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運命の人 後編


あれから一週間。
先輩からの接触は一度もなかった。
どうやらあることないこと吹聴していたようなのだが、同じ大学の生徒が数名あの現場を目撃していたらしく彼の嘘はすぐに論破され、そのせいで学校にも来ていないらしい。
友人にはあの後謝られたが、友人に罪はないので気にしていない。
むしろこの件でサークルの飲み会に欠席する大義名分が出来たために良かったのかもしれない。
飲み会に参加しなくて良くなった分、テツナはアルバイトの日数を増やした。とは言っても週2の予定を週3に変更しただけだったが。
念のためと午後から夕方までのシフトに変更して夜遅いシフトは入れなかったが、夜のシフトに入っていた同僚がインフルエンザに罹ってしまいどうしても人手が足りないと言われてしまい、一日だけならと引き受けてしまったのが失敗だった。
時刻は22時半。
最近避けていた時間帯での帰宅に、忘れていた警戒心が甦ってくる。
年末が近いからか、それとも単に寒いからか、外を歩く人の姿はいつもに増して少ない。
家路に急ぐ足が小走りになるのは寒さのせいだけではない。
現在進行形で聞こえてくる背後からの足音を追い払うためだ。
コツコツ、と靴の踵がアスファルトを蹴る音が背後から聞こえてくる。
少しだけ立ち止り、振り返る。予想通り人の姿はない。超常現象に弱い高校の友人ならば幽霊だと怯えるかもしれないが、これが怪現象ではなく人為的であることをわかっているテツナは怯えたりしない。気持ちが悪いだけだ。
いつもならコンビニに立ち寄って追跡者をやり過ごすのだが、今日はそんなことよりも早く家に帰りたかった。
人気は更に少なくなるが近道となる路地に入り、公園へと足を踏み入れる。
昼間は幼い子供が遊ぶ広々とした公園をつっきると数分の時間短縮になるのだ。
急いでいる時は良く利用するその近道。普段ならば何の問題もなく通り抜けられるのだが、いつもそうとは限らない。

「――――――っ?!」

外灯が途切れるほんの僅かな木陰で、テツナは突如横から伸びてきた腕に口を塞がれ植込みの中に押し倒された。
小枝が頬を掠めてかすかな痛みを感じ、次いで地面に背中を叩きつけられて息が止まる。
何事かと顔を上げれば、見た事のある人物が覆いかぶさっていた。

「やっと見つけたよ、テツナちゃん」
「先、輩…………」

あの日から会わなかったサークルの先輩だった。
ギラギラと光る目でテツナを見据える先輩の姿は、一言で言えば異様だった。
いつもおしゃれに気を使って髪型が少しでも乱れると慌てて鏡を探すような彼が、ボサボサの髪に無精ひげ姿。服装も適当に目についたものを着てきたと言わんばかりに組み合わせもちぐはぐだ。
「あの日からさあ、俺ってば笑い者になってるんだよね。ちょっとからかっただけなのに大袈裟に騒ぎやがって、これだから男慣れしてない女は面倒なんだ。あんなの社交辞令じゃないか。上級生の言葉に従ってこその後輩だろうが。まったく生意気だよねテツナちゃん」

テツナが絶句していると調子に乗ったのか彼はペラペラと言葉を続けてくる。
生意気だとか男を立てることを知らないとか、挙句の果てには折角女にしてやろうと思ったのにと言い出した時には、突然のことに驚いたテツナも呆れて物が言えない。

そもそも彼が大学に出てこないのは彼の勝手で、周囲の名誉のためにも言っておくが決してサークルのメンバーが彼に対してあることないこと吹聴したわけではない。聞かれた時に真実のみを伝えただけだ。
その事実が人に褒められたものでないことや、テツナ以外にも複数の女性に似たような手段を取っていたことなどから、彼が勝手に窮地に陥っただけなのではないか。
全ては自業自得、身から出た錆だ。
それなのに逆恨みした挙句、こんな夜道で人気のない場所に連れ込んで痴漢のような真似をしようとしている。
こんなことがばれたら退学どころか前科がついてしまうということを彼は分かっているのだろうか。
とは言えテツナもそれを告げることはできない。
この状況で正論を言ったところで逆上するのは火を見るより明らかで、ついでに言えば突然の出来事に驚いて声が出ないのだ。
背中を強打したために息はつまるし、気色ばんだ先輩によって首を圧迫されて息苦しいし、とてもじゃないが声など出せない。

