『お前が俺の女だからだ』
いきなりそう言われて信じる人っているのだろうか?
至近距離で囁かれた言葉が、あたしの頭の中でリピートしている。
『俺の女』って、あたしのこと…だよね?
そんでもって『俺』っていうのは、当然景吾君なわけで……。
確かにものすっごくタイプだったりはするし、お近づきになりたいなぁとか思ってたりしたけど、果たしてそんな都合のいい展開なんてあるのだろうか、いやない。
思わず倒置法まで使って否定してみる。
「………」
「ん?何だ?」
いつの間にやらすっぽりと彼の腕の中に抱きしめられているあたしが景吾君の顔を覗きこむと、彼はふわりと笑った。
うわぁ……。
とろけそうな笑顔って、まさにこんな感じなのかな。
ありえない笑顔だよ。
つーか爽やかすぎて怖いんだけど。
キャラクターに合ってない気がするのは気のせい?
「夢……」
そうかっ!夢だ。
これはすべて夢の中で、本当のあたしはあったかい布団に包まれてすやすやと微睡の中にいるんだ。
目が覚めるといつも通りの日常が待ってて……。
「んなワケねーだろうが」
「え?あれ?」
何であたしの心の声につっこみが入るの!?
ちらりと顔を上げると、呆れ果てたような景吾君の顔が。
「全部言葉に出してたぞ」
「……マジですか?」
こくん、と頷かれた。
うぅ、恥ずかしい……。
「またくだらねえこと考えてんだろう」
いや、くだらなくないから。
そう言おうと思ったんだけど、再び唇をふさがれてその言葉は言えなかった。
触れるようについばむかと思えば、そっと甘噛みされて、かと思えば覆いかぶさるように深く口付けてくる。
同じ年とは思えないテクニックに呆然としつつ、それでも抵抗しないで受け入れている自分が不思議だった。
彼の手があたしの背中で怪しく動いた。
何だろうと思っていたら、その手がシャツの中に伸びてきた。
ちょっと待て!!
慌てて身をよじったけど、あたしの身体はがっちりとホールドされてしまい、逃げることはできなかった。
抗議の声は先程からずっと封じられたまま。
彼の手があたしの脇腹を撫でていく感触に、ぞくりと身体が震える。
さすがにそれは駄目でしょ!
あたしはまだ大人の階段上りたくない!!
「真っ昼間からいちゃつくために学校を休んだんじゃなーい!!」
渾身の力で拘束を解いて、目の前の身体を押しのける。
しかし忘れていたことが一つ。
ここは椅子の上。
しかも1人掛けの椅子に景吾君と2人で座っている状態だったから、思いっきり彼を押しのけたあたしはバランスを崩して床へまっさかさま。
ゴツッ!
鈍い音とともに後頭部から床にダイブしてしまいましたよこん畜生。
衝撃って大きければ大きいほど声が出ないものなんだ。
「おい、。大丈夫か?」
脳細胞が死滅したんじゃないかって痛みに涙を堪えていると、頭を動かさないようにゆっくりと身体が動かされた。
目を開けるとそこには見慣れた顔があった。
「倒れる前に支えてよ……」
「俺を押しのけておいて無茶言うなよ」
「景吾冷たい……」
床に座りなおして上目遣いで景吾を睨んでみる。
すると景吾は一瞬不思議そうな顔をした。
「今、何ていった…?」
「え?倒れる前に支えてって…」
「その後だよ」
「冷たいって……何、景吾?」
あんたおかしいよ?
つーか、日頃のクールな態度はどこに?ってくらい間抜けな顔をしてるんだけど……何故?
「…ここどこだかわかるか?」
「どこって学校じゃ……」
ないの、と言おうとしてここがどこだか気付いた。
見慣れた家具に見慣れた風景。
そして私服の自分。
「何で景吾の家にいるの?」
あたし学校にいたよね。
屋上でお昼食べてたよね?
ねえ、何で?
あたしがそう訊ねると、景吾は小さくため息をついた。
「記憶喪失?あたしが!?」
思わず自分を指差してみると、景吾は頷いた。
「はぁ、それはまた漫画のようで……」
あたしは痛む頭を撫でつつ、椅子に座りなおした。
テーブルには紅茶が入ったティーカップが2つ置かれている。
どうやらティータイム中だったらしい。
まだ冷めていないようだし、これもらっちゃおう。
ダージリンだ。相変わらずいい茶葉使ってるな。
「呑気だなお前」
3個目のクッキーを頬張ってると、景吾が呆れたようにそう言った。
「今更でしょ。そういえばあたし何か変なことしなかった?」
「別に」
「ならいいや」
記憶喪失だったのはどうやら1日だけだったみたいだし。
何かとんでもないことをしてなければそれでよし。
どうやらあたしが記憶喪失になったことを知ってるのは、病院にかけつけたテニス部メンバーだけだったみたいだし。
口封じはなんとでもなるでしょ。
「でもさ、何であたし記憶喪失になったの?」
原因がなければならないよね。
いくらあたしの記憶力が悪いって言っても、喪失まではしないはずだし。
そこまでひどくないと信じたい。
えっと、確か…。
お昼休みに屋上でご飯を食べていたことは覚えてる。
テニス部メンバーと昼食を一緒するのはいつものことだったし。
確か忍足とがっくんが珍しく食堂に行くとかでいなかったんだよね。
がっくんがいないと静かだねとか笑いながら食事を終わらせ、予鈴が鳴ったので教室に戻ろうとしたら階段のところでがっくんと会って。
一歩足を踏み出したところで背後から飛びつかれて…。
そして……。
もしかして、そのまま階段から落ちた?
そして救急車で病院に運ばれたりしちゃって、目が覚めたら記憶を失ってた?
それしか考えられないよね。
「景吾…」
「何だ」
「原因、思い出したんだけど……」
「そうか…」
心なしか景吾の顔色が悪い。
付き合いが長いからあたしの思考回路までよくわかってるらしく、この後あたしがどういう行動に出るかわかったのだろう。
「…」
「景吾」
椅子から立ち上がると、景吾の腕に自分の腕をからめる。
「ま・さ・か、止めたりしないよね」
にっこり笑顔でそう言えば、景吾は反対しない。
「…程ほどにな」
「安心して、生命までは取らないから」
とりあえず仕返しはするけどね、きっちりと。
「それよりさ、めでたく記憶を取り戻した恋人に、おめでとうの一言もないの?」
上目遣いでそう言うと、景吾は小さく笑った。
「ようやく思い出してくれたようで嬉しいぜ」
耳元でそう囁いて、景吾はあたしの頬にキスを落とした。
翌日。
朝練で賑わうテニスコートの中で無駄に飛び跳ねている小さな物体に、長太郎直伝のスカッドサーブを叩き込んだあたしに罪はないだろう。
- 04.05.12