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異説・とりかへばや物語9



その光景は周囲を凍りつかせるのに十分だった。

宮中、弘徽殿。
本日入内した新女御のために用意された室で、可憐な姫君が凛々しい若者に荒々しく掻き抱かれ唇を奪われている。
美男美女の艶事に新参の女房は色めき立ち、だが宮仕えの作法に則って物音を立てないように一人、また一人と室から姿を消した。
これが無頼の輩ならば女の細腕であっても男を引き離しただろう。
だが目の前にいるのは新女御の夫君である今上帝。
隠棲時代から恋い焦がれてきた姫君との感動の対面なのだから、想いが溢れて慣例にない行動に出てしまったのも致し方ないことだろうと、年若い女房はむしろ物語のような恋愛を想像して頬を赤らめた。

だから彼女たちは気づかない。

抵抗を封じられ、息も奪うほどの口づけを受けている姫君の瞳が、驚愕で見開かれていることも。



そして、姫君の細い身体を腕に抱きしめている帝の瞳が面白そうに細められていることも。






「や、ちょ……ふ、ぅ……ん、」
「姫……逢いたかった」
「だ……、ま、…って」
「ようやく僕の下に来てくれたね」
「……んぅ………、っ!」
「もう離さないよ、愛しい君」



「……っ、待ってって、言ってるじゃないですか!!」



あらん限りの力でようやく拘束から抜け出したテツヤは、羞恥と酸欠とその他諸々の感情のせいで真っ赤になった顔で征十郎を睨みつけた。
どれだけ暴れてもピクリともしなかった腕がするりと外れたのは、間違いなく征十郎が腕の力を緩めたからだ。
決してテツヤの腕力が勝ったわけではない。
離してくれたのはひとしきり唇を堪能して満足したのと、事情を知らない女房を室から追い出すことに成功したからだろう。――もしかしたら、これ以上続けてはテツヤが気絶すると判断したからかもしれない。
その証拠のように、呼吸を奪われていたテツヤの息は荒く、今にも倒れてしまいそうだ。
恋愛初心者のテツヤが口づけの間は鼻で息をするという基本的なことを知っているとも思えないし、万が一知っていたとしても荒々しい口づけでそんな余裕はなかっただろう。
そこまで知っていながらの行動だったので、彼はしっかり確信犯だった。

室の中には帝とテツヤの2人きり。
ほとんどの女房は別の室に退避済だし、唯一事情を知る芙蓉も隣室に下がっている。
この宮中において、帝の意向に添わぬ行動は誰であっても許されないのだ。

大きく息をついて呼吸を整えるテツヤの姿を眺める。
あの日は素顔だったが本日は入内ということもあり化粧を施していて、若干別人のような印象を受ける。
女性は化粧で化けると言われているが、確かに目の前の女御はほんのりと施した化粧のせいで愛らしい外見が更に魅力を増しているけれど、赤司としては素顔の方が数段可愛いと思う。
テツヤは白粉を塗る必要もない程に色白だし、大きな瞳もふっくらと愛らしい唇も何一つ手を加える必要がないだろう。
化粧を施した人物もそれは重々承知のようで、テツヤの化粧は一般的な女性のそれに比べても格段に薄い。
白すぎるために青白くも見える顔色を明るく見せるように紅を差し、目元に印象付けるように少し色を加えただけだ。それがテツヤの魅力を最大限に引き出していることから、テツヤに近しい人物が施したものだと思って間違いないだろう。
先程の口づけで紅が多少はがれたことはご愛嬌だ。
高貴な色である紫を多用した藤重の十二単が良く似合っている。
背を覆う空色の髪は長く艶やかで、足の先から頭のてっぺんまでどこを見ても欠点が見当たらない美しさだ。
どこから見ても絶世の美女。
誰がこの「女御」を男だと思うだろうか。

「……恐れながら」

弱弱しい声が聞こえて視線を下げれば、ようやく息の整ったテツヤが、拘束は解いたものの相変わらず腕の中に捕われたままの状態から征十郎を見上げていた。
瞳が潤んでいるのは官能のせいか、それとも羞恥のせいか。

「慣例では主上自らが女御の室に足を運ぶことはなかったと記憶していますが」
「うん、そうだね」

あっさりと征十郎が頷く。
一般的には帝が女御の室に通うことはない。
まったくないとは言わないが多くはない。
普通は帝の使者が女御の下に訪れ、呼ばれた女御が夜になって帝の寝所へ通うのが慣例だ。
勿論例外はある。
一人の女御に溺れた帝が昼夜問わず女御の室から出てこなくなったという事例もあるし、女御の下で働く年若い女房がお忍びでやってきた帝の御手付きになるという例も少なからずある。
だがそれは決して褒められるようなことではなく、むしろ帝が一人の女性を寵愛することとなり政治及び後宮が荒れる原因となりかねないため、他の女御だけでなく貴族からも評判は悪い。

とはいえ帝の下に嫁いだ女性は、今のところ弘徽殿女御ただ一人。
しかもずっと慕い続けていた恋しい女性という触れ込みなのだから、多少の暴走は許されるだろうと征十郎はしれっと答えた。

「どちらにしろ、僕のやることに文句は言わせないよ」
「なんたる暴君」

テツヤは額を押さえた。
これが国の頂点に立つ人物なのだから頭が痛くなるのも仕方ない。
噂では民思いの人物だと言うが、民思い=好人物だというのは間違いだとテツヤは認識を改めた。
何せこの帝、脅迫まがいの手法でテツヤの退路を断って手籠めにしたのだ。聖人君子のわけがない。

