かつての親友と袂を別ったのはほんの数時間前。
肝心のところで情を捨て切れなかったルルーシュはあっけなく親友だった男に拘束されて、今は暗い地下室に閉じ込められていた。
室内の様子はよくわからない。
拘束された時に視界の半分を塞がれてしまったからだ。
ルルーシュの瞳にはギアスが宿っている。
細かい事情は知らないまでも、妖しいまでに赤く瞬く瞳を見ればそこに何かが潜んでいるのだと思うのは明白で、ルルーシュが異質な力を持っていると察したスザクの手によって塞がれてしまったのだ。
唯一の救いは、もう片方の目はそのままだということか。
手足を拘束され碌な身動きもできない上に視界まで塞がれてしまっては逃げるための情報を得ることもできない。
牢のようだが何かの倉庫のようでもある。
鍵はかかっているか不明だが見張りはいない。
害はないと思われているわけではないだろう。
ルルーシュでは決して外せない拘束器具がそれを証明している。
見張りがいないのは恐らくゼロの正体を余人に知られないようにという配慮かもしれない。
ゼロはブリタニアにとっては脅威であり、許すべからざる敵である。
その正体が廃嫡された皇女だと知られたら国内に動揺が走る。
おそらくそのへんの理由だろう。
決してスザクが自分を助けるためだとは思わない。
あの遺跡で向けられた視線は友人に向けるものではなかった。
そこに宿るのは間違いなく憎悪。それもこの身体を引き裂いてしまいたいと思うほどに大きな憎しみだ。
友情とは決別した。
彼が自分を助けてくれるなんて、そんなむしのいい話は考えない。
――尤もスザクが彼であったなら間違いなく助けてくれると信じられるのだが。
ふと脳裏に浮かんだ年下の少年を思い出し、ルルーシュはかすかに笑みを浮かべた。
子犬のように後をついて回った幼馴染。
天気が良いと言っては挨拶に訪れ、雨が降ったと言えばご機嫌伺いと称して遊びに来た。
どちらかと言えば部屋で大人しくしているのを好むルルーシュを何かと理由をつけて外に引っ張り出してきた金髪の少年は、幼いルルーシュが母と妹以外に心を許した数少ない人物だった。
日本へと旅立つ日、まるで身売りされるかのように見送り一人いない自分を、必死の形相で追いかけてきた少年――ジノ。
嬉しくないと言ったら嘘になる。
行かないでくれと泣きながら縋られて、身分も地位も何もなくなった自分をそこまで必要に思ってくれたことがとても嬉しかった。
『姫様、聞きましたか? 僕達もうすぐ婚約者になるんだって』
嬉しそうに笑う彼を見たのは、ついこの間のことだ。
純粋に向けられる好意はとても心地良かった。
ルルーシュよりも背が低いことを気にしていて、鉄棒をすれば背が伸びるなんていうクロヴィスの冗談を真に受けて庭に鉄棒を作らせてまで頑張っていたジノ。
ただ一途に慕ってくれたあの少年ならば、もしかしたらスザクとは違ってルルーシュを選んでくれただろう。
元気でいるだろうか。
泣き虫は治っただろうか。
忌々しいブリタニアでの思い出の中で唯一彩られていたのは、優しい家族と過ごした時間と彼の鮮やかな金の髪だった。
彼も自分がゼロだと知ったらスザクのように憎悪に満ちた瞳を向けるのだろうか。
後悔はしないと決めた。
誰に拒絶されようと己は己の信じた道を行くのだと、そう覚悟を決めたはずだった。
それでも心のどこかで、あの幼い面影にだけは否定されたくないと思う自分がいることに、ルルーシュは少しだけ自嘲った。
◇◆◇ ◇◆◇
「随分と大人しいね」
懐かしい記憶に身を委ねてしまったと気づいたのは、不覚にも室内の扉が開いてからだった。
振り返った先に見えるのはパイロットスーツ姿のスザク。
あれから着替えもしていないということはそれほど時間が経過していないのだろうか。
ひとまず気にするのはそこではないとルルーシュは真っ向から視線を受け止める。
それが気に入らないのかスザクの碧瞳が僅かに眇められた。
「…1つだけ質問がある」
問う声は冷たい。
当然だろうとルルーシュは思う。
そしてスザクが何を問うてくるか想像に難くない。
「何故、殺した」
誰を、と問いかけようとして止めた。
分かりきっている答えを揶揄して相手を激昂させるのは得策ではない。
ルルーシュ…否、ゼロは多くの人間を殺した。
それは日本人でもありブリタニア人でもあった。
敵であれ味方であれ、ゼロが仕掛けた戦争によって多くの命が失われたのだ。
だがスザクが言いたいのはそういうことではない。
慈愛の皇女を、ルルーシュの義妹であるユーフェミアを何故殺したかと、その鋭い視線は問いかけてくる。
ルルーシュは自嘲げな笑みを浮かべた。
今更何を言えというのか。
彼女は殺すしかなかった。
多くの日本人を救うには、あの時の彼女は殺す以外に方法はなかったのだ。
…それが自分の咎だとしても。
そしてそれをスザクに話すほど、ルルーシュは愚かではない。
「言え、何故ユフィを殺したんだ」
答えないルルーシュに苛立ったように、スザクはルルーシュの胸倉を掴み挙げた。
器官が圧迫されて息が詰まるが、何とか声を出さずにすんだ。
呻いた所で拘束が外れるわけでもないし、今のスザクの状況を見れば言うだけ無駄だろう。
「彼女がブリタニアの皇女だからだ。他に理由があるか」
「妹じゃないか。腹違いでも、れっきとした血を分けた」
「血の繋がりが何の意味があるんだ。俺はブリタニアの敵だ。ブリタニアである限り、彼女がどんなにお綺麗な皇女さまであろうと敵であることに変わりはない」
