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異説・とりかへばや物語10



熱い。
まるで身体が燃えるように熱くて息ができない。
喘ぐような息を繰り返すのはそうしなければまともな呼吸もできないからだ。
指を動かすのも怠いほどの身体の重さは、悲しいけれど昔から慣れてしまった感覚で、だからこそテツヤは殊更ゆっくりと重い瞼を持ち上げた。
ガンガンと耳元で鐘を鳴らしているような音がしていたのだが、目を開けるとピタリと治まるのも慣れている。
どうやら貧血も併発していたらしい。
これも良くあることなので特に気にしたりはしない。
かすかに揺れる視界はそれだけテツヤの体温が高い証拠である。
また倒れたのかとテツヤは思った。
ぼんやりと思考の纏まらない頭でテツヤは己が倒れた経緯を思い出そうとしたが、どうしても思い出せない。
まだ上手く頭が回らないのだろう。
霞がかった思考で考えることをあっさりと諦め、テツヤは視線を枕元に座る人物へと移動させた。
そこには、幼い頃から熱を出した時はいつでも傍にいてくれる、誰よりも頼りになる人物が当然のように座っている。

「に……さま……」

熱のせいだろうか、それとも自分では気づかなかったけれど不安だったのだろうか、眦から涙が滑り落ちていくのがわかった。
それを懐紙で拭い、辰也は安心させるように優しく頬を撫でた。

「大丈夫、ちょっと疲れが出ただけだ。ゆっくり休めばすぐに良くなるよ」
「ぼく……」
「うん、テツヤは大丈夫だから、今は何も考えずに眠りなさい」
「は、い……」

安心させるように頬を撫でる。その冷たさが心地良い。
水分を摂るようにと言われ、少しだけ身体を起こされ湯呑に口をつけた。
こくん、こくん、と水を二口飲む。たったそれだけで息が上がってしまうのだからまだまだ回復は先になりそうだ。
早く熱が下がればいい。
テツヤが体調を崩すと、必ずと言って良いほど辰也は付きっ切りで世話を焼いてくれる。
それが嬉しくないわけではないが、公人として多忙な日々を送る辰也の時間を拘束してしまうのはやはり申し訳ない。
とは言えテツヤが回復するまで辰也が傍から離れないのは毎度のことなので、こればかりはテツヤが一日も早く回復するしか方法がないのだが。

あぁ、でもこうして看病されるのは随分と久しぶりのことだ。
何だか子供の頃に戻ったような気がする。
心配そうに見下ろされる涼やかな眼差しに小さく笑みを返して、テツヤは再び微睡に身を任せた。







「……眠ったか」

小さな唇から安らかな寝息が聞こえるようになり、辰也はようやく安堵したように息をついた。
テツヤは生まれた時から常に死と隣り合わせの人生を送っていた子供だった。
生まれ落ちた瞬間からろくな産声を上げることはできず、乳を与えれば器官に入って戻してしまう始末。
季節の変わり目になれば体調を崩すのも一度や二度ではなく、実際に心の臓が止まってしまったこともこれまた一度や二度ではなかった。
そんなテツヤは長生きをしないだろうと誰からも言われていた。
国一番の名医には、テツヤが5歳まで生きることはあり得ないとまで断言された。
そうなれば家族の誰もがテツヤの延命を諦めるのは無理のないことで、その後幾度か起きた発作にも本気でテツヤを助けようと思う人は少なくなっていってしまった。
そんなテツヤを献身的に世話したのは乳母の芙蓉と、当時5歳程の辰也だった。
苦しいと泣くテツヤの小さな手を握り、意識を取り戻すまで何度もテツヤの名を呼んで元気づけ、意識が戻れば甲斐甲斐しく食事の世話をし、苦くて嫌だと拒否する薬湯を宥めながら少しずつ飲ませた。
古い文献を漁ったり、異国から招かれたという僧侶からも話を聞いたりとそれはもうさまざまな手を尽くしてテツヤが健康になる手段を探した。
その中でも有効だったのが市民の間で囁かれている民間療法だったのだから、高価な薬を飲まなくても何とかなるものだなと感心したのは随分と前のことである。
その甲斐あってかテツヤの身体は以前と比べれば驚く程に丈夫になり、生まれてすぐに医師に断言された命の期限も気が付けば越えてしまっていた。

そうして健康を取り戻したとは言ってもテツヤの体力が常人より遥かに少ないのは事実で、無茶をすれば体調を崩して寝込むのいつものこと。
家族はそれを知っているから決してテツヤに無茶をさせたりはしないのだが、生憎新しくテツヤの家族になった人物はそれを知らなかった。
結果、テツヤは数年ぶりに生死の境を彷徨う重態となり、発熱して3日になるというのに熱が下がる気配すらない。
辰也が怒るのも当然だろう。
こんなふうに寝込むより、元気でいてくれる方が断然良い。
ちょっとばかり元気が過ぎて勝手に家出して勝手に危ない目に遭って、勝手に手籠めにされたりして困ることはあるけれど、それでもテツヤがテツヤらしくいられるのならばそれでも良いと思っていた。
だから入内の話が出ても、テツヤ自身が拒絶していないから主上を八つ裂きにしたい思いをなんとか堪えて泣く泣く嫁に出したというのに。



