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出会いと別離 02


「ただいま、ダーリン。梵天丸君をお持ち帰ってきちゃった。新しい家族ゲットです」
「でかした。ハニー」

の背中に揺られること数分。
自宅だという家の扉をくぐった途端に現れた男性に、梵天丸は共々抱きしめられた。
何だこいつはというか一体何がという心境で梵天丸はぱちくりと目を瞬いて目の前の男性を見つめる。
自分の父とは若干違うが、それでも綺麗に整った顔立ちの男性だ。
年はより上だろうか。
それより気になる単語がいくつかあった。『だありん』とは何だ。
ついでに言えば『はにい』と言う単語も気になるが、最も気になるのはの言葉だった。
新しい家族と言った。
確かに家に来るかと聞かれて頷いたけど、それはせいぜい一宿一飯程度だと思っていたのに。いや、助かるのは事実だけれど。

「梵ちゃん、こっちはね葵さん。私の旦那様で梵ちゃんのもう1人のお父さんだよ」
「初めまして。梵天丸君」
「あ…ぅ…」
「照れてるのかな。可愛いね」
「成程。やはり幼少時は人見知りだったのか。うんうん、初々しくていいねぇ」

ぐりぐり、と頭を撫でられて梵天丸は困惑する。
人見知りというか現状についていけないというのが正しい。
そんな困惑する梵天丸を、は葵と呼ばれた男性に手渡す。それはもう小荷物みたいに。

「さて、私は梵ちゃんの着替え一式買ってくるので、葵さんは梵ちゃんをお風呂に入れてもらってもいい? あと、できたら傷の手当てもお願いしたいの」
「任せなさい。男同士裸の付き合いしてくるよ」
「多分シャワーとか慣れてないと思うから怯えさせないようにね。じゃあ行ってきます」
「行ってらっしゃい、ハニー」

の頬に口づけを落とし、葵は梵天丸を抱いたままを見送った。
車のキーを持って行ったということろを見ると出かけた先は想像がつく。

「ふむ、帰宅時間は最短で40分と見た。耐えろ、俺。ほんの少し離れるだけじゃないか」

片手で拳を握りしめながらそう呟く葵は、近所では評判の愛妻家であることを梵天丸は知らない。
葵は名残惜しそうに玄関のドアを見つめていたが、腕の中の梵天丸が居心地悪そうに身じろいだのに気付いて慌てて抱き直した。

「ごめんごめん。じゃあお風呂入っちゃおうか。すぐにが梵ちゃんの服を買ってきてくれるから、それまでは俺のシャツで我慢な」

ぐりぐりと頭を撫でる手は無遠慮だけれど、何故だか嫌な気はしなかった。
葵のペースにすっかりはまったままこくんと頷いた梵天丸は、あれよというまに身ぐるみはがれバスルームに放り込まれた。
見たこともない室内に本日何度目かわからない驚きに固まっている間にすっかり身体を洗われ、気が付いたら眼帯すら取られてしまった。
反応があまりにもなかったために眼帯を取られたことすら気づかなかったほどだ。
我に返って暴れるものの葵にとっては取るに足りない抵抗だったようで、結局にこにこと嬉しそうな顔で梵天丸の苦情を聞き流す葵に、梵天丸は何だか色々なことに疲れてしまった。
全身くまなく洗われ冷えた身体がすっかり温まった頃には、何となくだが打ち解けてきたように思えるのは気のせいではないだろう。
しかも梵天丸は子供である。
初めて見る様々な道具に、あれは何だとかこれはどうやって使うとか聞いているうちに時間はあっという間に過ぎていく。
そうしてほかほかの身体のままバスルームを出た梵天丸は、予想よりも早く帰ってきたが用意しておいた服に着替え、ドライヤーで髪を乾かされてリビングに連れていかれた。
キッチンではエプロン姿の

「どう? 汚れも落ちてさっぱりしたかな?」
「…うん」

こくんと頷くと可愛い、と抱きしめられた。
どうやらこの夫婦は相手を抱きしめるのが好きらしい。

「今日から梵ちゃんは我が家の一員ね。私と葵さんの子です」

これ決定、とが言うと葵が朗らかに笑った。

「いいねぇ。戦国武将が息子だなんて他にいないよ。しかもこんな可愛い子だし、大歓迎」

家族の一員と言われて、最初に感じたのは戸惑いよりも喜び。
優しいと温かい葵。
梵天丸が欲しくて欲しくてたまらなかったそれらを無条件で与えてくれる2人。
この2人の子供になれるということが嬉しかった。
会ってまだ数時間。会話を交わしたのだってそんなに多くない。
自分でもわかるほど、梵天丸はこの短い時間で2人のことが大好きになっていたのだ。
そんな彼らが親子になってくれるのだ。嬉しくないわけがない。



