元親と光秀は親しいが、そんな2人の間は不思議な程に会話が少ない。
お互い必要以上のことを語らない性格だからということもあるが、言葉などなくても通じるものがあるらしい。
だが万事控えめな光秀とどこでも悪目立ちをする元親とでは親しくなる要素が見つからず、そのためそれほど時間がかからないうちに親しくなった2人を不思議そうな目で見る武将は多かった。
だが、やはりこの2人は心のどこかで通じ合っているのだろうと思うのは戦に赴く時である。
戦場では正確な状況を掴むのは難しく、混戦になれば尚更だ。
ともすれば敵軍の中で孤立してしまう隊がいたり、逆に敵の搖動にひっかかって布陣を乱してしまう隊が出るのだが、光秀や元親が指揮する隊ではそのようなことは皆無だった。
敵軍や自軍の状況判断力が優れているのだろうか、2人の戦略は非常に良く似ていて、だからこそ言葉などなくても阿吽の呼吸で進むことができるらしい。
少なくとも光秀と元親が共闘した戦は、他の戦に比べて格段の成功率を誇る。
そんな2人が相手だと分かっているのか、天王山に陣を構えた秀吉の軍は光秀の軍の数倍にも及んでいた。
対峙する前から敗色濃厚な圧倒的な武力差は歩兵を竦ませるほどのものだが、総大将である光秀と元親の顔色は変わらなかった。
最初からその程度のことは想定内だ。
むしろ織田家の武将で最も厄介である柴田勝家が出てこないだけ、状況はまだましだと言わざるを得ない。
「さて、猿はあの向こうだ。どう料理する?」
「何も」
光秀は前方を見据えたまま短く答える。
「私の目的は秀吉殿ではありません」
光秀はただの一度も私怨で剣を抜いたことはなかった。
それほど人を恨んだこともなかったし、何よりも己の剣は主君のためのみに使うものだと思っていたからだ。
だが、今光秀の手に握られている剣は紛れもなく私怨で抜かれたもの。
目指す先は本陣。
敵は秀吉ではないが、そこにいるはずである。
進軍してくる秀吉に送られた使者は誰1人として帰ってこなかった。
それどころか本陣まで到達できなかったようで、反対に送られてきた秀吉からの使者によりその事実が発覚した。
それどこか光秀の名で諸将へ参戦の要請が送られていたのだというのだから、相手は相当の策士だ。
誰かが故意に光秀と秀吉を争わせようとしているのは明白。
そしてその犯人は光秀が知る限り1人しかいない。
「八重…」
光秀に異様な執着心を見せていた女。
蘭丸の最期の言葉からあの女が本能寺に現れたのは間違いようのない事実。
おそらく信長があの場を離れなかったことにも関係しているのだろう。
何故八重がそこまで光秀に執着するのか、光秀にはわからない。
天つ一族の末裔だというだけでここまで執着するだろうか。
天に還ろう、と八重は言った。
だがそのようなことできるはずがないことくらい、八重とてわかっているだろうに。
八重の真意がどこにあるのか。
光秀はそれを問いたださなければならないのだ。
そしてその罪を償わせなければ。
だからこそ光秀はこうして戦場に赴いたのだ。
そこに元親を巻き込んでしまったのは誤算としか言えないのだが。
光秀は元親を見る。
飄々とした姿は普段と何一つ変わらない。
当然のように手を貸してくれることは正直嬉しいが、だからと言ってこれ以上甘えるわけにはいかないだろう
。
元親には守るべき国や家臣がいる。
「ありがとうございました。後はこちらで何とかしますので、元親殿はお帰りください」
「水臭いことを言うな。俺とお前の仲だろう」
「ですが…」
「乗りかかった船というやつだ。お前は前だけを見て進めばいい。後ろは俺が守ってやる」
幾度となく繰り返された問答は、やはり戦場についてからも同じ言葉の繰り返しだ。
申し訳ないと思う反面、無条件で光秀を信頼し手を貸してくれる元親の気持ちが有難い。
「さて」
圧倒的不利な戦況。
その恐ろしいほどの兵力を前に元親は笑う。
「お手並み拝見と行こうか」
◇◆◇ ◇◆◇
戦場において鬼神と呼ばれる人物は何人もいるが、今、目の前で剣を繰り出す光秀を形容するのにこれ以上相応しい言葉はないだろう。
舞うように剣を振るい、その剣の前にいる者は悉く戦意を喪失する。
余計な命を奪わないようにという配慮は、戦を始めてすぐに諦めた。
少しでも手を抜けば光秀ですら無事では済まない。
それほどの大軍と綿密な罠。
秀吉の戦は容赦がない。
一体どれほどの敵を屠ったのか、それすらもわからないまま光秀はひたすらに剣を振るう。
己の体調が万全のものではないことは重々承知、本来なら戦場に出ることすら考えられないことではあるが、不思議と身体は軽かった。
元親の協力の元、戦力差など関係ないほどに互角の戦いを行ってはいるが、時間の経過は確実に光秀にとって不利となる。
短時間の勝負。そう判断した。
だから光秀は迷っていられなかった。
そうして戦場を進んでいけば、現れるのは秀吉が信頼を置いている武将達で、それは当然のことながら光秀にとっても知己の人物であった。
大きな釜を手に光秀の前に立ちふさがるのは加藤清正。
秀吉配下の武将の中でも、特に親しく会話を交わしていた相手だ。
「明智殿…何故」
「貴方に説明している時間はありません」
非難するというよりは問いただす視線を向ける清正に、光秀は答えようともせずに懐に入り込んだ。
動揺する清正の片鎌槍を後方へ弾き、無防備な鳩尾へと返す剣の柄で一撃。
声もなく崩れ落ちる大柄な体を受け止め、その身体をそっと樹の幹に横たえた。
「…すみません」
何に対しての謝罪か己自身も良くわからないまま呟き、光秀は足を進める。
本陣へと到着すれば、憤怒の形相を浮かべた秀吉がいた。
「光秀…。お前さん、ようものこのこと儂の前に姿を現わしたものじゃ」
日頃温和な秀吉の、このような顔を見たのは初めてだった。
弁解のしようのないことだと思う。
だが、いくら真実を訴えたところで今の秀吉には通じないだろう。
その目は光秀を謀叛人と信じて疑っていない。
光秀の潔白を証明するのはただ1つ。
本当の謀叛人を秀吉の目の前に付き出すことだけだ。
「貴方に用はありません。どいていなさい」
「なっ?!」
秀吉の顔が屈辱に歪むが、そんなことに構っている時間はないのだ。
光秀は剣を一閃する。
秀吉にではなく、彼の背後の陣幕に向かって。
はらり、と落ちる陣幕。
その隙間に覗くのは艶やかな深紅の衣。
光秀は瞳を眇めて女を見据える。
美しい女。だが、戦場においてこれほど場違いな存在はないだろう。
「お久しゅう、明智光秀様」
「やはり貴女でしたか」
八重、と光秀が女の名を呼んだ。
抜身の剣を女へと向け、光秀は言葉を紡ぐ。
「答えなさい。何故、私を騙り本能寺へ攻め入ったのか。そして何故、信長様を殺めたのか」
目を見開く秀吉の先、更なる禍々しさに身を包んだ八重がにやりと笑った。
- 11.12.08