新婚初夜に夫が張り切り過ぎて過労死寸前とか、何それ全然笑えない。



「あの不埒者をどうにかして葬れないものかな」


くすり、と嗤うその目には冷ややかな光が宿っており、その言葉が真実辰也の気持ちだということを如実に表していた。
駄目だから、あの方に手を出したらもう完全にアウトだから、という侍女たちの心の叫びは生憎彼女たちの心の中だけに留められた。
代わりに、「流石に帝を弑逆すると不都合が生じるからしないけど、ちょっとだけなら痛い目見てもいいよね」という辰也の呟きに侍女たちは揃って頷いたのだった。
『だって仕方ないよね、うちの姫様を抱き潰そうとしたんだから』とか思っている侍女たちは、実は辰也に負けず劣らずテツヤ至上主義なのである。










   ◇◆◇   ◇◆◇










そんなわけで新婚早々新妻と隔離されてしまった赤司帝は、反省と自制の日々を余儀なくされていた。
何しろめでたく入内を迎えた当日、滾る想いを抑え切れずにしきたりやら作法やら慣例やらをすっ飛ばして新女御を美味しく頂いてしまった翌日、まさかの女御瀕死の重体に一番驚いたのは赤司帝その人である。
体力がないのは知っていた。
生来病弱で今でも体調を崩すことが多いのだと。

だからと言って初夜を迎えたせいで死に掛けることはないんじゃないかなと言っても良いだろうか。
尤も言ったところで「病弱な妹姫を無理やり嫁がせておいて初日に抱き潰すとか馬鹿なの? 阿呆なの? 死ぬの?」とか言われて終わりなのだが。
実際似たようなことを言われた。
一応八つ橋に包んだ穏やかな発言ではあったけれど、その分精神的にちくちくと突き刺さるような嫌味は、実は結構動揺していた赤司帝の心に深く突き刺さった。
更には反論しようものなら叩き斬ると言わんばかりの形相での発言だったということもあり、傍で聞いていた侍従の紫原は涙目で大きな体躯を隠すように几帳の陰に隠れてプルプルと震えていたほどである。
余談だが、これ以降紫原は辰也に逆らわないように心に決めたらしい。

臣下が主君に向ける諌言と呼ぶには誰が見ても行き過ぎの行為に、大臣たちは顔色を赤くしたり青くしたり忙しそうだったが、辰也の父である内大臣はどこか悟りきった表情を浮かべていた。
「まぁ、テツヤに危害を加えたんだから仕方ないよね」と思うのは、青峰の君に対する制裁を間近で見ていた数少ない人物ならではの感想だ。
むしろ出会い頭に叩き斬られなくて良かったと心底思った。御家大事。主君大事。謀叛ダメ、絶対。

誰が見ても不敬としか思えない辰也の態度だが、赤司帝は寛容だった。
というか己がとんでもないことをやらかした自覚があるために宰相中将の度を越した警告(という名の脅し)も殊勝に受け入れただけである。
赤司帝だってやっと手に入れた妻を早世させるつもりは毛頭ないのだ。
この件もあってか、赤司帝は宰相中将の言動には若干だが目を瞑ることにした。
何しろ彼はテツヤの正体を知っている数少ない人物だ。
テツヤが無条件で信頼している人物でもあり、敵に回すと厄介であることは間違いない。
逆を言えば彼を味方につければ今後の諸々の計画も全て潤滑に進むだろうし、赤司帝としても有能な腹心は一人でも多く欲しいところだ。
そのためにはまず辰也との信頼を築くところから始めなければいけないだろう。

どうすれば良いかと言えば、答えは簡単。
辰也の最愛の妹(弟)であるテツヤを幸せにすれば良いのだ。
幸い自分にはテツヤを幸せにするだけの度量はある。
唯一の妃として慈しむし、権力争いなどで心を痛めさせるようなことは絶対にしないと誓えるだろう。
勿論、夜の生活だって満足させる自信はある。
体力のないテツヤのために、今後は身体に無理のない回数で留めておくつもりだ。その分濃密な時間を過ごす予定ではあるけれど。
辰也に、「テツヤを主上に嫁がせて良かった」と思わせることは可能である。

まずはテツヤに逢って親密な関係を築き上げてと考えていた赤司帝は、己の計画が辰也の逆鱗に触れるなど全く以て考えていない。
その結果。





「ほら、姫。梨が剥けたよ。はい、口を開けて」
「あーん。……ん、やっぱりうちの荘園で取れる梨は最高ですね」
「姫は水菓子が大好きだからね。李もあるけど食べるかい」
「欲しいです。あーん」
「はい、召し上がれ」
「この甘酸っぱさ……っ、たまりません」
「もっとゆっくり食べなさい。汁が垂れてきてるじゃないか」
「ふふ、ありがとうございます兄様」



どこの新婚夫婦ですかという兄と妹(弟)の仲睦まじさを目の前で見せつけられることとなった夫兼日ノ本最高権力者は、「とりあえずこの男を辺境の地にでも飛ばそうかな」とか考えるのだが、彼が左遷されようものなら間違いなく夫婦関係が破綻するのでどうしたものだろうと頭を悩ませることになるのである。


  • 13.08.13