「美味いワインが手に入ったんだ。一緒に飲まないか?」
その誘いを受けたのは、長い長いテスト期間が終了した日であった。
多数の筆記試験や実技をこなすため、アカデミーの生徒は毎日必死に勉強している。
一癖も二癖もある教官ばかりが揃っているため、定期的に行われる試験は油断できない。
幸いにもイザークは優秀だったので、大して努力もせずにそれなりの成績をおさめることはできる。
が、やはりやるからには一番にならなければ意味がない。
ということを理由に、ここ数日のイザークは勉学に励んでいたのだ。
その間相手にしてもらえなかったディアッカはかなり不満だったようで。
『試験が終わったら何でも付き合ってやる』
とイザークが約束することで、ようやく納得してくれたのである。
本日すべての試験が終了し、アカデミーは解放的な雰囲気に包まれていた。
「今回の試験、最悪だよ。何であんなに難しいんだよ」
「同感。実戦だけできてればいいじゃん。整備士志望じゃないのに、何でプログラミングまで細かく勉強しなきゃなんないわけ?」
イザークはデスクにかじりついてそうぼやいている生徒を、冷ややかな視線で一瞥した。
(あの程度のプログラムも理解できないような奴がなんでパイロット志望なんだ?)
身の程知らずもいいところである。
先程の試験で出された課題は初歩的なプログラミングであり、パイロットを目指すなら解析できて当然。
この程度がわからないようではMSを動かすことなどできない。
イザークはいまだ机にかじりついている人物を見た。
自分よりも年上だろうその人物は、己の頭脳の不出来を棚に上げた発言を繰り返している。
その顔に見覚えがまったくないので、おそらく成績もたいしたことないのだろう。
低レベルな会話を耳にして、イザークは眉間に皺を寄せる。
話を聞くだけでも不快になるのだが、生憎イザークには席を立てない理由があった。
試験が終わったらすぐに迎えに来ると言っていた相手がまだ来ないからだ。
自分から迎えに行こうという気はさらさらない。
迎えに来るから待ってろと言われた以上、相手が来るのが道理だというのがその理由だ。
だが…。
(遅すぎる!)
試験が終了してからまだ5分しか経っていないのだが、イザークは待たされるということが嫌いだった。
やはり先に帰ってしまおうと決心して席を立つと、タイミングよくディアッカが姿を現した。
「悪い、遅れた」
「遅い!」
ディアッカが軽く手を挙げると、イザークは不機嫌さを隠さないままそう言った。
「だから悪いって謝ってんじゃん。これ取りにロッカー行ってたんだ」
そう言ってディアッカは手にしていた紙袋をイザークに見せる。
その中には細長い箱が2本入っていた。
イザークが訝しげに目を細めると、ディアッカはにやりと笑った。
「ビオンディ・サンティ・レセルバの年代物とペトリュスだぜ」
その名前に、不機嫌だったイザークの目の色が一瞬で変わる。
イザークは好んでアルコールを口にしないが、ワインだけは別である。
量を飲むほうではないが、グラスに1、2杯程度を会話を楽しみながら飲むのは好きだ。
そしてそんなイザークをよく理解しているディアッカが持っているのは、ジュール家ですらそう容易に手に入れることはできないほど稀少なワインであった。
そういえば以前飲んでみたいとディアッカに離したが、まさか本当に用意するとは思わなかった。
どうやって手に入れたのか。
イザークはちらりとディアッカを見るが、ディアッカはいつもの笑みを口元に浮かべるだけだった。
「ようやく試験も終わったことだし、家でゆっくり飲もうぜ」
そう言うとディアッカはイザークの答えも聞かず、そのまま肩を抱いて教室を後にした。
◇◆◇ ◇◆◇
自宅に戻らずディアッカのマンションへ向かう。
それは珍しいことではなかったが、試験前はアカデミーと自宅の往復だったので、妙に久しぶりに感じる。
実際には一週間ぶりぐらいなのだが、それまで頻繁にここへ来ていたので、より一層そう感じたのだろう。
途中でいくつか食料品を調達し、エレカに乗り込んだディアッカは上機嫌であった。
「妙に機嫌がいいんだな、ディアッカ」
「ん?ああ、当然だろ」
久しぶりに2人っきりになれるし、とディアッカがからかうように言って、イザークの頬に軽くキスをする。
「たかが一週間だろう」
「一週間は長いよ?その間俺がどんなに寂しい思いをしてたか、わかってないだろうなその様子じゃ」
「知るかっ!」
ディアッカの揶揄する言葉に、イザークは真っ赤になって顔を背けた。
