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黄瀬パパとテツヤくん5


授業が終わると図書室で時間を潰すのがテツヤの日課だ。
特に今週は図書委員の当番ということもあり、テツヤは受付に座りゆっくりと本を読んでいた。
利用者が少ないのは進学校としてどうかと思わなくもないが、心行くまで本の世界に没頭できる時間は正直嫌いではない。
テツヤは部活に所属していない。
中学時代はバスケ部に所属していたが、高校に入ってまで続けようとは思わなかったのだ。
母校である帝光中学が全国一の実力を誇っていたこともあるかもしれない。
常勝が基本となってしまったバスケは、正直楽しいとは思えなかった。
高校で誠凛を選んだのは亡き両親の母校であるという理由もあるが、バスケ部もあったことが理由の1つだったはずなのに、両親が在籍していた頃に比べて格段にやる気がなくなっているバスケ部を見て入部する気はなくなった。
バスケは楽しくやるものという自論を持つテツヤだ。
勝つためならどんな作戦も使うという帝光の方針も好きではなかったが、形だけの部活動となったバスケ部に在籍するのははっきり言って苦痛にしかならないだろうと判断したのだ。
帝光中のバスケ部で一軍に属していたテツヤを当然のことながらバスケ部は勧誘したが、テツヤが入部すれば練習しなくても勝てるだろうという皮算用が見え隠れする部長の声は、残念ながらテツヤの心に少しも響かなかった。
両親の先輩だという監督から入部しないかと誘われていたけれど、この状況ではどうやってもテツヤが望むバスケが出来るとは思えない。
丁重に断りを入れたところ「やはりね」と半ば予想していたであろう反応を返されたことを見ると、彼女もテツヤの入部は期待していなかったのかもしれない。
そもそもテツヤはバスケが好きだが、部活というこだわりは一切持っていなかった。
身内である黄瀬は現在こそ第一線から退いて久しいが、友人である青峰大輝は現役のプロバスケ選手である。
他にも実業団に在籍している現役選手が知人にゴロゴロいるのだ。
自宅の庭にバスケットコートが設置されていることが証明しているように、いつでも好きな時にバスケが出来る環境が整っている。
そしてテツヤが望めばどれほど疲れていようと1on1の相手をしてくれる養父がいるのだ。
頻繁に遊びに来てくれる紫原や緑間、赤司たちもかつての天才バスケット選手である。
学校の部活レベルでは味わえない白熱した試合が楽しめるのだ。
あえて部活動に拘る必要はないとテツヤが思うのも無理はない。

何よりも運動部に所属すれば帰宅時間が遅くなってしまう。
そうすると家事をする時間が減ってしまい、最終的には家族で過ごす時間すらなくなってしまうだろう。
それだけは避けたかった。
テツヤは養父と2人暮らしだ。
だがその自宅は芸能人の邸宅と呼ぶに相応しくそれなりの敷地面積があるので、掃除はかなり大変なのだ。
望めば家政婦なりハウスキーパーなり雇ってくれるだろうが、テツヤも黄瀬も自宅に他人が入ることを好まない。
以前、まだテツヤが小学生の時だったが、丁度仕事が忙しくなってきた黄瀬を思って事務所が家政婦を派遣してきた。
幼いテツヤの食事の支度や掃除洗濯など、仕事で外泊が多かった黄瀬のフォローのつもりで用意してくれた家政婦は確かに有能だったが、それ以上に詮索好きでもあった。
入るなと厳命してあった黄瀬の私室に侵入したり、黄瀬の私服を勝手に持ち出したり、養子であるテツヤに「もらわれっ子」という差別的な表現を発したりとあまり良い人物ではなかった。
幸い様子を見に来た赤司がその仕事ぶりを目撃して黄瀬に連絡して速攻解雇となったのだが、それ以降テツヤも黄瀬も、そして彼らを取り巻く友人たちもこの家に第三者を入れることを認めなかった。
ここは2人にとって侵して欲しくない聖域だ。
見知らぬ他人がやってきて我が物顔で振る舞うのも、2人が大切にしている思い出に土足で踏み込んでこようとする人もお断りである。
勿論全ての家政婦がそういう人でないことは知っている。
彼女が例外だっただけであり、家政婦と呼ばれる職種に就いている人の多くが自身の仕事に誇りを持って働いていることなど重々承知だが、一度経験してしまった以上拒絶反応が出るのは仕方ないと言わせてもらいたい。
何よりも幼いテツヤに告げられた暴言が黄瀬も友人たちも許せなかったのだ。
テツヤは自分が多くの人から愛情を受けていることを知っている。
彼女の言葉など実際ほんの少しも気にならなかったのだが、言われたテツヤ以上にショックを受けていた周囲を考えれば、広い家を掃除する労力など苦にもならない。
つい先日、少しでも楽になるならばと友人たちから贈られた某円形の掃除用ロボットたちが予想以上にお役立ちしているということも大きい。
あの掃除機実際あまり役に立たないんじゃないかと思ってごめんなさいと、テツヤはこっそりと充電中の掃除ロボットに頭を下げたのは秘密である。

