日々は充実していた。
不思議な縁で出会った少女と恋仲になって、早ひと月。
最愛の女性はどういう運命の悪戯か、夢の中でしか会うことができない。
最も2人が出会ったのも夢の中なのだから仕方がないのだが。
他に彼女に会う方法がないわけではないが、自分と彼女それぞれに課せられた任務の重さや2人を隔てている距離を考えれば到底選べるはずもなく、結果アスランが彼女に会うには眠りに就くしか方法がなかった。ハウメアの悪戯なのだと言われた。
お互いが夢を共有しているのか、それとも眠っている間だけ意識が別の場所に飛ばされているのか、それはわからない。
恋人――キラが住むオーブを建国したという女神、ハウメア。
恋人達の守護神とも言われ、また誇り高き戦女神だとも言われている。
そんな女神の巫女であるキラと、遠く隔てた帝国の王太子であるアスラン。
お互いが自国の領土から離れることのない生活。
そんな普通の生活を送っているだけでは到底会うことができなかったと考えれば、女神の悪戯も感謝こそすれ非難するつもりなどない。
昼は政務にいそしみ、夜は恋人との優しい一時を過ごす。
それまでとはまるで違う生活だが、この日々は思っていたよりもアスランを穏やかな気持ちにさせてくれた。
何よりも逢瀬のために就寝時間になれば眠りに就くという規則正しい生活を送るようになってからというもの、頭が冴えて仕事も順調にこなせるようになってきているのだから、アスランとしては嬉しい誤算と言える。
今までは寝食を問わず働きづめで、過労で倒れたことも一度や二度ではない。
何度となくラスティやニコルに休憩を取るようにと言われても自分に課せられた責務は膨大であり、またアスラン自身手を抜くということが出来ない性分のため仕方ないと思っていたのだが。
生活のサイクルというものは、自分の意思次第でどうにでもなるらしい。
恋人に会えるのが夢の中だけという、一般的に見れば奇妙な関係ではあるが、2人の仲はゆっくりとだが穏やかに進展していた。
会うたびに好きになる。
微笑む顔も拗ねる顔も、嬉しそうにはしゃぐ姿も、すべてが愛しくてならない。
自分自身、ここまで誰かを好きになるとは思っていなかった。
今までアスランが思うのは国の平和であり民の平穏であった。
王太子という立場上いずれは結婚しなければならないが、相手に求めるのは自分と同じく国と民を愛せるかどうかという基準であり、そこに恋愛という感情は含まれていなかった。
だが、それがどうだろう。
結婚するならばキラしかいないと断言できる自分に正直驚きを隠せないものの、そんな自分が不快ではなかった。
自分を変えたのは、確かにキラだろう。
そして、キラも自分の存在で変化が起こっていれば嬉しい。
煌めく紫水晶の輝きを思い出しながら、アスランは穏やかに微笑んだ。
◇◆◇ ◇◆◇
「アスラン、わたくし困ってますの」
執務室に入ってくるなりそう告げたのは、従妹のラクス・クライン。
甘やかな外見とおっとりした口調が印象的な美少女だが、どうやら本日の機嫌はよろしくないらしい。
「何をですか」
一応王位継承者である自分の方が公的には身分は高いのだが、彼女に対して敬語になってしまうのは幼いころからの習性としか言いようがない。
「その様子ですとまだご存知ないようですわね」
「ですから何をですか」
何かを含ませた言い回しは彼女の得意とするところだったが、どうやらそれとは違うらしい。
優しい水色の瞳を剣呑に光らせている姿は珍しいことこの上ない。
怪訝そうに見つめる先で、ラクスは差し出された椅子に腰を下ろし、扇を弄びながら小さくため息をついた。
「婚約、ですって」
「はあ」
何を今更と思う。
ラクスは確かに王位継承者としての立場にはいないが、元王パトリックの姪でありアスランに次いで身分の高い王族なのだ。
他国との同盟の必要はないと言ってもそれはあくまでもザフトでのこと。
諸外国にしてみればザフトとの繋がりを強くするうえでラクスは格好の政略結婚の対象と言えた。
まして温厚な人柄で国民からの人気も高く、気軽に街に下りては子供たちに歌を聞かせているところから『歌姫』という呼称で呼ばれている彼女だ。
国一番と言われる美貌、明晰な頭脳、穏やかな性格。
誰からも羨望の眼差しを向ける女性を手に入れようと画策する貴族は、外国だけでなく国内にも多い。
実際ラクスが生まれた時から数多くの縁談があったのだ。
権力に欲がないラクスの父シーゲルによって、『結婚は当人の意思に任せる』という宣言があってもなお、毎日のように繰り広げられる縁談話を、情報に聡いラクスが知らないわけでもあるまい。
「そろそろいいんじゃないですか。貴方ももうじき16歳でしょう。いくらシーゲル閣下が拒んだところで、貴女本人に話が行くのも時間の問題だと思いますよ」
「まあ、ではアスランはわたくしが婚約をしてもよいとおっしゃるのですか」
「いいも悪いも、それを決めるのは貴女でしょう。どうせ閣下や父上が何を言ったところで気に入らなければ断るつもりでしょうに」
「では、婚約も仕方ないと」
「そうは言ってませんが、いい加減観念してもいい頃だと思いますよ」
「わかりましたわ」
ふい、と顔をそむけたラクスは意外にも物分りがいい。
その様子に不審を抱かないわけではないが、何しろ目の前には決裁前の書類が山積している。
夜はしっかり休むと決めて以来、体調はすこぶる良いが日中の忙しさは尋常ではなくなってしまった。
そのため時間は惜しい。
正直ラクスの相手をしているよりも書類の1枚でも目を通しておきたいのだ。
「桜花の姫君もお可哀相に」
「?!」
桜花と言う揶揄が何を意味するかわからないはずがない。
ここ数ヶ月食事の時間は削っても就寝時間だけは確保しているアスランの変化に目敏く気付いたラクスによって、半ば強引な誘導尋問の末知られてしまった最愛の女性の存在。
出会ったのが桜の丘ということまでも知られてしまい、それから時々こうして揶揄されることがある。
ただ、キラの存在を公に出来ないアスランの唯一の相談者としては最適で、彼女への贈り物など色々お世話になっているものだからあまり強くも出られない。
だが、今回のそれはいつもとはやはり違うようで。
「何て不実な男性にひっかかってしまわれたのでしょう。彼女は貴方を思って日々を過ごしていらっしゃるというのに」
「ラ…ラクス?」
「婚約を観念したほうがいいだなどとは。お可哀相な方。そんな不誠実な言葉で女性を簡単に捨てるとは、アスランはひどい人ですのね」
聞き捨てならないことを言われたのは間違いない。
アスランがこうして政務にいそしむのは、偏に最愛のキラと会う時間だけは確保しようという努力の賜物なのだ。
それを捨てるだの不実だのと言われる覚えはない。
「あら、婚約をお認めになるのでしょう」
「ですからそれは貴女のことであって俺のことでは…」
「同じことですわ」
きっぱりと言い切った声に迷いはなく。
ましてや先ほどまでのからかいの響きもない。
向ける眼差しは真剣そのもの。
細い指が弄んでいた扇をひらりと返してその先がアスランに向けられた。
「わたくしの婚約相手は、アスラン貴方です」
翡翠の双眸が見開かれた。
- 08.08.26