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比翼連理 10


それはまるで一対の絵のように感じた。

宴が始まってから少しだけ時間が経過した。
いつもは劉備の傍に控えて離れない趙雲の姿がないことを疑問に思った矢先に彼の到着が告げられ、会場にいたほとんどの人物が開かれていく扉へと視線を向けた。
そうして現れた人物は、1人ではなかった。
緑を基調とした衣服を好む蜀において銀糸を多分に含んだ趙雲の姿はとても目立つ。
戦場で目立つから便利なのだと言っていたのを思い出したが、戦場どころか宴席でも十分すぎるほどに存在感を主張していた。
ただでさえ精悍な青年なのだ。
武人だからと華やかな席を好まない彼がやってきたことに色めきたつ女官の姿は多い。

だが、そんな女官たちの浮き立つ感情は、趙雲の隣に並ぶ少女の姿を見て一瞬で消えた。

黒目がちの大きな瞳、整った鼻梁。
きゅ、と閉ざされている唇はふっくらとしていて、まるで雪の中に色づく赤い実のようだ。
絹糸のように艶やかな髪はゆるく編み上げられ、真珠の髪飾りで留められている。
衣装は趙雲と良く似た銀糸を多用した碧色の衣装。
色の濃淡を利用して重ねている衣装はほっそりとした身体を強調させるデザインになっているが、少女の持つ雰囲気がそれを下品に感じさせない。
歩くたびに揺れる服の裾から僅かに見える脚は細く白く、おそらく武芸の嗜みなどまったくないだろう。
それなのに立ち居振る舞いの1つ1つが洗練されていて武人の動きのようにも見えるから不思議だ。
緊張しているのだろうか美しい表情が若干強張っているように見えるが、この宴席に集う人物の身分を考えればそれも納得できる。
何しろこの場にいるのは蜀の国主である劉備とその花嫁である呉の孫尚香を始めとして、両国の施政を担う重鎮が勢揃いしているのだ。
一介の娘が対面できるような相手ではない。
それなのに視線はしっかりと前を見据えたまま、すらりと背を伸ばして趙雲に続く姿は凛として美しい。

ほぅ、と誰かの嘆息が耳に響いた。
音の主を探して視線を巡らせれば、凌統がうっとりとした視線で2人を眺めていた。

「いいねぇ。美男と美女。何とも絵になる2人じゃないか」

それはおそらくこの場にいた全員の意見だろう。
凌統の声で我に返った者がほとんど。
しんと水を打ったような静けさに包まれた会場に少しずつ人の声が戻ってきた。

「あれが趙将軍の許嫁か。いやはや、あれほどの美姫とは…」
「多くの縁談を蹴っていたのも納得ですなぁ」
「数多の女性の誘いも交わしていたのも道理というもの。あのような美しい女性がいるとなれば、私とて他の女性など目に入らぬでしょうて」

ざわざわと聞こえる声の中に批判めいたものは聞こえない。
ほとんどの声が趙雲の連れの女性を称賛するもので、残りが趙雲に対する羨望だ。
だがそれは男性達のものばかりで、趙雲に色艶めいた視線を送っていたものは悔しそうに2人を眺めているものが多く、その中でも趙雲と強引に婚姻を結ぼうと画策していた件の文官とその娘のそれは大きかった。
赤くなったり青くなったり、それはもう忙しそうだと陸遜は心中で笑った。
趙雲に問い質しはしたものの、陸遜は端から例の噂を信じていなかった。
そもそも分不相応。
高官とはいえたかが文官、しかも国同士の調印に出席できない程度の位しか持たない男の娘と、三国に武勇を響かせている趙雲子龍では不釣り合いも良いところだ。
その娘とやらが絶世の美姫で趙雲を虜にした可能性も考えられるが、数度まみえた程度ではあるが陸遜は趙雲がそのような外見の美醜に囚われるような人物だとは思わなかったため、その思考もあっさりと却下した。
いずれわかると言われていた通り、確かに良く分かった。
言葉を重ねるまでもなく目の前の少女の存在を見せられてしまえば、趙雲の心がどこにあるかなど一目瞭然。
ただ美しいだけでなく瞳の奥には深い知識と慈愛を感じる女性。
ほっそりとした身体は武芸の嗜みなどないだろうが、いるだけで空気が柔らかくなる不思議な存在だ。
まるで趙雲が敬愛する劉備玄徳の雰囲気に、彼女の持つそれはとても良く似ている。
この女性がいるのなら、確かにどれほどの美姫を用意されても色香に迷うことはないだろう。
哀れなのは自分を過信しすぎていた女だろうか。
陸遜が見ても中の上、知性も気品も感じさせない娘。
宴席の主役である孫尚香以上の装飾品に身を飾り、自慢なのだろう豊満な胸をこれでもかと見せつける姿は、下賤な男なら目を奪われるだろうが趙雲は好まないだろう。
勿論陸遜も同様だ。
過剰な色気は下品でしかない。
少なくとも陸遜は娘の胸の谷間を見ても何とも思わない。