そんなわけでテツヤは家庭の事情を理由に部活動には所属していない。
どうしても所属しなければ文化部のどこかに所属して幽霊部員を決め込むつもりでいるが、生憎この学校の教師はテツヤの家庭環境を知っているため無理に入部を進めてこないので助かっている。
チャイムの音が鳴り響き、委員の仕事がもうすぐ終わることを告げていた。
テツヤは読んでいた本にしおりを挟み、下校の準備を始める。
本日返却された本は手続きを済ませて棚へ戻してあるため、やることと言えば本当に少ない。
窓の施錠を済ませ、忘れ物はないか机を調べ、そして誰も残っていないことを確認して司書の先生に終了の旨を伝えると、テツヤは静かに扉を閉めて廊下へと出た。
運動部はまだ部活をしているだろう。
自主練をしている生徒も多いし、まだまだ残って練習を続ける部もあるかもしれない。
テツヤは笑顔で身体を動かしている生徒を眺め下足に履き替えて正門へと向かった。
今日はまだ黄瀬はロケから戻ってこない。
順調ならば明日か明後日には帰ってくるだろうが、それでも時刻は深夜か明け方だろう。
1人きりの食事は慣れたとはいえ、やはり味気ない。
だが食は生活の基本だと言われて育ったテツヤは、市販の惣菜を買うという概念がない。
コストパフォーマンスも悪ければ味付けも微妙なのであまり好きではないのだ。
面倒だけれど簡単に食べられて栄養価の高い食事とはと考えながら歩いていたせいで、目の前にどどんと停車している黒塗り高級車に気付くのが遅れた。

「僕を無視して帰宅かい。随分とつれないじゃないか」

そのまま通り過ぎしようとしたテツヤを引き止めたのは、テツヤが物心つく前から他人に傅かれている姿しか見たことのない赤司征十郎だった。

「赤司さん」
「折角会いに来たというのに無視されると寂しいな、テツヤ」
「すみません。夕食のメニューについて考えてました」

素直に謝罪すると、後部座席に座っている赤司がくすりと微笑んだ。

「そんなことだろうと思ったよ。今日も涼太はいないんだろう。1人で食事も味気ないし、良かったら僕に付き合ってくれないか」

どうやら黄瀬のスケジュールは赤司には把握済だったらしい。
もしかしたらテツヤのことを心配して黄瀬が赤司に連絡をしたのかもしれない。
キセキの仲間たちはテツヤのことを気にかけてくれているけれど、その中で群を抜いていると言えば家族である黄瀬を抜かせば赤司である。
プロ棋士という仕事と同時に企業の取締役という二足のわらじを履いているというのに、赤司はどこで時間の都合をつけてくるのか頻繁にテツヤに会いに来てくれる。
しかもそういう時は大抵黄瀬がロケや仕事で外泊を余儀なくされている時だったり、テツヤの体調が優れない時だったりするから、彼の来訪はいつも助かっている。
今日もそうだ。
あまり食欲がないために簡単な食事で済ませようと思っていたことまでばれているとは思わないが、それでも食が細いテツヤを心配して来てくれたのだろう。
テツヤは笑顔で車に乗り込んだ。










「さて、テツヤは何が食べたいんだい?」

赤司からこう切り出されてテツヤは逡巡した。
遠慮をしているわけではない。
ただ、赤司は世間一般的というカテゴリーから外れた相手なので返答に困るのだ。

そう、最初の被害は5年前。
何も知らなかったテツヤは「中華が食べたい」と答えた。
美味しい餃子が食べたかったのだ。
だが、笑顔で了承した赤司は何故か自宅にパスポートを取りに戻り、そのまま上海へと連れていかれた。
餃子は食べられなかったが、本場の料理はとても美味しかった。

2度目の被害はそれからひと月後。
前回で懲りたのでテツヤは「ラーメンが食べたいです」と告げた。
味噌ラーメンが食べたかったのだが、それを告げたら北海道へと連れて行かれた。
本場の味噌ラーメンは確かに絶品だった。

3度目はそれから半年後。
何を言っても遠方に連れて行かれるのだと理解したテツヤは、ここは無難にと「赤司さんのおススメの店が良いです」と言った。
それなら都内だろうと思ったのだが、車が向かった先はまさかの京都。
外国人VIPも御用達という老舗高級料亭で10万円という懐石料理を馳走になった。
赤司が安い店に行くはずがないということを失念していたテツヤの落ち度である。

