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比翼連理 08


呉の使者団が到着した。
今回は同盟の準備ということでやってきたのは呉の軍師見習いでもある陸遜と呂蒙の姿があった。
同盟の中心人物である孫尚香の姿は見えないが、そもそも花嫁としてやってくる彼女が堂々と馬に乗ってくるわけもないので、おそらく彼女は午後に到着する船に乗せられているのだろう。
愛らしいけれど武に秀でた姫君。
劉備の妻にするには不安要素が大きいと思うものの、どうやらお互い既に親交は深めている上に想い合っているらしいので問題はなさそうだ。

それにしても陸遜と呂蒙とは、呉も随分と警戒しているらしいと趙雲は内心で思う。

一応文官という肩書の彼らだが、その武勇もそれなりにあることを知らない蜀の武将はいない。
特に陸遜の火計にはさんざん苦しめられたのだ。
まだあどけなさの残る少年の姿をしているが、その外見に騙されたら痛い目を見ることになるのは間違いない。
どれほど若くても、彼は周瑜が後継にと選んだ人物なのだ。
表向きは同盟。
だがこの乱世で友好的な関係など続くわけがないため、ほんの些細な亀裂が関係を悪化させることになる。
自分たちの行動も勿論だが、相手の動向にも目を光らせておく必要があるだろう。
そう決意を新たにしていると、陸遜が趙雲に気付いたのか近づいてきた。

「これは趙将軍。ご無沙汰をしております」
「陸遜殿こそ、遠路はるばるよくお越しくださいました」

陸遜と会うのは過日の戦場以来になる。
前線にいた趙雲と本陣にいた陸遜が直接対峙したわけではないのだが、お互い名を馳せた人物であるため見分けるのは容易かった。
長旅の話や他愛のない世間話に軽く相槌を打ちながら答えていれば、陸遜はふと何かに気付いたかのように話を切り出した。

「そう言えば」

陸遜は邪気のない顔で趙雲を見る。

「趙将軍におかれましては、崔家のご令嬢と婚約がお決まりだとか。おめでとうございます」
「…その話をどちらでお聞きになりました?」

できればこの先一生聞きたくない名前を耳にして、趙雲の眉が僅かに上がる。
ふふ、とあくまでも穏やかに返して陸遜は答えた。

「先程回廊の向こうにいた女官が噂していたのが聞こえました。何でも崔家のご令嬢と言えば才色兼備の素晴らしい女性とか。いや、羨ましいものです」
「陸遜殿ともあろう方が女官の噂程度を鵜呑みにするとは」
「勿論噂だけではありませんよ。これでも情報には敏感なもので。蜀の猛将である趙雲殿がご結婚ともなれば、女性だけでなく我々にも無視できぬことでもあるのですよ」

たとえば他国との同盟の条件とか。
小声で告げられた言葉は馬鹿馬鹿しいと一笑するには可能性として高すぎた。
趙子龍の名は三国に広まっている。
その彼を婿にすることで同盟を結ぼうと提案してくることは十分に考えられるのだ。
それは他の武将にも言えることだけれど、年齢を考えれば一番妥当な相手は趙雲なのである。
婚姻は外交の一番分かりやすい手段だ。
国家間の関係を深めるものだから相手は国主と国主の娘という関係が多い。
だが相手が家臣である場合もないわけではない。
むしろ婚姻によって蜀の猛将である趙雲を己の戦力に引き込めるとならばと考える国とてないわけではないのだ。
実際呉でも趙雲の戦力は喉から手が出るほど欲しいのだ。
魏がそう思わないわけがなく、曹魏の手の者がそういう手段に及ばないとも限らない。
もっとも崔家が曹魏とは無関係であることは疾うに調査済であるが。
何よりも一個人として陸遜はその噂に興味があった。

「それで、本当のところはどうなのです。趙将軍ほどの相手が一文官の娘というのは些か拍子抜けなのですけれど」
「…真実はいずれ明らかになりますよ。――失礼」

肯定するでもなく否定するでもなく、趙雲は静かな笑みを浮かべて陸遜の前から姿を消した。
流石は趙雲と言えば良いのだろうか。
肯定とも否定ともつかない台詞は公になる前に事が露呈することを危惧しているようにも見えるし、根も葉もない噂を無視しているようにも見える。
だが一瞬だけ見えた不機嫌な表情に、やはりこれは彼の本意ではないのだと推察する。
そもそも噂の質としてあまりにも低すぎるのだ。
呉の文官の中には、趙雲の武勇を欲した曹操が理伏である文官を使って取り込もうとしたのだと言う者もいた。
周瑜は一笑に付していたが、陸遜も周瑜と同意見だった。
こう言っては何だが趙雲の正妻となるには小者すぎる。
良くて妾。あるいは側女の類だろう。
勿論趙雲がその娘を好いて結婚するのなら問題はない。
だがあの反応を見る限りそういうわけではなさそうで。

