで去っていく。
身長差があるためテツヤは半ば引きずられるように後を追う。荷物は置いたままだ。
おそらく青峰は黄瀬の逆鱗に触れてしまったのだろう。
数か月前は決して見せなかった執着を感じて青峰は呆然と後ろ姿を見送る。
赤司の言葉を聞いた時は、何もそこまで大袈裟なと本気にしていなかったが、今ならわかる。あの執着は良くないものだ。
あれほど余裕のない黄瀬を始めて見た。
青峰でさえ分かるのだから、黄瀬の弱みを握ろうとしている者が見逃すはずないだろう。
黄瀬を狙うより遥かに楽なテツヤが狙われるのは間違いない。
自分達が生きているのはそういう世界なのだから。
切り捨てるのは簡単。だが、もし見捨てることができない程執着しているとしたら――――?
「これは、厄介なことになりそうだ」
青峰は小さく呟いた。
- 14.01.16