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比翼連理 15


父の仕事部屋に身を寄せながら、今頃慌てふためているであろう2人の少女の醜態を疑っていなかった女は、突然現れた衛兵によって乱暴に腕を掴まれた。
そのまま部屋から引きずるように回廊に連れ出され、女は化粧で彩られた眦を吊り上げた。

「離しなさい! 無礼者!!」

叫ぶ声は一向に聞き入れられず、それどころか明らかな侮蔑を含んだ眼差しで睨まれ、あまりにも冷ややかな視線に言葉を失った。
そこそこ高位にいる父のお陰で自分がこのような態度を取られたことはなかった。
劉備が旗揚げをした頃から仕えている家系と言うこともあったのだろうが、城に仕える者の多くが彼女に無礼を働いたことはなかった。
蜀には女性が少ないと言うこともあるのだろう。
年齢を考えればいずれ中枢にいる武将の誰かに嫁ぐこともあり得る彼女に失礼な態度を取って面倒なことになってはまずいという打算もあって、彼女は常に貴人と同等の扱いを受けていた。

だからこのように引き立てられるなどされたことはなかった。
まるで罪人のような扱いに、高く積み上げられた彼女の自尊心は強い屈辱を感じた。
どれほど抵抗しようと無意味だと言わんばかりに拘束する力は強くなり、女の歩幅では厳しい速度で回廊を進んでいく。
どこへ連れて行かれるのだろうと思えば先程までいた宴席。
勝手に宴席を抜け出すことを咎めているにしては厳しい表情に、どうせあの小娘が体調を崩したことを自分のせいにしたのだろうと推測する。
女官には口止めをしたものの、彼女とて武人に詰め寄られれば口を割る可能性とてある。
だが、そんなことは知らぬ存ぜぬで十分通用するはずだ。
何しろ女官の証言だけで自分が薬を盛ったという証拠はないのだから。

宴席につくなり床に放り投げられた女は、急に押しやられたせいで重心を崩して服の裾を踏み、そのまま床へと転がった。
縄で腕を拘束されていたから余計に体勢を整えることができなかったせいで肩を強かに打ち付けて思わず悲鳴が出た。
痛みに呻いていても誰も手を貸す様子はない。
誰もが自分と距離を保って蹲る女を見下ろしている。
このような屈辱が許されるのだろうか。

「無礼者! 私にこのような仕打ちをして、後で打ち首にしてやるわ!!」

周囲の視線も許せないが、何よりも頭にくるのは自分を罪人と勘違いしている衛兵だ。
振り向きざまに睨みつけたものの、やはりその表情は崩れない。
一貫して彼女を侮蔑した眼差しのままだ。
身の程を知らない態度に彼女の眦が吊り上った。
次いで発せられようとした怨嗟の言葉は、静かに響いた男の声によって封じられた。



「残念だが、蜀の人事及び処罰に関する権限は其方には一切ない。勿論、其方の父である崔氏にもな」

「りゅ…備…様……」


いつでも笑顔を浮かべている印象しかない彼女にとって、目の前で座する厳しい表情の男を劉備だと認識するには多少の時間がかかった。
彼女は国政に関する場に出席したことはない。
頻繁に城に出入りしているとは言ってもそれはせいぜい宴席止まりで、上機嫌の劉備以外の姿を見たことがないのだ。
劉備は温厚な人物だが、武力で以て国を建立した男でもある。
一文官の娘には見せない武人としての姿は覇気に満ちていて、女の薄っぺらい矜持など簡単に崩してしまった。

「では…私は何故このような目に遭わされているのですか。何の罪もない私に、このような酷い…」

「酷い?」

劉備の眼差しがすうっと細められた。
冷淡な輝きを宿す視線が彼女を絡め取り、懇願しようとした女の言葉を封じる。

「酷いというのは、宴席の華となった2名の女性に毒を盛り、国家間の同盟を崩そうと企む其方の方ではないのか」
「毒……」
「こちらに」

劉備が視線を向けた先には一杯の杯を手に立つ陸遜がいる。
その手にあるのは間違いなく彼女が2人の国賓に渡すようにと言いつけた杯だ。
彼の表情も厳しい。
自国の姫に下剤を盛られて怒るのは当然だが、それを毒とまで言われては心外だ。
確かに量は通常よりも多かったかもしれないが、この程度可愛らしい悪戯ではないか。
別に死ぬわけでもないし大袈裟なこと。
そんな風に思ってしまったのが表情に出たのだろうか、周囲の空気が一瞬で緊迫した。
劉備が米神を押さえて溜息をついた。
そんな劉備に代わり、陸遜が口を開いた。