少女は場の空気に気付いているのかいないのか、薄紅色の唇に微笑みを宿したまま趙雲の半歩後ろに控えている。
す、と両手を合わせて礼を取る姿は流れるようで、僅かに動かした頭上で銀の飾りが軽やかな音を立てた。

「これはそもそも役者が違いますね」

彼女は一体どういう素性なのだろう。
陸遜がそう思うのは当然のことだった。







   ◇◆◇   ◇◆◇







そんな視線を一身に浴びて平然としている月華改めは、外見とは裏腹に内心は絶賛大パニック中であった。

(内輪だけの式典だって言ってたのに〜)

思わず趙雲を睨みつけてやりたい衝動に駆られたが、今この状況でそんなことをすれば全てが台無しになってしまうだろうと何とか我慢するが、それでも騙された感は消えない。
騙されたと言えば宴席の出席自体がそもそも騙されていたのであり、断れないギリギリまで許嫁の設定を隠していたことも、それはもうはっきりと詐欺だと言っても良いだろう。
しかし趙雲は嘘を言ったわけではなかった。
確かにこれは内輪の宴席である。
その証拠に呉の国主である孫権は出席しておらず、隣国であり敵国である魏の招待客もいない。
いるのは蜀の重鎮と呉の使節団のみ。
尤もその人物のほとんどが国政を担う重要人物であることは事実なのだが。
国同士の同盟である婚姻の宴席となれば、内輪といっても重鎮しか出席しないのは当然で、それに気づかなかったの考えがそもそも甘かっただけなのだが、残念ながらこの場でそれを教えてくれる相手はいない。
逃げようにも会場に入ってしまった。
ついでに視線もこれでもかというほどに浴びている。
こうなったら開き直るしかあるまいと、は半ば自棄になりながら趙雲の隣を歩く。
とりあえず、家に帰ったら力いっぱい抗議しよう。
それだけは心に決めて。





「おお、趙雲。ようやくやってきたか」
「遅くなりまして申し訳ありません」

劉備の前で拱手する趙雲に倣うようにも膝を折る。
一通りの礼儀作法は女官に教えてもらったので、何とか形になっているだろうか。
のそんな内心には幸い誰も気づかなかったようで、劉備の瞳が嬉しそうに細められた。

「そちらの女人が以前から話しておった許嫁か。成程、趙雲が自慢する通り、輝くばかりの美しさだ。尚香殿もそう思うだろう」
「本当に。二喬にも負けないんじゃないかしら」
「だが、私には尚香殿の方が艶やかで美しいが。このように美しい花嫁を迎えられるとは、私は本当に果報者だ」
「やだ。劉備様ったら」

何だか目の前でいちゃつき始めた君主夫妻に軽く呆気に取られながら、それでもは僅かに視線を伏せたまま。
仲が良くて何よりだけど早く終わってくれないかなぁと思っていたは、目の前の花嫁が椅子から飛び降りたことに気付かなかった。

「?!」

不意に両肩に圧力がかかり驚いて顔を上げた。
至近距離で輝く碧の瞳に思わず目を奪われる。
美少女のアップには正直驚いたが、その瞳が何かに期待するかのようにキラキラと輝いているのが何とも可愛らしかったので、ついは笑みを浮かべてしまう。

「うん。合格!」

何が。

そう思ったけれど、これも我慢して言葉を飲み込んだ。
一体どうなっているのだろう。
教えてくれる相手は隣で苦笑したまま。
これはやはり帰ってからきっちり話し合わないといけないだろうとは心に刻み込んだ。


  • 12.03.10