そんなことが続いたテツヤは、齢15歳にして和洋中どのマナーも完璧である。
ついでに言えば高級店での応対も慣れたものである。
慣れた手つきで舌平目のムニエルを食しているテツヤのナイフ捌きを見て「俺が教えたかったっス」と嘆いた養父の涙は忘れられない。
ついでに赤司のドヤ顔も。

過去の数々が思い出され、テツヤは悩んだ。
何が食べたいかと言われると美味しい豆腐料理が食べたかったりするのだが、それを告げたらまず間違いなく京都行き決定である。
赤司は高校・大学と京都に居住しており、その頃から贔屓にしている店があるらしく、何かあると京都へと足を運んでいる。
テツヤも京都は嫌いではない。
だが夕食を食べるためだけにわざわざ片道数百kmを移動する必要はないと思うだけだ。

「都内で、魚介の美味しいお店が良いです」

悩んだ挙句、テツヤはそう答えた。
この際値段は気にしてはいけない。
黄瀬もそうだが、赤司も相当稼いでいるのだ。
むしろ遠慮すると拗ねてしまうので、こういう時は甘えるのが一番だろう。
テツヤの言葉に満足そうに頷いた赤司は、運転手に銀座へと向かうよう指示を出した。

連れてこられたのは銀座でも一・二を争う高級寿司店だった。
赤司の嗜好を考えれば当然だろうが、幼い頃から高級品ばかり食べているテツヤは味覚がずれてしまうのではないかと若干不安を感じている。
常日頃から黄瀬にそう告げているテツヤではあるが、マジバのバニラシェイクを至高の逸品だと信じて疑っていないテツヤにその心配は無用だと黄瀬は本気にしていない。
余談だがマジバのシェイクは母であるテツナも大好物だった。遺伝子恐るべしである。

「それで、今日は随分と元気がないじゃないか」

目の前にずらりと並ぶ新鮮な魚介を前に舌鼓を打っていたテツヤに、赤司が唐突に切り出した。
食欲はあるようなのでそれほど深刻な悩みではないだろうと思ったのか、赤司の声は明るい。
テツヤは頬張っていた刺身をゆっくりと咀嚼して首を傾げた。

「元気なかったですか? 特にいつもと同じだと思うんですが」
「僕の目を誤魔化せると思わない方がいい。それとも自分で気づいていないだけかな。学校から出てくるテツヤの目はとても寂しそうだったよ」
「それは…父さんが留守だから」
「会いたくなった?」

揶揄かうように言われて頬に熱が集まるが、事実なので小さく頷いた。
我ながら子供のようだと思う。
芸能人である養父が忙しいのは良いことなのだが、それでも今月は既に半分が経過しているというのに黄瀬が自宅にいたのは僅か5日だ。
どんなに遅くても帰宅してくれれば顔を見ることくらいできるのだが、遠方にロケやら撮影やらで出かけてしまうとそれすらできない。
広い家に1人でいるのが寂しいという理由も勿論あるが、何よりも心配なのは黄瀬の体調だ。
モデルをしていただけの頃はそれほど忙しくなかったが、俳優業に転向してからというもの黄瀬の仕事量は多忙を極めていた。
それだけ人気があるということは喜ばしいことだが、睡眠時間すら削る仕事量はいつか体調を壊すのではないかと心配である。
特に黄瀬は食の好みが激しくて、ロケ弁のような揚げ物を多く使った料理を好まない。
これは黄瀬の好みというより、テツヤの好みを中心とした食生活をしていたためなのだが、肉より魚、動物性蛋白質より植物性蛋白質を好むテツヤによって、自宅で揚げ物が出ることがあまりなかったためと思われる。
勿論そんな風にテツヤを育てたのは紛れもなく目の前の赤司なのだが。
更にここ数年はロケ弁ではなくテツヤの手作り弁当を持参していたものだから、おそらく今頃黄瀬はテツヤの料理が恋しくて泣いていることだろう。
今朝も電話で似たようなことを言われたから、もしかしたら碌に食事を摂っていないかもしれない。
そう思うとどうしても気になって仕方ないのだ。

素直にそう告げるとおおよその予想はついていたのだろう、赤司がふふと笑った。

「まったく、どっちが保護者かわからないね」
「心配なのは食生活だけです。だって、僕に食事は大切だって教えてくれたのは赤司さんですよ」
「そうだね。涼太がテツヤに付き合うのは分かってたから、上手くいけば涼太の食生活も改善できると思ってたけど、思わぬ弊害が出たようだ。テツヤの愛情籠った料理を食べていたら、確かにスタッフが用意するカロリーだけが高くて味は二の次な弁当など食べられないのも無理はないよ」

