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Sincerely 02


ルカの住むマンションは大学からさほど遠くない場所にある。
駅から徒歩5分、しかも大学にも徒歩15分という好立地だ。
更にはユダの住むマンションからも徒歩圏内にある。
だが、それほど近い距離に住んでいるのに、ユダとルカは今までお互いの家を行き来したことはない。
近すぎるということもあるのだろうし、大学で毎日顔をつき合わせているからというのもあるかもしれない。
又、2人が設立した会社の事務所もここからそう遠くない場所にあるのだから、あえてお互いのプライバシーに踏み込む必要もなかったことが最もな理由だろう。
ルカはそれなりに酒を飲めるタイプではあるが、弟がいる前では飲まないらしく、家に買い置きがないのだと言う。
そういえばルカは企業家が集まるパーティーなどでも嗜む程度にしか酒を口にしないが、それは酒の臭いをさせて帰宅しないためなのだろう。
もしかしたら弟は酒の臭いすら苦手なのかもしれない。
だから今日ユダを誘ったのだろう。
ユダはワインを好むがルカは特にこだわりがない。
その場の雰囲気でワインも飲むし日本酒も嗜むし、ビールも飲む。
強いていえば焼酎の類が苦手だということだが、個人で好んで酒を飲むことのないルカなので飲めないところで困ることはない。
仕事の付き合いで飲むのはワインかビールのどちらかが多く、そちらに至っては笊どころか枠なみに飲めるのだから。
2人とも飲む時はつまみをほとんど取らないタイプなので、数本のワインを手にして店を出る。
夕方に大学を出た2人は途中で寄り道をしたとは言え日が暮れる前にルカのマンションへ到着した。
最上階の部屋に行くには専用のエレベーターがあるらしく、常駐する警備員に軽く挨拶をしてルカは慣れた仕草でカードキーを差し込んだ。
ルカがこのマンションを選んだ最大の理由は万全のセキュリティ体制だった。
有名人や政治家も多く住むというこのマンションは、住民以外の出入りが極端に難しい。
24時間体勢の警備員や数箇所に存在する監視カメラ、何重にも渡るオートロック扉などこれでもかというほどど厳重に警備されている。
何故その場所を選んだのか、引っ越した当時聞いてみたところ、やはり気になるのは弟の存在だったようだ。
ルカは一見細身に見えるがかなり鍛えた身体をしており、そのへんの暴漢が束になって襲ってきても傷一つつけることはできないだろう。
だが、弟は違うのだとルカは言う。
まだ高校生の弟は身長こそそれなりに高くなったものの武芸に関してはまったくと言っていいほどできなくて、しかも疑うことを知らないのではないかというほどお人よしなので誰かが気をつけなくてはいけないのだと、見たこともないほど柔らかい表情で言われたことは忘れることができない。
聞きしに勝る溺愛ぶりにその弟の顔を見てみたいという好奇心は若干かきたてられるが、それをルカに悟られるようなことはしない。
ルカとは公私共にこれから先も付き合っていきたいと思っている数少ない人物だ。
このようなことで友情に亀裂を入れるのはよろしくない。
エレベーターを下りれば部屋数は下層に比べれば少なく、広い通路でありながらも玄関の扉は4つしかなかった。
つまりはこの階層には4部屋しかないということで、建物の規模を見れば相当の広さだということが窺える。
女手一つで2人の息子を育ててきた女性が購入するには少々豪華すぎるマンションだと、つい不躾なことを考えてしまえば、ルカにはわかってしまったのだろう。
僅かに肩をすくめた。

「実は宝くじが当たったんだ」

たまたま買った1枚がまさかの大当たりだったというのだから素晴らしいくじ運だとルカは笑う。
どうやらルカの母親はギャンブルには全く興味がなかったくせに、懸賞などに応募すれば必ず当たるほど運が強かったらしい。
お陰で最新家電からキッチンの便利グッズまで必要ないものまで家に溢れてしまったと思わず零す姿は家族愛に溢れていて、成る程だから教授に対して風当たりが厳しいのかと納得してしまうほどである。
ルカの実父であるゼウスは確かに素晴らしい人物なのだが、その分欠点も多い。
その最たるものが女性遍歴の多さだろう。
確か結婚歴は3回ある上に、現在の妻は息子と変わらない年齢の年若い女性だ。
既婚者であるにも関わらず、ユダが大学に入学してから噂になった女性は片手では足りない。
更には研究熱心なあまり大学に泊り込むことも多く、結果として家庭は放任主義だ。
ルカが子供の頃、父親の顔を見たのは月に1〜2度だというから呆れるしかない。
だから離婚すると聞いても驚かなかったし、父の女癖の悪さに泣かされていた母を思えば遅すぎた決断だと思ったそうだ。
教授としては尊敬できるけど人間としては嫌いだと豪語するルカの感情も尤もである。
その点に関してはユダも教授を擁護するつもりはない。
確かに彼は私生活は全くのダメダメ人間だ。
むしろあの父親を持ってまっとうに育ったルカをユダは尊敬する。
そのルカに育てられ愛情を一心に受けて育った弟というのは、純粋に興味がある。
幸いユダはルカから信頼を得ている。
いずれ会う機会もあるだろうと考えていたら、ルカが今まさにカードキーを差し込もうとしていた扉が静かに開いた。

「あ…」

姿を見せたのは線の細い少年だった。
誰もいないと思っていたのだろう。
勿論ユダもルカも予想していなかったことだから咄嗟に言葉は出てこない。
少年は扉を開いたすぐ先にある2人の姿に瞳を大きく見開いている。
黄金の瞳は初めて見る輝きで、白い肌とうっすら色づいた桜色の唇が何とも言えない愛らしさを見せている。
背は高いが身体つきは非常に細く、繊細な造りの顔立ちも相まって神経質そうな印象を与えるが、驚いているからか見開かれた瞳のせいで冷たくは見えない。

