窓を開ければ新緑も見事な5月の空気が室内に満ちる。
休日の午前8時。
しかも珍しく練習のない日となれば、やることは決まっている。
は愛用の純白のエプロンを纏い、勢いよく袖を捲り上げた。
「さて、何作ろうかな」
。
氷帝学園マネージャーである彼女の趣味及び特技は料理である。
◇◆◇ ◇◆◇
混ぜて、叩いて、練って、切って。
決して狭くないキッチンに小麦粉とバターの香りが充満している様子を眺めた母は、相変わらずの光景に微笑ましそうに笑顔で作業中の愛娘の姿を眺めた。
親の背を見て子供は育つとよく言うけれど、これほど説得力のある言葉はあるまい。
料理研究家という肩書きを持つ弥生は確かに娘が物心つく前から頻繁に料理を作っていた自覚はある。
そんな母の姿に興味を抱いた娘に料理のいろはを手ほどきしたのは、今から10年ほど前のことだ。
どこに出しても恥ずかしくないほど愛らしい娘だったが、誰に似たのか少々うっかりなところもあったため包丁を握らせるのに躊躇したのは記憶に新しい。
だがそんな母の不安は見事に裏切られ、元々器用なは最初こそ危なげな手つきであったものの、練習をすればするほど鮮やかな手つきになっていって、今では何の不安も感じない。
尤も娘の器用さは料理のみに注がれているらしく、運動神経とは見事なまでに直結していないのだが、それもまた愛嬌だ。
今では飾り切りも難なくこなす彼女は現在ケーキのデコレーションに夢中だ。
誰が教えたわけでもないのにプロ並の技術。
さすがは我が娘と褒めたいところだが、それにしても気になることが1つ。
「ねぇ、。ちょっと量が多いような気がするんだけど」
目の前にはスポンジケーキがもう1つ。現在デコレーションしているそれと合わせればショートケーキだけで2ホールできることになる。
そしてテーブルに置かれているのは種類豊富なパウンドケーキが3つとスクエア型のチーズケーキが1つ。
現在オーブンで焼いているのは、おそらくショコラタルトだろう。
チョコレートの香りがとってもいい感じだ。
作るなとは言わない。
の作るケーキはそんじょそこらの店の商品よりもよっぽど美味しいのだから。
だが、いくらなんでも多すぎだろう。
家の家族構成は父・母・娘の3人家族。
1人ケーキ1ホールのノルマなんて、さすがに嫌だ。
「チーズケーキとガトーショコラは裕太君に差し入れなの。前にお世話になったから。パウンドケーキはつい作っちゃったんだけど、お母さん差し入れに持っていく?」
「そうね。1つ貰おうかしら」
「1つは朱夏ちゃんにあげるから、残ったケーキは明日の差し入れにしようかな。あ、周助君にも持っていこう」
ふふふ、と笑ってデコレーションを再開した娘に「後片付けもきちんとするのよ」なんて野暮なことは言わない。
我が娘ながら手際の良さにかけては母親以上のものがあるのだ。
同年代の従兄弟と仲が良いことを微笑ましく思いつつも、ケーキを2ホール(うちチーズケーキはスティック状になると思うが、それにしても相当の量であることは間違いない)貰うことになる甥の呆れつつ喜ぶ様子を思い浮かべて弥生は小さく笑った。
「あ、朝食はキッシュとサラダとヨーグルトの用意が出来てるよ」
「あら、ありがとう」
キッシュまで焼いていたのか。
本当に至れり尽くせりで、この子絶対いいお嫁さんになると弥生は思った。
それにしても、我が家のオーブンは今年購入したばかりなのだが、酷使し過ぎて壊れたりしないだろうか。
そんなことを思いながら、娘が用意してくれた朝食に舌鼓を打つ母なのであった。
- 10.03.06