「どうやら姫君は反省をしておらぬ様子。それならば約定に従い彼女を呉へ引き渡していただきたい。孫呉国主の妹に対する暗殺未遂犯として斬首いたします」

慌てたのは女である。
いくら何でも悪戯で処刑されてはたまらない。

「ちょっ、斬首って何よ?! いくら何でも殺されるほど酷いことをした覚えはないわよ!!」
「他国の王族に毒を盛ったことが斬首に相当しないと?」

少女めいた美貌に明らかな侮蔑を含ませて陸遜が彼女を見る。

「同盟のために訪れた使節に手を出すことが宣戦布告と同意だと知らぬとは、一体どれほど無知なのですか。況してや彼女は孫呉国主の妹御。目線一つ、言葉一つが不敬に当たるものであると覚えておいた方が良いでしょう。次の生では役に立つはずです」
「そ、んな……」

遠慮の欠片もない言葉に、ようやく事の事態が理解できた。
腹いせの行動で、女にとっては単なる嫌がらせ。ただの悪戯だ。
だがそれは通常ならば決して行ってはいけないものであり、今まで処罰されずにいたのは女が文官の娘であり被害者が身分の低い女官や下女だからだ。
同じ身分の相手に行えば間違いなく処罰される類のものであることに女は気づかなかった。
況してや今回の相手は国賓だ。
しかも劉備の正妻となる相手であり、身分は劉備に次いで2番目に高い。
女が薬を盛ることなど不敬以上の何者でもない。

「でも、私は毒なんて盛ってないわ! ただの下剤だもの!!」
「毒だろうが薬だろうが関係ありません。貴女が姫様の杯に異物を混ぜた。それだけで斬首の理由には十分です。そうですね、劉備殿」
「うむ」

劉備も頷く。
確かに今回のことは、たとえ犯人が身内であっても許されることではない。
むしろ下手に庇い立てをすれば二心ありと呉に攻め入る口実を与えることになるのだから。
更に横に控える趙雲の気持ちを考えれば、どうしても無罪にはできなかった。
未遂ではあったものの、彼女は月華にも毒を盛ったのだ。
彼女までもが服毒してしまった場合、果たして2人を助けられたか劉備には自信がない。

国の同盟と犯罪を犯した女の命。
秤に掛けるまでもない。

劉備は仁徳の男だと言われているが、だからこそ犯罪には公平に処罰しなければならないのだ。

「だ…だったら、どうして柳杏は捕まえられないのよ! 彼女達に毒杯を渡したのは柳杏なのに!!」

自分だけが処罰されるなんて割に合わないと言わんばかりに噛みついてくる女に、武将達の視線が注がれる。
凌統の傍らで己の仕出かした重罪に震えている女官の名は歌英。
まだ13歳の新人女官である。
彼女が尚香に杯を渡すところを凌統が見ていたために捕らえたのだが、女の言葉を信じるとすれば女が服毒を命じた女官はこの少女ではない。

おそらく、女が柳杏という女官に薬(女が言う通りならば下剤)を入れた杯を渡すように命じ、柳杏か他の人物が毒とすり替えた杯を歌英に渡すように命じたのだろう。
どちらにせよ柳杏という女官が今回の鍵となりそうだ。
柳杏という女官を凌統は知らないため誰何する視線を趙雲へと向ければ、彼の視線が厳しく周囲へと向けられた。
趙雲の視線が扉の傍で控える女官達の姿を捕らえ、そうしてそれがすぅっと細められる。



その瞬間――。



「っ!」

陸遜が一歩女の前に出て双剣を翻した。
キン、という金属音と共に小刀が床へと転がる。
投げられた方角へと視線を向ければ、小柄な姿が窓へと向かう所だった。
そのまま窓を破って脱出するかと思った身体は、だが馬超が投げた槍に肩を貫かれて床へと転がり落ちた。
そのまま衛兵に身柄を拘束されたのは、凌統が見たことのない女官。
視線の鋭さと身のこなしを考えれば他国の間諜の可能性が高い。
呉と蜀の重鎮が集まる中でこのような暴挙を行う可能性がある国と言えば1つしかない。

「曹魏か…」


呉と蜀が繋がって困るのは当然ながら魏である。

2国が力を合わせても大国である魏と同等の武力を持つとは到底言えないが、それでも厄介なことに違いはない。
どちらの戦力も削ぎ、そして2国間の関係を悪化させるならば今回の策はこれ以上ない上策だ。
か弱い女性を狙う策が良策かと言われれば否としか言えないが。

柳杏は捕らえられると同時に自害した。
まるで最初から計画していたかのような柳杏の行動は他に策が残されていると考えるには十分だ。
劉備を害することは不可能。
陸遜や凌統を害したところで計画には足りないだろう。
となれば残された可能性は、別室で休んでいる彼の女性達。
関係者は全て宴席に集めていたから警備は決して厳重とは言えないだろうあの部屋にいるのは、病床の尚香と武術などまるで嗜んでいない趙雲の婚約者。

どうして気づかなかったのだろう。

「あぁ、もう、まったく!」

己の失策に気付いて凌統は慌てて宴席を飛び出した。


  • 12.09.08