「ルカ…兄さん?」
「シン、まだいたのか。約束の時間は過ぎているんじゃないか」

やはりというか最初に我に返ったのはルカで、目の前の少年に怪訝そうな視線を向けている。
どうやら弟が家を出る時間もしっかり把握済みらしい。
尤もユダにすら弟を紹介しようとしないルカだから、時間を把握していなかったら家に呼ぶことはなかっただろう。
シンと呼ばれた少年はええと小さく頷いてから、持っていた鞄を腕に抱えなおした。

「えぇ。一度出たのですが、レイに貸してほしいと言われていたCDを持って出るのを忘れていたことに気付いて戻ってきたんです」
「連絡すれば届けたのに」
「いえ。こんなことで忙しいルカの手を煩わせるわけにいきませんよ。それに、丁度本屋に寄っていた時に気付いたので、実はそんなに家から離れていたわけじゃないんです。電車に乗っていたら流石に困りましたけどね」
「お前が忘れ物をするなんて珍しいな」
「うっかりしてたんです。ガイに見せて欲しいと言われていた数学のノートはしっかり持ったのですが…。それにしてもまさか玄関を開けたらルカがいるなんて思いませんでした」

ちょっとびっくりしましたと、はにかんだように笑うシンの顔にユダは思わず見惚れてしまった。
同性だということはわかっているが、ユダはここまで綺麗に笑うことができる人を見たことがない。
花が綻ぶような笑みは相手に対して絶大の信頼と愛情を浮かべていて、シンの内面の美しさを如実に表していた。
するとルカの背後にいるユダに気付いたのだろう。
無垢な笑顔を浮かべていた表情が僅かに曇り、窺うようにルカとユダの顔を見る。
かすかにルカの身体に隠れるような様子を見ると、もしかしたら人見知りするのかもしれない。

ルカがそんなシンの様子に気付いて安心させるように頭を撫でる。

「大丈夫。私の友人だ」

そして仕方ないという表情を浮かべ――弟には決して見せないあたり流石としか言えない――ユダへと振り返った。

「ユダ。この子が弟のシンだ。今年高校2年になる。――シン、こっちはユダ。私と一緒に会社を興した仲間だ」
「初めまして、シン」
「貴方がユダさん、ですか…」

ユダがシンに挨拶をすると、シンが呆然としたように呟いた。
そして我に返ったように初めましてと頭を下げる。
おそらくルカから話を聞いていたのだろう。
友人としてかもしれないし、共同経営の相手としてかもしれない。
ただ、シンが己の存在を以前から知っていたということが何故か嬉しかった。

「さあ、シン。あまり相手を待たせるものではないよ」
「そうですね。では、ユダさん。お会いしたばかりで申し訳ありませんが失礼します」
「ああ。今度ゆっくり話をしよう」
「はい」

そう言ってルカがしたのと同じようにシンの頭を優しく撫でれば、一瞬きょとんとしてもののやがて頬を僅かに染めて小さく頷いた。

「可愛いな」
「……ユダ」

ぱたぱたと去っていく後ろ姿を見送って、ユダはそう呟く。
外見は綺麗系だが、中身は何だか小動物のようだ。
ルカの愛情を一身に受けているのも納得するほどの純粋さが、今まで会ったどの人物とも違ってユダの興味を引いた。
ルカはそんなユダの様子に気付いて小さく舌打ちをした。
ユダは間違いなくルカが知る中で最高の男だ。
顔も頭も良く人望もあるし実行力もある。
最高の友人であり相棒だと思っているが、ことシンが対象となれば話は別だ。
人見知りが激しいくせに他人を疑うことを知らないシンは、純粋だからこそ他人の悪意に慣れていない。
ユダは大学内でも企業家の間でも評価の高い男で、だからこそ彼の恋人の地位を狙っている人物は数多い。
シンがユダと親しくすれば当然それを面白く思わない人も多いだろう。
シンがユダに相応しくないというのではなく、単純な嫉妬の対象として。
そうなれば傷つくのはシンだ。
ユダがシンを気に入るのは想定の範囲内だが、残念ながら知人として以上の付き合いをさせるつもりは今のルカにはない。
少なくとも、ユダが周辺を整理してシンを守ると断言できるようにならなければ、たとえ友人としてでも付き合いは反対するつもりである。 だが、とルカは思う。
今は無理でもいずれユダはシンを手に入れるだろう。
長くない付き合いではあるが密度は深いせいか、ユダがどのような人物に興味を持つかは十分知っていた。
そしてシンのようなタイプは正にユダの好みだろうということも最初からわかっていたのだ。
ユダとルカは似ている。
ルカが溺愛するシンにユダが興味を持たないはずがないのだ。
そしてユダは一度決めたら必ずシンを手に入れるだろうということもわかっている。
ルカにとっては全くもって面白くはない展開だが、所詮ルカが大事なのはシンの気持ちである。
シンが選んだ人物ならば反対はしないだろう…多分。
だからユダにとって最大の難関はルカではなくシンの友人だ。
鉄壁の防御を誇り数々の下心を持った連中を葬り去ってきたあの3人に、果たしてユダはどうやって対抗するのだろうか。 想像するのは中々楽しいことだった。

「まぁ、頑張れ」

とりあえず今のところは自分も反対だということを、ユダには後できっちりと釘をさしておこうとルカは心に決めた。


  • 10.12.02