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藍よりも深く エピローグ


白亜の建物、『ホワイト・シンフォニー』
ラクス・クラインのファーストコンサート会場であったその場所には、多くの人で溢れていた。
老若男女ナチュラルコーディネイターの区別なく集まった彼らは、皆一様に神妙な面持ちで開始を待っている。
彼らが手にしているのは一輪の花。
種類こそ様々だが、それらは全て白。
今回の主旨を理解した観客達が誰ともなく示し合わせて用意したものだ。
数万人を収容できるホールは、だがすでに満席となり、入りきれなかった観客が通路やロビー、更には会場の外へと長蛇の列を作っていた。
不満を告げる者はいない。
何故なら――今回行われる式典は本来各国の要人の為に企画されたもので、一般参加を許されていなかったからだ。
公式な行事の一環としての式典を、だが一目なりと見学したいという声があまりにも多かったために、主催者側の好意によって急遽一般参加を許可されたのだ。
通常ならばモニターでしか見ることのできない式典に参加できると知った多くの人が一斉にプラントへと押し寄せ、現在プラントの人口密度は想像もつかないほどに多い。
当然その中にナチュラルの姿もある。
だが、諍いは起こらなかった。
見ず知らずの人間同士が、ただナチュラルとコーディネイターという種の違いだけで争うのはおかしいと、誰もがそう思っているからだ。
それはごく当然の持論。
だが、彼らは皆その事実に気付くのが遅かった。
それを詫びるかのように、彼らは手の中にある一輪の花に祈るように目を伏せる。

戦争は意外な形で終結した。
キラ・ヤマトが凶弾に斃れてから数日後、大西洋連邦による非人道的な行いの数々が全世界へと放出され、それにより多くの国が軍を脱退、地球軍の軍備は大幅に縮小された。
その後地球軍の主要基地のシステムがすべてダウンするという事態も加わり、彼らはザフト軍に対して抵抗らしい抵抗もできないまま基地を占拠されていった。
更には地球軍とブルーコスモスとの癒着も発覚し、地球軍を擁護する国はほとんどなくなったも同然で、地球軍は存続を維持することすら困難になっていた。
統率力のない軍隊が固い結束の下で結ばれたザフト軍に対応できるはずもなく、半年も経たずに戦争は終結した。

全世界へと放映された大西洋連邦の非人道的な行い。
それは同盟国への武力による弾圧、自国の安全のみを考慮した無謀な戦略、さらには年端もいかない少年少女への人体実験など様々であったが、中でも同盟国の怒りを買ったのが崩壊したヘリオポリスの避難民の救助を拒否したばかりではなく、進路妨害をしたと彼らの乗る救助ポッドを躊躇なく破壊したことであった。
彼らによるオーブ国民の被害は確認できただけでも数万人に及ぶと言われ、何も知らないまま戦争の犠牲になった民間人を、更に踏みにじるような行為に諸国の動揺は大きく、又自国の民を不当な理由で虐殺されたオーブの怒りは深かった。
何よりもオーブは地球軍に自国の王女を殺害されている。
ただでさえ複雑な情勢の中、次々と発覚する事態はオーブの理念すら覆す勢いで、オーブ王家よりも何よりも、国民のほとんどが地球軍の行いを許さなかったのだ。



式典は厳かに始まった。
今回の戦争で犠牲になった人々への追悼の時には、周囲ですすり泣く声も聞こえたが、式典は一環して静かだった。
各国の首脳による平和条約への署名を見守る数万の視線。
これ以上の犠牲が出ないように、また無益な争いがなくなるようにと祈りを込めた視線は、祭壇に立つ首脳陣よりもむしろその背後に飾られた1枚の写真に注がれていた。
栗色の髪と菫色の瞳が印象的な、まだあどけない少女。
柔らかく微笑んでいるその姿は無防備で幸せそうで、見る者すべての心を魅了させてしまうような高貴さを漂わせていた。
彼女の名前は、キラ・ヒビキ・アスハ。
誰よりも平和を望みながら地球軍の凶弾に斃れた少女であり、今回の終戦のきっかけとも言える地球軍へのハッキングシステムを作成した人物でもあった。

式典が終了すると、観客席にいた彼らは1人、また1人と祭壇に上っては手にした花を供えていく。
無益な争いを鎮めてくれた少女への感謝の気持ちを込めて、彼らは祭壇に向かって深々と頭を下げる。
まだ16歳の少女。
だが彼女が動かなければ今でも戦争は行われていただろう。
平和を愛した少女は、平和を見ることなくその短い生涯を閉じてしまった。
多くの生命を引き換えに――。



祭壇へと続く長蛇の列は、式典が終了してから数時間を経た今でも途切れることはない。
ディセンベル市にある浮島にも、今頃は多くの人が押しかけているだろう。
誰からも愛されるキラ。
そんな彼女と知り合えたことは、ラクスにとって確かに幸せであった。
一緒にいられたのはほんの短い期間。
だが、それだけで十分だった。
たとえ今は胸が引き裂かれそうに哀しくても、それでも出会わなければよかったとは思わない。
それは彼らも同様だろう。
涙を押し隠して傍らに控える優しい友人達の姿は、自分と同様哀しみに満ちているけれど、それでもキラと出会えたことを、キラの友人でいられたことを後悔することなどないだろう。
そう思い視線を向ければ、見慣れた赤服の姿が1つないことに気がついた。
誰よりもキラを愛した人物。
そして、キラが誰よりも愛した人物。
ホールから消えていこうとする後ろ姿を発見して、ラクスは慌ててその後を追う。