ディアッカは肩をすくめた。相変わらず冷たい恋人だという呟きがため息とともに口からこぼれる。
「ま、いいけどね」
あとでたっぷり教えてあげるし。
心の中で独白して、ディアッカは口の端に笑みを浮かべた。
窓の外へと視線を移していたイザークは、その笑みに気付かなかった。
はっきり言ってイザークは料理ができない。
下手とかそういうレベルではない。
したことがないのである。
家には数人の料理人がいたために自分で作る必要性がなかったということが原因なのだが、本人に料理をするという気が起こらなかったために、厨房に入ったことすらない。
「でもさ、火のつけ方すら知らないってのはどうよ?」
ディアッカは半ば呆れたようにイザークを見た。
マンションに戻り嬉々として厨房に立ったディアッカを見て、突然イザークが手伝うといってきたのだ。
珍しいこともあるもんだと思いつつも折角の好意はありがたく受けることにして、まずは大鍋に湯を沸かしてくれるように頼んだのだが、イザークは渡された大鍋を持った状態でぽかんと突っ立ったまま。
理由を聞いたら湯を沸かす方法すら知らなかったのだ。
「うるさいっ、やったことがないんだ。知らなくたって問題ないだろう!!」
「いや、これはちょっと問題あるかも……」
「なら教えろ」
なぜこんなに尊大なのだろう。
少なくとも教えてもらうという態度じゃない気がするが…。
ちらりとイザークを見ると、恥ずかしいのか顔を真っ赤にしている。
そんな様子が可愛くて、ディアッカは穏やかな笑みを浮かべた。
確かにイザークの家で彼が料理をすることはないだろう。
本人にその気があっても周囲の者がそれを許さない。
ジュール家の長子が厨房で料理をするなど、あってはならないことなのだ。
イザークとは反対に、ディアッカは料理が得意である。
1人暮らしをしているというのもあるが、ディアッカは調理という作業が昔から好きなのだ。
味は勿論見た目にもこだわるディアッカの料理はプロ顔負けである。
『どうせ食べるなら、不味いものよりも美味いもののほうがいいだろう』
というのがディアッカの持論である。
しかし彼が手料理を披露する相手は限られており、彼の料理の腕を知っているのはイザークだけだ。
「…で、この上に鍋を乗せてこのボタンを押す。そうすると火がつくから蓋をして沸騰するまで待つ。OK?」
「ん…」
言われるままイザークは大鍋を火にかける。
次いでイザークは野菜の皮むきに挑戦した。
本来器用でありナイフ戦で刃物も使い慣れているからこれは比較的簡単だろうと思っていたのだが、ディアッカの予想はまたもや外れてしまった。
刃物の扱いは確かに慣れていた。
だが、野菜の持ち方には慣れておらず、たどたどしい手つきでジャガイモの皮を剥こうとする様は見ているディアッカのほうがハラハラしてしまうものだった。
「痛っ!」
「イザーク!?」
案の定というかやはりというか、イザークは指をすべらせてしまった。
深くは切れていないようだが、それでもイザークの白い指に赤い筋がすうっと浮かび上がる。
「やっぱり…」
ディアッカはそう呟いてその指を口に含んだ。
血はすぐに止まったが、ディアッカはその指に絆創膏を貼るとイザークをリビングへと押し戻した。
「手伝ってくれる気持ちはありがたいんだけど、俺の神経がもたないよ。悪いけど大人しく待っててくれ」
ソファに無理やり座らせたイザークの間にびしっと指を突き立ててそう言うと、イザークは不服そうな顔をした。
だが自分が失敗ばかりしているという自覚があるのだろう、イザークはそこから動くことはなかった。
人間誰にでも向き不向きはあるもので、やはりイザークには料理は向いていないようだった。
出来上がった料理はワインに合わせて肉料理が中心だった。
鴨肉のローストオレンジソース掛け、ミモザサラダ、ヴィシソワーズ、トマトと海老の冷製パスタ等手の込んだ料理の他に簡単なオードブルまで用意されている。
「すごいな…」
一体いつの間に作ったのだろうかとイザークが疑問に思っていると、ディアッカがワインとグラスを持ってきた。
「惚れ直しただろ?」
ディアッカはにやりと笑った。
「ほら、座って座って。んじゃ、乾杯しますか。まずはスパークリングにしようぜ」
そう言ってディアッカの用意したのはゴールドのドンペリだった。
スパークリングワインの中でも口当たりが良く、これもイザークの好きなものだ。
当然のように用意されているが、これもかなり高価なものである。
愛されてるな、とイザークはしみじみ感じていた。
- 04.12.08