だがそんなテツナを見て何を思ったのか、男の顔が醜く歪んだ。

「そうそう、女は黙って大人しく従ってればいいんだ。今からでも遅くないから謝ったらどうだい。俺は寛容だから土下座して謝ったら許してあげなくもないよ。これからは俺を立ててくれたらいいんだし」
「お断りします」
「返事はイエスのみだろ!」

バシン、と大きな音がしてテツナの顔に衝撃が走った。
太腿に男の体温を感じて顔色を変えれば、それが楽しいのか男がくつくつと笑った。

「詫び料として俺が処女を貰ってやるよ。こんないい男が『初めて』を貰ってやるんだから光栄に思えよ」
「や――――――」

コートと同時にニットを掴まれる。ビリ、と繊維が裂ける音がしてニットが破られたのだと気づいた。先輩の意図に気付いて暴れれば、生意気だからと更に頬を張られて脳が揺れる。
クラリ、と視界が歪んだと同時に強い力で胸を掴まれ、暴力で女性を想う通りにしようとする男の腐った根性に吐き気すら感じた。
悔しさから滲んだ涙を見られてたまるものかと両手で顔を覆った。



「――――何をしている」



低い声と同時にテツナの身体から負荷が消えた。
次いで聞こえてきた小枝の折れる音と男の悲鳴。そして足音。
どこかで似たようなことがあったとぼんやり考えていると、目の前に大きな手が差し伸べられた。

「大丈夫か。……君は、あの時の」
「あ…………」

前回も同じ人物から助けてくれた赤髪の青年がそこにいた。
先日と同じく黒いコートに身を包んだ赤髪の青年はテツナの手を引いて立ち上がらせると、無残な姿となったテツナを見て柳眉を顰める。
小枝と泥に汚れた髪と腫れた頬。唇は切れて血が滲んでいるし、コートは無事だが中に着ていたニットは破れたり伸びたりと散々だ。
貞操は無事だったからと言って無傷ではない。
無事で良かったねと素直に言えない状況に、青年は無言で己のコートを脱ぐとテツナの身体を包み込んだ。ふわりと薫るコロンに何故だか安堵する。

「病院に行こう」

そのまま手を引いて公園を出ようとする青年に、テツナは慌てて首を振った。
見ず知らずの人に二度も助けてもらった上にそこまでしてもらうわけにもいかない。
そんな大したことないし冷やせば腫れも引くからと言ったのだが、青年は頑として譲らなかった。
曰く、

「女性の顔に傷が残ったらどうする」
「頭も打っているみたいだし万が一のこともある」
「未遂とは言え暴行事件だ。相応の対応をしなければ相手が付け上がることになる」

大したことないと言っても聞いてもらえず、とにかく治療が先だと強引にタクシーに押し込まれてしまった。
連れていかれた病院で治療を受けた。怪我は全てかすり傷で数日で癒えるだろうとの診断だったが、青年――――赤司と言うらしい―――の指示で診断書を書いてもらうことになった。念のため脳波やCT検査も行ったのでこちらの結果が出次第警察に提出するらしい。
気が付けば病院には警察が来ていて赤司が事情を説明していた。
テツナ目当ての強姦未遂ではなく、通りすがりの女性を狙った金品目当ての傷害事件へと話をすり替えてくれた赤司には感謝である。

そうしてテツナを自宅まで送ってくれた赤司が同じマンションの住人であること、治療に通った病院が赤司の友人の父親が経営する病院であったこと、テツナのアルバイト先のオーナーがまさかの赤司の友人であることなどからテツナと赤司の親交は続き、お互いの部屋を行き来する関係になるまでに時間はかからなかった。
どうやら初対面の状況が状況なだけに赤司はテツナに対して相当な過保護だ。
ストーカー被害(しかも2件)に遭っているということも勿論だが、両親が海外転勤で一人暮らしということも気にかかる理由の一つなのだろう。アルバイトが終わる時間になる赤司が迎えに来て一緒に帰宅するのが日課になった。
赤司をテツナの恋人だと盛大に勘違いした後輩に何度否定しても信じてもらえず、従業員はおろか常連客にまで周知の事実となるのは時間の問題で、何故だか赤司も否定しないために勘違いは広まる一方だ。