「アスラン!!」

自分でも驚くほど切羽詰った声が通路に響いた。
人気のない通路で、その後ろ姿がぴたりと止まった。
ゆっくりと振り返るその表情は、自分が思っていたよりも穏やかなもので。
だがラクスはその表情に安堵するよりも、一抹の不安を感じていた。

「もう、行かれるのですか?」

口の端にほんの少しだけ笑みを浮かべて、アスランは小さく頷く。

「キラは寂しがりだから」

愛しそうにその名を紡ぐアスランの姿に、ラクスの目から堪えきれない涙が一筋伝う。
キラだけを愛していたアスラン。
彼女が自身の存在の証であるとでも言うように、アスランが執着したのはキラにだけだった。
そのキラを自身の腕の中で失ったアスランは、あの日以来心の均衡を保つことができなくなっていた。
ぼんやりと終始夢を見ているようなアスランは、だが戦闘になると人が変わったように敵を殲滅していった。
キラを奪ったことへの報復なのか、それとも軍人としての本来の能力が開花したのか…。
キラが残した対地球軍へのハッキングシステムを発見したのはラクスだったが、試作段階だったそれを改良し実戦投入したのはアスランだった。
彼は間違いなく今回の終戦で一番の功労者であった。
たとえその精神が崩壊していようとも…。

戦場に出れば鬼神の如き活躍を見せるが、一度戻れば相変わらずの夢の住人で、片時もキラの廟所から離れようとしない。
今回の式典も、イザークやラクス達が半ば無理やり連れてきたようなものだ。
式典が済んでしまえば、もうこの場所にいる意味はないのだろう。
だから彼は帰るのだ。
最愛の少女が待つ、あの場所へ。

「そういうわけですから、これで失礼しますラクス」
「……えぇ、わかりました。……キラによろしくとお伝えくださいませ」

頷くアスランの後ろ姿を見送り、ラクスはそっと踵を返した。





   ◇◆◇   ◇◆◇





アスランがエレカで向かった先は病院だった。
誰に見咎められることもなく最上階へと続くエレベーターに乗り込み、勝手知ったる感じで扉を開けると、そこは病院とは思えない空間が広がっていた。
ベッドも何もない。
1フロアーの中にあるのは、唯一白い棺だけ。
ただ1人のために製造された特殊なカプセルの中には、笑顔を浮かべたまま眠りについている少女の姿。
その変わらない姿をのぞきこみ、アスランは口元に笑みを浮かべた。

「ただいま、キラ」

カプセルを開き、購入した花束をキラの胸にそっと乗せ、アスランはその唇に口付ける。
傍らに膝をつき白い手を取る。
熱を持たない身体はひんやりとしているが、アスランはその手に自分のぬくもりを分け与えるように両手で包み込んだ。
半年前にその生を終えた身体は、だが自然の摂理に反して朽ちることはなかった。
奇蹟としか言えない。
モノ言わぬ躯となったキラの身体が、半年以上たって尚も生前の姿をとどめていることに、多くの医師が首をかしげた。
彼女の死因が毒殺の場合、毒の種類によっては防腐効果があり腐敗を防ぐこともあるのだが、キラの生命を奪ったのは銃弾。
医学的には解明できないことだった。
婚約者の腕に抱かれてプラントへ運ばれた少女を、皆はこう呼んだ。

聖女キラ、と。

その身を以って戦争を終結させ、死して尚神々しいまでの美しさを保つ。
彼女は世界を救ったのだと。

「聖女だってさ、キラ」

柔らかい髪を弄びながら、アスランは呟く。
恋人を助けるために躊躇なく自らの身体を盾にしたキラ。
離れないと交わした約束は、一瞬で幻と消えた。
だが、それでも。
アスランにとってキラ以上に大切な人は存在しないのだ。

「いつでもキラは俺の一番だよ」

親友であり、家族であり、そして何にも代えられないほどのかけがえのない相手。
彼女以外何もいらないと思えるほどに。

「ようやく、条約が締結したんだ」

眠る少女に聞こえるように。

「これで平和になるよ?」

誰よりも優しく、そして誰よりも平和を夢見ていたキラ。
だから、自分がそれを叶えてあげたかった。
桜色の唇が笑んだように見えるのは気のせいだろうか。

「ふふ、嬉しい? 俺も嬉しいよ」

もう一度、ついばむように口付けを落として。

「だから、いいよね?」

君の傍に行っても。

そう呟いて、ホルスターから銃を引き抜く。
軍から支給されている自動銃ではなく、旧式のそれ。
普段から手入れは怠らなかったから、古いものでも十分使用に耐えていた。
この銃で何人の敵を葬ってきただろう。
ザフトのトップガンと呼ばれ、MS戦だけでなく白兵戦でも戦歴を残してきた。
この銃は何度も自分のことを守ってくれた。
この時のために。

「俺を待っていてくれたんだろう?」

寂しがりやのキラ。
自分がいないとすぐに泣いて。
独りになるのを恐れていた。

「キラ…」

かちゃり、と激鉄を下ろして、銃身をこめかみに向ける。
あとは、その指にかすかに力を加えるだけ。
それですぐに終わる。

たどり着ける。君のところへ。

アスランは微笑んだ。
うっとりと、夢見るように。

1人は寂しいから。

だから…。



「君に会いに行くよ」


  • 05.09.18