今宵は宴。
劉備と尚香の婚約披露のような宴だが、件の娘にとっては自身の婚約披露だと思っているらしい。
誰にも負けない衣装を用意したという話が、蜀に来たばかりの陸遜の耳にすら入ってくるほど。
その時点で大きな勘違いをしている娘は、やはり趙雲が心を動かすだけの価値はなさそうだ。

それよりも、もっと気になる噂を陸遜は港から城に向かう途中で耳にした。
ここ最近趙雲は天女のように美しい少女を伴って城下に現れるのだとか。
仲睦まじい様子に華燭も間もなくだろうと話していたのだが、その相手が誰であるかは一向にわからなかった。
趙雲が打ち解けた様子であること、少女が民に気さくに接していることなどから、陸遜はその相手が件の文官の娘である可能性を消した。
陸遜が仕入れた情報によれば、その文官の娘は自分より身分の低い者には冷徹だというのだから、民に気軽に話しかけるようなことなどしないだろう。
では、誰だろうか。
陸遜とて男だ。
天女のように美しい女性となれば一目見てみたいと思うし、堅物と評判の趙雲が心を許した女性となればそれだけで一見の価値はある。
そしてそんな女性が身近にいるのならばなおさら趙雲が今宵の宴に何の対策もしていないわけがないだろう。



「何やら面白いことになりそうですね」



何かが起こるだろう宴の時間まであと少し。

陸遜は誰にともなく呟いて楽しそうに笑った。







   ◇◆◇   ◇◆◇







「………何、これ?」

は呆然と呟いた。
目の前に広がるのは布・布・布・宝石・布・宝石・宝石である。
キラキラ光っていて目が痛い。

「まあ、何をおっしゃっておいでです姫様。趙将軍が昨夜お話しされていた宴の御衣装でございますよ」
「…装飾品、多すぎませんか?」
「とんでもない。正装ですもの、このぐらい当然ですわ」
「はぁ…」

困った。断ればよかった。
そう思っても後の祭りである。
は目の前に広がる布を眺める。
光沢の具合を考えると絹だろうか。
あまりの布の多さにどうやって着るのかわからない。
そういえば奈良時代の衣装が似ていたはず。
普段着にしている服は確かに似ていたが、明らかにデザインが違うと分かる服は完成形が全く予想できない。
自分が着て大丈夫なのだろうか。
着慣れないために着くずれとかしなければいいんだけど。
そんな脳内会議中のの様子など気にならないのか、侍女が嬉しそうにの腕を引っ張る。

「とても上等なお着物ですのよ。姫様が纏ったらどんなにお美しいでしょう。本当ならもっと豪華にしたいところですが、今回の主役は劉備様と呉の姫君様ですもの。あまり目立ってもよろしくありませんから控えめにしたのですよ」
「…これで控えめなの?!」
「勿論ですよ。ささ、お時間もあまりありませんわ。湯あみとお召替え、それからお化粧と髪結いもしなくては」

そう言って問答無用で浴室に放り込まれ、これでもかというほど磨かれた。
ちょっと待ってという言葉は笑顔でスルーされてしまった。
他人に身体を洗ってもらうような大層な身分じゃないのにとあわあわしているうちに、手慣れた侍女はの身体を丁寧に洗っていく。
たっぷりの香油でマッサージされようやく解放されたかと思う間もなく今度は着付けである。
あれ取って、これだと金糸の帯のが良いかしら、でも簪は銀だから銀糸の方が統一感あるかも、そうよね将軍が銀色多いからこちらの方がお似合いかも、なんて言葉が室内を飛び交い、ようやく全てが終わった時にはの魂が軽く飛びかけていたのも無理はないだろう。
はあちらの世界でたまたま入ったショップで店員に着せ替え人形にされた時を思い出していた。
女はいつの時代でも元気なんだなぁと関係ないことを考えてしまう程には疲れたのである。

そうして正装に着替えた趙雲が迎えに来ての姿に最大限の賛辞を述べてくれたのだが、生憎ぐったりと疲れ果てたの耳には半分ほどしか届いていなかった。
半分でも十分すぎるほどだったのは言うまでもないだろう。


  • 12.01.24