――承諾したのは自分なのだけれども。

とりあえず事情が事情だし、彼のお陰で自分も大我も助かったのは事実、ということでテツヤは己が手籠めにされた件をあっさりと受け入れている。
テツヤ以上に根深く恨んでいるのが兄の辰也なのは仕方ない。彼は妹――基、弟思いなのだ。

尤も、たった一度のことだと思っていたら女御入内とかとんでもない事態になったことだけは、テツヤにとっても思いっきり誤算だったのだけれども。

女装は嫌だと家出までしたテツヤが女御になってしまうとは、運命とは何て残酷なのだろう。
救いは相手がテツヤの性別を知っていると言うことか。
知っていても手を出してきた相手だから良かったかと言われると微妙なのだけれど、とりあえず男を入内させた罪で一族郎党官位剥奪というお咎めにはならないようなので、それだけは安心できる。
というか、それぐらい守ってもらわないとテツヤが入内する意味がない。

それにしても、とテツヤは思う。
どうして彼はここまで自分に執着するのだろうか。
今更と言えば今更な疑問過ぎて質問することすら忘れていたのだが、テツヤは女性ではない。
珍しい境遇だから興味を持ったというのはあるかもしれないが、だからといって入内させる必要はないはず。
どう頑張っても跡継ぎを産めないテツヤを入内させる利益は、左大臣家にとってはあっても征十郎にはない。
偽者の姫より本物の美しい姫を多数手に入れることが出来る立場にいるのに、どうしてよりによってテツヤなのか。
噂だけで多くの男を惹き付け、姿を垣間見た者の魂を悉く捕らえていく程に魅力的なくせに、自身では一向に気付いていないテツヤは首を捻る。

「黒子姫ならば男であっても問題ない」

と豪語する公達が多数いることをテツヤは知らない。知らない方が幸せだろう。

所在無げに征十郎の腕の中で身じろぎするテツヤに、征十郎は先程より少しだけ力を込めて再び己の胸の中に閉じ込めた。
相変らず細い身体は同じく細身である征十郎に比べても明らかに小柄だ。
艶やかな長い髪、ほっそりと細い項。ふんわりと漂う梅香の香り。
どこからどう見ても女性にしか見えないテツヤの姿と匂いに、女嫌いな征十郎は通常ならば嫌悪を抱いても可笑しくないというのに、相手がテツヤだと思うだけで愛しいと思うのが不思議だった。 初めて自ら望んで手に入れた相手だということも大きいのだろう。
こうして腕に抱いているだけでは物足りないと思う程、彼はたった一度この腕に抱いたテツヤに焦がれていた。
珍しいことだと自分でも思う。そもそも自分には何かを欲するという気持ちがないと思っていたのだから。
帝の第一子として生まれた彼は、その恵まれ過ぎた境遇故に価値観がずれた子供だったことは否めない。
望めば何もかもが手に入る人生、それは征十郎にとって何の魅力もない普通の日々と同じであり、手に入る全てのものは彼にとってそれほど価値のあるものではなかった。
だから叔父に全てを奪われて隠棲を余儀なくされても何の不満もなかったし、約束の時を過ぎても何も言ってこない叔父に言及するつもりもなかったのだ。

テツヤに逢うまでは。

テツヤと出会い、その存在を知り、それから征十郎の世界は一変した。
自分が想像したことのない姫として育った少年の存在が、征十郎の好奇心に火をつけたのだ。



   『面白き こともなき世を 面白く』



後の世の人物がこのような句を残したが、今の征十郎の心境がまさにこれである。
テツヤとならば退屈しない人生が歩めそうだと判断した征十郎は、テツヤを娶るに相応しい立場を手に入れるために奪われた皇位を取り戻した。
元々征十郎のものだったのだ。時期が来た以上返してもらったところで問題はないだろうと言い切れるあたり、彼はどこまで行っても彼だった。
賢君の再来と言われる赤司帝誕生の理由がたった一人の姫――基、テツヤと(もしくはテツヤで)人生を思う存分楽しんじゃおうぜという理由なのだと知ったら、多くの民は驚くだろう。
大臣などは卒倒するかもしれない。知らぬが花とはこのことだ。

そんなわけでの黒子姫入内である。
テツヤにとってはとばっちりも良いところなのだが、征十郎と出会ってしまったのが全ての原因だと諦めてもらうしかない。何しろ征十郎は手放すつもりなどないのだから。

勝手に運命共同体に定めた伴侶へと、征十郎は蕩けるような笑みを浮かべた。
瞬時に頬を染める姿が可愛いと純粋に思う。
負けん気の強い姿は楽しいし、羞恥に頬を染める姿は愛らしい。
己の下で喘ぐ姿は絶品だ。
他にはどのような顔を見せてくれるのか、征十郎はそれが楽しみでならない。

「さて、テツヤ。ここは僕の後宮で室には僕たちしかいない。言ってる意味がわかるね」
「し、しきたりとか、」
「僕の言うことは絶対なんだよ、可愛いテツヤ」

わたわたと慌てるテツヤの顎を掴み、三度その唇を奪う。
抵抗を簡単に封じて押し倒し、征十郎は数か月ぶりに己の手に戻ってきた愛しい人を堪能した。










その後精神的肉体的に疲弊したテツヤが、初夜の後に体調を崩して三日三晩高熱に浮かされた挙句、ちょっとだけ生死の境を彷徨ってしまったのは余談であ
右往左往する女房や大臣を余所に、瞳孔を開いた笑顔で帝を糾弾する宰相中将が怖かったと同僚は語った。

ちなみに病弱な女御に無体を強いたと知った辰也が、女御が完全復活するまで太刀を片手に弘徽殿の入口で再三にわたり足を運ぶ帝を門前払いにするのだが、何故だか辰也が何のお咎めもなしだったあたり流石の帝も反省したのだろうと一部で囁かれていたらしい。


  • 13.08.13