2人仲良く褥で眠る姿を目撃するのは何度目になるのか、蘭丸は何ともいえない思いでそれを見つめた。
光秀が信長との伽を務めている間、扉の前で不寝番をするのは蘭丸の仕事だ。
だから蘭丸は光秀が女性だということを知っている。
直接この目で見たわけではないが、これでも有能な小姓なのだ。
声や空気から女性と男性の閨が違うことくらいわかる。
それどころか信長の腕に抱かれて眠る姿はひどく無防備で、華奢な肩や細い首はやはりどうしても男性には見えない。
気付いた蘭丸自身、どうして光秀を男だと思っていたのか不思議に思ったほどである。
だが平素の光秀は凛とした佇まいを崩すことはなく、鎧で隠されているからか線の細い男性であるという印象しか感じないのだ。
一部の隙もない仕草は武人としてのものだと思っていたが、成る程女性であることを悟らせないために常に気を張っていたのかと思えば納得もできる。
眠っている時の無防備で頼りない姿。
これが光秀の本質なのだろう。
そしてだからこそ主君の寵は深いのだろうとも蘭丸は思う。
信長は面白いことが好きだ。
だからこそ男女関係なく多くの人材をその目で見て登用してきたのだし、既存の概念に囚われることがないからこうして勢力を拡大してきている。
そんな信長にとって光秀のような人材はまさに好みだろう。
有能な部下に向ける寵でもなく、子供を産む女を愛でる情でもなく、況してや頑是無い子供に向ける愛でもなく、そしてそれら全てを含めた感情で信長は光秀を雁字搦めにしている。
束縛というほどは強くなく、だが興味という言葉で片付けてしまうには濃すぎるそれから、お世辞にも世渡りが上手だと言えない光秀が逃げるのは不可能だろう。
第一信長が逃がすつもりがないのは明白である。
今もこうして眠っているにも関わらず光秀を抱き寄せて離す気配すらない。
光秀も光秀で他人の気配に聡いはずなのに一向に目を覚ます様子が見られないのは、疲れているということ以上に信長の腕の中が安心するからなのだろう。…本人は無自覚のようだが。
このような信長の行動は信長の表面しか知らない者が見れば驚くしかないだろうが、少なくとも多少なりとも寵を得ている蘭丸からしてみればごく当然のことだと思っている。
蘭丸の主は存外情が深いのだ。気に入った人物に限りという注釈がつくが。
勿論公私の区別はきちんとしているから行政において情に流されるようなことはしない。
何においても執着らしい執着を見せなかった信長が誰であろうと興味を持つということは喜ばしいことで、況してやその相手が光秀なのだから蘭丸は歓迎こそすれ批判するつもりも光秀の秘密を露呈させるつもりも毛頭ない。
そのためにも、まずは侍女が来る前に2人を起こすことが先決である。
「信長様、間もなく起床の時刻となります」
目が覚めているはずなのに相変わらず起きようとしない主君に声をかけると、蘭丸は目覚めた光秀が事態に気付いて慌てて飛び起きるより先に襖を閉めた。
僅かな後、いつも通り上機嫌な信長と蘭丸に寝姿を見られた羞恥にか僅かに顔を赤らめて信長の後ろを歩く光秀の姿に、もういっそこの2人ってば夫婦って呼んでいいんじゃないかと思ったのは蘭丸だけの秘密である。
◇◆◇ ◇◆◇
「天女でございますか?」
本日予定していた評定があまりにもあっさりと終わってしまったせいか、居並ぶ諸将の表情はひどく緩いものだった。
ここ数ヶ月戦や領地の整備などに終われていた武将が多い中、こうしてゆっくりとした時間を過ごせる機会は珍しく、又、信長から労をねぎらわれた武将の機嫌は通常よりも更に良いものとなっていた。
特に今回戦の功績を認められた豊臣秀吉や柴田勝家などは加増されたこともあり上機嫌、その他の武将も多少なりとも加増を認められたり信長から褒美の品を賜ったりしたものだから、安土城内ではめったにないほど明るい雰囲気が漂っていた。
そんな中で発せられた佐々成政の言葉に反応したのは、やはりというか女好きで知られる秀吉だった。
「さよう。巷でそう呼ばれている女がおるようじゃ。何でもこの世のものとは思えぬほど美しいとか。かぐや姫もかくやと言われておるそうじゃが、さてどこまでが本当かは某にはわかりませぬ」
「天女ですか。お市さま以上の美姫などこの世に存在しないと思いますがの」
「所詮噂よ。ただ遊女ではないらしく、どこにいるのかもとんとわからぬらしい。時折城下に下りてくるという話じゃが…」
「そうそう、遊女と言えば…」
いつの世も男の関心を引くのは権力と女の話である。
誰のものでもない絶世の美女と聞いて俄然興味が湧いてきたのだろう。
いつになく盛り上がる周囲に、やはりというか当然というか光秀はついていけない。
それでも不調法にならないようにと時折相槌を打つものの、自分に話が振られることのないように願うばかりである。
素性の知れない美姫に興味がないというのも勿論だが、昨夜の信長との行為が身体に疲労を蓄積させているのだ。
普段ならばとうに解散していてもおかしくないのに、何故今日に限ってこのような話が展開されてしまうのか。
しかも信長もそれを咎めようというつもりがないらしい。
