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裸足の女神 01


懐かしい夢を見た。

幼い頃にたった一度だけ見た夢。
朱槍に身体を貫かれた男性が、主に、敵に、あらゆる者に怨嗟の言葉を吐き続けながら消えていく。
全身を朱に染めて不条理を呪っていた姿は憎悪に満ちていたが、不思議と怖くはなかった。
ただ可哀相だと、彼の思いは何一つ報われなかったのだと思うとそれが不憫でならなかった。
どのような状況かは全くわからない。
それが見知った土地――冬木市内だということはわかるのだが、あまりにも非現実的すぎて現実だと認識することは難しかった。
そもそもただの夢。
幼い頃は感受性が高かったからどこかで見たドラマや映画の話が脚色でもされたのだろうと、そう判断する方が容易いほど、それはの日常とかけ離れていたのだ。
だからすぐに忘れてしまった。
過去に同じ夢を見たことがあると思い出したのだとて、目が覚めた時に感じた既視感からである。
そういえばあの時は消えていく男性が可哀相で、寝ている両親の元へ泣きながら走っていった記憶がある。
優しくあやしてくれた母の手のぬくもりを思い出して、はくすりと笑った。



冬木神社は深山町にある唯一の神社である。
15年前までは神主もいない寂れた神社であったのだが、若干25歳の若い神主一家が赴任して以来参拝客が絶えず訪れる、深山町にとってなくてはならない場所となっている。
はそんな神社の神主を父に持つ20歳の大学生である。
1人娘であるため行く行くは父の跡を継いで神主になることが決定しているが、そのことに対して疑問を持ったことはない。
むしろ巫女としての修業はの質に合っていたようでなかなかに楽しいのだ。
そんなの朝は早い。
本人はお気楽な大学生ではあるけれど、実家は神社なので朝の神事や清掃などやることは多々ある。
特に参道は参拝客が通る道であると同時に神様の通り道でもある。
塵一つ落としては罰が当たるというものだ。
最近は落ち葉も少なくなっているので掃除自体は楽だ。
神社の境内で煙草の吸殻や不法投棄のゴミなどがあるはずもないので、が毎朝行っているのは砂利や砂などを掃き清めるだけ。
それもこれも参拝客がマナーを守ってくれるからだろう。
礼儀正しい冬木の人達には毎日感謝である。

「ん?」

そんな塵一つ落ちていない冬木神社の参道に見慣れない物が落ちていた。

「何これ……槍?」

竹刀ほどの長さの、どこからどう見ても槍にしか見えないものがそこにあるのだ。
鋭い刃先のそれは、何故だか柄の部分に不思議な文様の布地がびっしりと巻かれている。
封印みたいだと思うの勘は正しく、その槍から感じる魔力はその布のお陰で相当量が封じられているらしい。
明らかに不審物。しかも一般的ではない類の。
直前まで何もなかったのだから不思議に思うなというほうが可笑しい。
考えられるとすれば上空から落ちてきたという可能性だが、落下音すらなかったためにその可能性は低い。
つい先ほど掃き清めたばかりの参道にどどんと存在感ありまくりで鎮座している正体不明のそれに触れるのは若干躊躇われるものの、こんな物騒なものが置きっぱなしということの方がよろしくない。
そもそも境内に刃物は持ち込み禁止である。

「やだなぁ。落下物というか拾得物で警察に届けちゃいたい」

このような物騒なもの、神社で遺失物として保管しておくのも正直御免だ。
どう見ても本物。
刃先なんて触れるだけですぱっと切れてしまいそうなほどの鋭利さなのだから、模造刀という類ではないだろうということは素人目でもわかる。
見て見ないふりをしたい。だが、放置して済む問題でないのも確かなわけで。
とりあえず柄の部分ならば大丈夫だろうとがそれを拾い上げた。
ずしりと感じる重量にあぁやだやっぱり本物じゃんと内心でため息をついた時――。