くすくすと笑う赤司は楽しそうだ。
実際黄瀬の偏食については赤司は中学時代から苦労していた。
成長期の男子なのだから腹持ちの良いものが食べたいのも無理はない。
だが、栄養バランスが偏るのはよろしくなかった。
合宿の際にも食トレを幾度か行ったが、それでも黄瀬の偏食は治らなかったのでこれは頑固そうだと思ったけれど、まさか子育てで自分の偏食を直してしまうばかりか生活改善まで行ってしまうとは。
黄瀬がどれだけテツヤを溺愛しているか、過去を知っている赤司だからこそ良くわかる。
そしてその愛情を一身に受けて育ってテツヤの気持ちも、赤司にはまるっとお見通しだ。

「それで、元気がないのは涼太の食生活が気になるからだけじゃないんだろう」
「それは……」
「顔に書いてあるよ。『一人寝は寂しい』って」
「っ?!」

途端に頬を押さえるテツヤの何と可愛らしいことか。
本当に顔に書いてあるわけではないことなど承知だろうに。
本当にテツヤの行動は1つ1つが母であるテツナを思い出させる。
尤も、どちらかと言えばテツナの方がクールだった気がするが。
ここまで純粋に育てたのは、間違いなく黄瀬の功績だ。

(可愛いものだ)

幼くして両親に先立たれ、親戚からも引き取りを拒否された子供。
これだけを見ればテツヤはとても不憫な子供だろう。実際黄瀬が引き取った時もマスコミはお涙ちょうだいと言わんばかりにテツヤを可哀相な子供扱いした。
だが実際はどうだ。
親戚が難色を示したのをチャンスとばかりに黄瀬が真っ先に養父の座に立候補した。
ほんの僅かな時間で赤司は名乗り出るのが遅かった。
そして子育てに足る環境を検討した結果、裁判所は黄瀬に親権を渡したが、それに悔し涙を流したのは赤司だけでない。
それだけ多くの人がテツヤと家族になりたいと願ったのだ。
本当にあの時邪魔をしてくれた本家に対する怒りは未だに治まっていない。
いくら学生であっても赤司がその気になればテツヤを引き取ることは可能だったのだ。
だというのに、実家の格がどうのと難癖をつけて赤司の足を引っ張ったせいで、テツヤの苗字は『黄瀬』なのだ。
上手くいけばこの愛らしい口から「お父さん」と呼ばれていたのは自分かもしれないと思えば、やはりあの時本家は完膚なきまでに叩き潰しておくべきだったと悔いが残る。
勿論それなりの報復はさせてもらったのであの時のように株価を暴落させたりはしないが、今度赤司の足を引っ張るような真似をすれば容赦なく本家を潰すつもりではいる。
そのための細工は既に完璧だ。
くすりと笑って、赤司は茶を飲んだ。
未成年と一緒なので飲酒は当然ながら控えている。
テツヤは構わないと言ってくれたが、折角の極上の素材をアルコールで麻痺した舌で味わうのは勿体ないので辞退した。
そうして笑った赤司をどう捉えたのか、テツヤが不服そうに唇を尖らせた。

「だって、まだ夜は寒いんです」
「テツヤは寒がりだからな。何なら今日は僕が一緒に添い寝してあげてもいいんだよ」
「結構です。赤司さんが泊まるなら客間を用意します」
「つれないな」

ぷいとそっぽを向いたテツヤは、どうやらかなりへそを曲げてしまったらしい。
テツヤは大人しいし淡白に見えるが、その中身はとても寂しがりだ。
常に大人に囲まれて愛情を受けて育ったのだ、それも無理はないだろう。
だが、中学を上がった頃からテツヤは黄瀬以外の大人へのスキンシップを控えるようになった。
本人曰く「もう大人になるんですから」と言っていたが、その時のドヤ顔が子供のそれで皆が笑った。
どうせ冗談だろうと思っていた大人たちは、有言実行とばかりにスキンシップを止めたテツヤに誰もが悲しんだ。
あの時からかって悪かったと平謝りする大人たちに、「だって僕は大人ですからね」とぷんすか怒りながら前言を撤回しなかったテツヤは本当に男らしい。そして大人たちは咽び泣いた。

現在、テツヤが唯一スキンシップを許すのが養父である黄瀬だけだ。
黄瀬が自宅にいる時などはぴったりとくっついて離れない。
そんなテツヤだから余計に寂しいのだろう。
代わりにならいくらでもなるのだが、生憎テツヤが求めているのは黄瀬なのだ。
本気で羨ましい。
それを家族愛だと思っているテツヤに余計なことを言うつもりはない。

(本人が気づかないと意味がないからな)

己の感情の意味に気付いた時にテツヤがどういう判断を下すか、それが赤司には楽しみだった。



  • 13.10.23