「…父、上…。母上…」



「なぁに、梵ちゃん」
「何だい、梵天丸」

向けられる優しい笑顔に、思わず泣きそうになった。







     ◇◆◇   ◇◆◇







夫婦は梵天丸の拙い説明を静かに聞いていた。
そうして言い終えた梵天丸に葵とは小さく頷いて「やっぱりね」と告げた。
何でも梵天丸がいた公園の隣にある神社は古くから神隠しの噂がある場所らしく、昔から幼い子供が行方不明になったり反対にやってきたりということがあったらしい。
単なる昔話で済めばよかったのだが、つい数十年前にも古風な衣装に身を包んだ少年が発見されており、どうやらここは本物の神隠しの場所らしいということで地元では結構有名な場所だったのだ。
ちなみにその少年はいつの間にか姿を消していたらしいが、戻れないままこの町で一生を終えた人物もいたらしい。
マスコミが面白おかしく報道しそうなので地元の人間は決して他言しないが、十年に一度の割合でそのようなことが起こる場所だったからこそ、泥まみれの梵天丸を見てもはそれほど驚かなかったのだ。
更には葵とは揃って大の歴史好きだ。
特に戦国時代が大好きで、夫婦揃ってまとまった休みには歴史散策と称して史跡巡りをするほどだから、「隻眼」の「梵天丸」と名乗る少年が何者か知らないはずがない。
勿論彼が本物であろうとなかろうと、にとってあの場で見ないふりをするという選択肢はなかったのだが。

そんなわけで梵天丸は家の息子として温かく迎え入れられた。
何もかもが違う世界。
それでも共通点は意外と多く、最初こそ戸惑っていた梵天丸だが子供特有の順応性のお陰で彼がこちらの世界に馴染むのは予想以上に早かった。
何よりも新しい家族に馴染むのが早く、「父上、母上」と2人の後をついて回る梵天丸の姿は見る者の心を和ませた。
特にに対する懐きっぷりは相当なもので、まるでカルガモの親子みたいだと周囲に言われるほどには梵天丸は片時もの傍を離れようとしなかった。
実の母親に捨てられたトラウマだろうか、が視界から消えるのを梵天丸は非常に恐れていたようだ。
それがわかっているはこれでもかというほどに梵天丸を甘やかし、葵もまた新しい息子を構い倒した。
笑顔の絶えない家庭。
まるで血の繋がりがないなど感じさせない家は、周囲でも有名な仲良し家族だった。



夢のような日々。
何の打算も思惑もなく、ただ愛され甘やかされた。
ボロボロに傷ついた心を癒してくれたのは、優しい両親から与えられる溢れんばかりの愛情。
暗殺の恐怖に震えることもなく、毒に怯えて空腹に泣いていた日々とはまるで正反対だ。
誰もが優しかった。
自分を単なる子供として扱ってくれて、いい子だねと頭を撫でてくれた。
悪いことをすればそれが誰であろうと叱られて、反省した後は優しく抱きしめてくれた。
欠片ほどの悪意を受けることもなかったあの場所は、梵天丸にとって紛れもない桃源郷だった。
今では幻のように思えるあの懐かしい日々。
証明するものは朧ろげな記憶と、唯一己の手に残った小さなブレスレットだけ――。

政宗は眼下を見下ろす。
己の領地を一望できるこの場所に来るのは何度目か。
政宗の足元には何万と言う民が暮らしている。
誰もが笑って暮らしていたあちらの世界とはまるで違う、飢餓と貧困と戦に苦しめられた民が。
彼らを守るのが政宗の使命。
一度放り出された世界に戻ってきた時、政宗はそう心に決めたのだ。
誰もが梵天丸に優しかったあの世界のように、こちらの民も幸せになってほしいと。
それが、梵天丸を慈しんでくれた彼の人々に対する恩返しにもなる。
そんな気がしたのだ。



「父上、母上――」



記憶の中に浮かぶのは、どこまでも優しく甘かった、春の陽だまりのような笑顔。


  • 11.11.16