特に興味を持っているようには見えないが、脇息にもたれたまま部下の話に耳を傾けている。
主君が在席しているのに自分が場を辞するわけにはいかず、光秀は何ともいたたまれない気持ちでその場に留まっていた。
遊女の話へと逸れてしまった話は、どうやら興味のある秀吉によって本題に戻された。
「漆黒の髪と白い肌、人形のように品良く整った顔立ちですか。まるで光秀殿のようですな」
「ひ…秀吉殿っ」
このままひっそりと空気のようになっていればいずれ終わるだろうと思っていたのだが、どうやら運悪く矛先はこちらに向いてしまったようだ。
「確かに光秀殿が女性だったら傾国の美女となっても不思議はありますまい。いやはや勿体ない勿体ない」
「光秀殿が女性でしたら、それこそなよ竹のかぐやの如く多くの公達や武将が妻にと望んで押しかけていたでしょう」
からからと笑う秀吉にそうだと同意する声が相次いだ。
勿論冗談であることはわかっているしその場の雰囲気でそういう話になったのだとはわかっているが、本当は女であることを隠しているために罪悪感と動揺は半端ではない。
「私如きの外見など、掃いて捨てるほどおりましょう。取り立てて珍しいというものでも…」
「ご謙遜なさいまするな。光秀殿ほどの器量の持ち主など、この日の本を探しても数名いるかどうか。お市さまの美しさは当然のことなれど、光秀殿もなかなかに」
「そういえば光秀殿の母御は確か天女のごとき美しさと謳われていたとか。成る程、その美しさは御母上譲りということですな」
「皆様…どうかもうお許しください」
外見を褒められることは女性にとっては名誉なことかもしれないが、己の美貌を理解していない光秀にとってそれは羞恥でしかない。
困惑したように視線を伏せる姿は確かにそのへんの女性では勝てないだろうと思うほどの艶があり、思わずごくりと唾を飲む音が聞こえた。
その途端、ぱしんという軽い音が響いた。信長である。
上座に座ったままの信長は先ほどまで見せていた穏やかな表情から一変して鋭い視線を部下に向けていた。
手にした扇子を弄ぶように開いたり閉じたりしている様は、見慣れた者ならばわかる不機嫌の証拠である。
どこで信長の勘気を被ったかわからない武将達はきょとんとするものの、信長の視線を受けて会話を続けられる人物はいなかった。
「うぬらは男の色香に惑わされるか」
「…い…いえ…そのようなことは」
「くだらぬ…光秀」
慌てて弁明する部下に鋭い一瞥を与え、信長は光秀へと視線を移した。
あからさまに安堵している光秀に信長が言葉を続ける。
「うぬが仕上げた査察の報告、大儀であった。顔色が優れぬようだ。今日はもう下がって休むがよい」
「……ありがとうございます」
半ば強引な手段ではあったが、信長がくれた退出の機会を無駄にするわけにはいかない。
光秀は信長に頭を下げ他の武将へ先に帰城する旨を告げると速やかに部屋を後にした。
光秀の去った室内は水を打ったように静かになったが、主君が退出しない以上自分達も部屋を出ることは許されないために、居心地が悪い思いを抱えながらもいるしかなかった。
「そういえば」
重苦しい空気に耐えかねた、というよりはふと思い出したといった感じに声を出したのは徳川家康である。
彼は幼少時代から信長と共にいるせいか、ほんの些細な表情の変化から信長の勘気が多少緩んだのを察していたのだ。
「先程の天女の件ですが、数十年前にも同じような噂がありましたな」
「と…徳川殿…」
「『美濃の森の奥深くに天女の末裔が住む村がある』とか。あくまでも噂でしたので真相は知りませぬが、光秀殿と言い濃姫様と言い、美濃に美形が多いのは事実。恐らくその天女殿も美濃の生まれなのでございましょう」
いや羨ましいと明るく笑えば信長も視線を和らげたためか、ようやく空気が軽くなった。
「確か、彼の一族は何と申したでしょうか」
「『天つ一族』と言ったような…。確か二十数年前に各地で大規模な天女狩りが行われたせいで離散したと聞いておりますれば、最早美濃周辺に残っている者は少ないのではないかと…」
天女を手に入れれば世界の覇権を手にすることができるという噂は遙か昔からまことしやかに囁かれている。
それを信じる者がいるのは、かつて天女を妻とした男が一代で広大な土地と金を手に入れたと言われているからである。
誰もが子供の頃から聞かされてきた御伽噺だが、真実かどうか分からないもののれっきとした文献に残っている資料では天女は存在したことになっている。
そのため権力を狙う多くの者が天女を手に入れようと天女狩りを行っていた過去がある。
今では本気になって行う者こそ少ないが、それでも美女と権力は男にとっていくらあっても困らないものだ
どうにかして手に入れようと、今も尚企んでいる男がいても不思議はない。
そしてそういう男に取り入ろうとする女も決して少なくはない。
恐らく今騒がれている自称『天女』も、自分の美貌に自信がある普通の女だろう。
信長は勿論だが、家康もそのような噂は信じていない。
だからこそそんな噂のせいで滅んだ一族があるのだとすれば哀しいことだと、家康は小さく呟いた。
- 10.10.02