「君だってブリタニア人じゃないか。しかも皇族で…」
「だから何だ。ブリタニア人はブリタニア人を殺さないとでも? お前だってその手を同胞の血で染めているじゃないか」
「っ!」
パン、と乾いた音がして次いで頬に痛みがきた。
殴られたのだと知るには十分。そうなるように仕向けたのだから。
碧の瞳に傷ついた色が浮かんでいる。
言われたくなかったのだろうということは重々承知だ。
彼はブリタニアを内側から変えられるという理想をいつまでも抱き続けている。
スザクは理想論者だ。そしてルルーシュは徹底した現実主義者だ。
スザクの理想など、ブリタニアの内部を知っているルルーシュからしてみれば理想論ですらない。
ただの夢幻、戯言にしか過ぎない。
ブリタニアは大きくなりすぎた。
そしてその軍事力は他国の比ではない。
搾取するだけの国に対して、どうして思いやることができるだろう。
戦の勝者はいつでも搾取する者だ。
領土を奪われ国旗を奪われ言葉を奪われ、そして自国民という誇りを奪われることは珍しくなかった。
そんな侵略された国はどうやって現状を打破したか、過去の歴史はきちんと物語っているではないか。
戦いなくして独立も現状の破壊もありえないのだ。
利益を目的に侵略した国が、はいどうぞと何もせずに国を返してくれると本当に思っているのだろうか。だとしたらスザクは相当の愚者だ。
そしてそんなスザクの夢物語を現実のように錯覚させたユーフェミアも、愚かだと判断せざるを得ない。
聖女のような清らかさはユーフェミアの美徳だが、それはブリタニア国内でのみ効果を持つということに気づかなかった。
自分の保身すら考えないユーフェミアの政策は外交と呼ぶには稚拙すぎるものだし、ブリタニアの意向を完全無視している。
皇位継承権を放棄したとしても許されるものではないし、恐らくこの政策が表面に出ればユーフェミアは日本人からは女神の如く讃えられるだろうが、同胞のブリタニア人から見れば裏切り者以外の何物でもない。
そう、国を守ろうと尽力した総理大臣の息子である枢木スザクがブリタニアの軍人として日本人を屠っていくことと同じだけのひどい裏切りなのだ。
ルルーシュにギアスをかけられなくても、彼女は日本人以上の多くの恨みを買うことになっていただろう。
それが発覚しなかったとは言え、ユーフェミアはエリア11を統括するためにやってきた副総督だ。
遅かれ早かれゼロが手を下してもおかしくない。
「お前達は本当によく似ているよ。綺麗事を信じて現実を見ないで、世界が善意で出来ていると信じている」
「…」
「本当におめでたい人間だ」
綺麗なままでいられるならそれでもいいだろう。
だがルルーシュにはそれが許されなかった。
己の手を血で染め、多くの憎しみをこの身に宿す結果しか選べなかった。
羨ましいとは思わない。
自分にそんな綺麗な道は似合わない。
だからこそ目の前のスザクが、そして綺麗なまま逝ってしまったユーフェミアが愛しくもあり憎くもあったのだ。
「…どうしてユフィを殺したか、と聞いたな。教えてやるよ」
「ルルー…」
「世界が綺麗だと信じているおめでたい人間に絶望を教えてやりたかったんだよ」
傲慢だと言われる微笑を浮かべてルルーシュはそう嘯く。
今更自分の行動を理解してもらえるとは思っていない。
友情は既に壊れた。
残るのは憎悪のみ。
どうせスザクは自分を許さない。
ルルーシュも許してもらうつもりはない。
だが、それでいい。
とことん憎まれてから死ぬのも、また一興だろう。
目の前の碧瞳が氷のように凍てついていくのを眺めながらもルルーシュは笑みを絶やさない。
ゼロは何者にも屈服しないのだから。
「…ルルーシュ、いやゼロは僕とユフィに絶望を与えたかったからユフィを殺したと、そう言いたいのか」
「その通りだ」
「…なるほど」
「…っ!」
低い声と共に床に叩きつけられて衝撃に息が詰まる。
視界に映る白刃。
武器を持っていることはわかっていた。
捕虜に対して丸腰で対面するようなお人よしは軍人にはいない。
その刃が己の胸に突き立てられるだろうという予想は、布を切り裂く音と肌に触れる冷ややかな外気によって裏切られた。
ゼロの黒い衣装。それが引き裂かれていてルルーシュの白い肌が露呈されていた。
「スザク…?」
何をするつもりなのかと問うつもりが、続いて切られた布の間から柔らかな胸が露わになったことに目を剥いた。
ここ数年は性別を偽っていたルルーシュは体型を隠すために胸にさらしを巻いていた。
それをゆっくりと短剣で裂いていくスザクの様子は尋常ではなく、ルルーシュはその瞳の奥に宿る昏い影に息を呑んだ。
「確かに君の目論見は成功したよ、ゼロ。君は俺とユフィに絶望を与えた。これ以上ないくらいのね。だから」
唇を持ち上げて哂うその目は相変わらずの昏い影。
短剣を持たない手がルルーシュの白い肌の上を滑る。
「君にも絶望を与えてあげるよ」
ぞわりと鳥肌がたった。
まさか…。
短剣がルルーシュの肌ぎりぎりを動き、その度にルルーシュの身体を覆っていた服は布切れへと変化していく。
スザクの手がルルーシュの胸を揉みしだく。
痛みよりもこれから起こる事態に表情を固くしたルルーシュに、スザクは冷ややかな声を投げる。
「せいぜい憎い男に抱かれて喘ぐがいい」
それから後は、地獄だった。
- 09.12.29