2人の関係に名前がつくのはそれから半月後のクリスマス・イブの夜である。










カチリ、と時計の文字盤が重なった。
今日という一日が終わり、明日という新たな一日が始まる。
日付が変わる瞬間を赤司は自室のベッドの中で迎えた。
隣で眠るのはつい先ほど20歳の誕生日を迎えた、可愛い可愛い恋人。
しっとりと汗に濡れた肌が少々目に毒だ。



「ようやく手に入れた。僕のテツナ」



初めて彼女を見つけてから3年。我ながら良く我慢したものだと思う。
後輩に強請られて母校の活躍を見るために全国大会の会場に足を運び、そこで甲斐甲斐しく動き回るテツナがいた。
一目惚れなんて少女漫画のような出来事を一切信じていなかった赤司は、一生懸命応援するテツナの姿に一目で心を奪われた。
彼女こそが自分の運命の相手だと信じた赤司は、時間をかけてゆっくりとテツナを手に入れる策を巡らせることにした。
まずテツナの父親を海外に転勤させるよう会社に手を回した。男性の海外転勤となれば単身赴任で行くわけにもいかず母親が同行するのは必然。
次いでテツナの祖母の友人に設備の整ったケアハウスに入居させ、テツナの祖母を勧誘させた。
祖母の入居が決まれば都心の一軒家に年頃の女性を一人で住ませるはずがないため、己が所有している不動産からテツナの大学に近くセキュリティの整ったマンションをいくつかテツナの父親に勧めてみたところ、首尾通り己が住んでいる階下のマンションの購入を決めた。
通常価格の三割引きという好条件だったから当然だ。
その後は帰宅時のテツナの後をつけたり玄関前に花を置いたりしてテツナにストーカーがいると認識させた。
怯えるテツナに偶然を装って接触し好感度を上げる予定だったのだが、思ったよりもテツナが怯えなかったことが想定外だ。
何よりも本物のストーカーが現れたのには驚きを通り越して怒りが湧いた。
尤も同じ大学に通うストーカー男の登場により、予定よりも早い段階でテツナと接触を取れたことは感謝しても良いかもしれない。今はどこにいるか知らないけれど、運が良ければ生きているのではないだろうか。
赤司が命じたのは男が二度とテツナの前に現れないようにということだけなのだから。尤も生死は問わないと言っておいたので生きている確率は限りなく低いと思うが、テツナに手を出そうとしたのだから自分が悪かったと諦めてもらうしかない。

出会いなんてそう簡単に上手くいくものではない。自分が好意を抱いたからと言って相手もそうだとは限らない。
赤司は己のスペックが多くの女性から好まれると自覚している。
外見、家柄、資産、学力。全て最上の部類に入るものだと分かっているが、テツナがそのようなものに釣られる女性でないことは嫌というほどわかっていた。
だからこそ時間をかけたのだ。
テツナが赤司を意識するように。気が付いても逃げられないように。
テツナの気持ちが赤司だけに向けられるように。
ようやく手に入れた今、赤司はこの手を一生離すつもりはない。

「避妊は100%じゃないからね」

用意しておいた避妊具が「不良品」で使用している最中に破れてしまったことも、「たまたま」一つしか用意していなかったために二回目以降は避妊具すら装着していなかったことも、今日がテツナの「危険日」だと承知していながら行為に及んだことも、最中に意識が飛んでしまったテツナは何一つ気づいていない。
気付いたらテツナは怒るだろうか。
怒った姿も可愛いだろうから見てみたい気もするが、やはりここは喜んでもらいたいものだ。

「愛しているよ」

昏々と眠るテツナに口づけをして、赤司はうっとりと笑った。



  • 14.11.29