「え……?」



目線の高さまで持ち上げたそれが突如霧散したのだ。
黄金の粒子を残して消えてしまったそれに茫然とする。

「え? 何? どっきり?」

神社の境内で落ちていた槍を拾ったら霧となって消えましたなんて、一体どんなトリックを使ったのだろうか。
現実ではありえない。
そのため咄嗟に脳裡に浮かんだのは、多大なるトラブルメイカーである父の姿。
何しろ色々な意味で規格外なので、一般常識なんて通用しないのだ。ついでに世界の常識も。
あの父ならばこの程度の仕掛けや悪戯はやりかねないが、それは考えたくないのであえて却下することにした。
とりあえず見なかったことにするのが一番だろうと、規格外な父を持ったがために切り替えばかりが見事に上手くなってしまったは腕時計に視線を落とす。
時刻は6時30分。
そろそろ朝食の準備をしなければ学校に間に合わなくなってしまう。
今日は1限から授業が入っているのだ。
そろそろ試験もあることだし、なるべくなら遅刻はしたくない。
そうして気付いた違和感には目を瞠る。
左手の甲から手首にかけて、幾筋もの赤い線が走っているではないか。

「蚯蚓腫れになってる。どこでひっかけたんだろう」

は色白なので小さな傷でも目立つのだ。
痛みは感じないが何となく熱を持っているような気がするそれは、朝に顔を洗った時にはついていなかったはず。
となれば掃除をしている時にどこかでひっかけたのだろうか。
今日は小枝が生い茂る場所には近づいていなかったのにと思いながら、右の手でその痕をそっと撫でる。
傷らしきものは見えない。まるで刺青みたいと思った途端、の目の前で小さな旋風が発生した。

「っ?!」

今日は風一つない晴天である。
それなのにの目の前ではありえない速さで旋風が巨大化していく。
竜巻はおろか旋風の発生条件ですら満たしていない穏やかな日だというのにどういうことだろうと、はおろおろとそれを眺める。
今はまだの腰当たりの規模だが、これが大きくなったらどうしたら良いだろう。
の手にあるのはごく平凡な竹箒。
痴漢や野良犬の類なら撃退可能はあるが、自然災害に対しては悲しいほどに無力だ。
そうこうするうちに撒きあがった風がの長い髪を乱し突風に思わず目を閉じた時、発生と同じく急激にそれは収まった。
乱れて頬に貼りついた髪を手櫛で直して目を開けたその先には――どこかで見たような美青年。
その両手には長短二双の槍。
そのうちの一本は先ほどが拾い上げたものと同じものではないだろうか。
顔は文句なしの二枚目。
引き締まった身体は鍛えていることが一目でわかるほど逞しいのだが、問題はその恰好である。
ボディースーツと言えば良いのだろうか。それとも全身タイツ。
往来を歩けば警察に連行される危険が高いであろう不自然さである。
何と言っても銃刀法不法所持の現行犯だ。

突如現れた青年はを見つめ、そして形の良い唇を動かした。

「問おう、貴殿が俺を呼び出した主だろうか」

はぱちくりと瞬きを繰り返した。
青年は隙のない身のこなしでを見つめている。
の言葉を待っているのだろう。
となればが答える言葉は一つしかない。

「いいえ」

「――何?」

若干垂れ気味の瞳が大きく見開かれた。
不思議そうな顔をされても、呼び出したかと聞かれれば答えは「否」しかなく。
ついでに主かと言われればこれまた「否」である。

「とすると、ここは……」

困惑しきりの不審者を前にしているが、逃げるのは多分簡単だ。
50メートル先にある玄関に駆け込めば良いだけの話。
は短距離も長距離もそこそこ得意である。
家は父によって堅固な結界が敷かれているから家族以外は入ることができない。
それはもう人間だろうが幽霊だろうが、人外魔境の生物であろうが例外はない。
だけど、何となく、にはわかってしまった。
こういうことは初めてだけれど、似たようなことならいくらでもあった。
それはもう嫌というほど。
常識では考えられないことが起きた場合の犯人をは1人しか知らない。
そしてその人物は、おそらく今頃ダイニングで呑気に新聞を読みながらが用意するであろう朝食を楽しみに待っているところだろう。
何よりも、現状把握ができないまま茫然としている彼をこのまま放置するのは良心が痛む。美形って得だ。
なのでが言うべき台詞は1つしかない。

「えっと、あの、とりあえず中に入ってお茶でもいかがですか?」


  • 12.08.27