まもなく地区大会。
全国大会常連校である氷帝学園でも当然のように練習が強化していく時期である。
関東大会まではレギュラーを温存するからと言って、レギュラーが呑気に遊んでいるかと言えば、勿論そうではない。
何しろ氷帝学園男子テニス部部長は無類の練習魔だったのである。
不真面目な部員を見れば口頭注意、2度目は罰掃除(ちなみにこれはマネージャーであるによって「邪魔」と言われてしまいグラウンドの草むしりと変更になった)、3度目以降は鉄拳制裁(某赤い髪の少年が破滅への円舞曲の的にされていた)という、全国大会覇者である神奈川の某学校に負けずとも劣らない鬼畜っぷりを発揮しているほどだ。
最初こそ、そのありえない練習風景に驚いた新マネージャーではあったが、きちんと練習している部員に被害はほとんどないことを知ってからは、泣きついてくる不真面目部員を笑顔で見捨てている。
情にほだされやすいという致命的弱点を持っているであるが、やるべきことをしないで不平も漏らす人物に関しては情け容赦ないのは有名なこと。
さぼっている部員を咎めもせず、ちらりと視界の端に入れてもモブの如き扱い。
「ドリンク? 練習していないのだから休憩する必要ないでしょう」
とにっこり笑顔で言われた部員の傷は深い。
そんな不真面目部員には流氷の如く冷たいであったが、真面目に練習している部員にはこれでもかというくらい優しい。
ドリンクは勿論、タオルの準備やマッサージ、果ては差し入れのお菓子を手づから食べさせるなど(豪快に転倒した部員の両手が汚れているから食べさせただけby本人)、それはもう甘やかし放題である。
この飴と鞭、本人は見事なまでに無意識である。
その光景を初めて見た時には唖然とした跡部であったが、その日以来部活をサボる部員がいなくなったので結果オーライとばかりに放置しているのだが、これは断じて可愛いマネージャーに甘やかしてもらいたいという微妙な男の心理に勝てなかったからではない。
さてさて、そんな有能で可愛いマネージャーは勿論部員達の自慢なのだが、他校に吹聴して回るには彼らの独占欲はハンパなかった。
何しろ自分達がライバルと認める学校はくせ者揃い、中には年齢詐称しているんじゃないかという武士がいたり、最早プライバシーの侵害という言葉を知っているのかと言いたくなるほど他人のデータを集めるのが大好きなストーカーがいたり、女と見れば手当たり次第声をかけまくるナンパ男がいたりと、その他諸々そりゃあもうお近づきになりたくない、基、可愛いマネージャーに近づけさせたくない男ばかりなのである。
ということで(自覚なしだが)マネージャーを溺愛している氷帝学園部長はマネージャー不在のミーティングでこう断言した。
「今回の合宿、あいつは参加させない」
「当然や。何が哀しゅうて狼の群れに子ウサギを放り込まなあかんのや」
「は押しが弱いから、あいつらにうっかり連れてかれることだって考えられるし」
「警戒心がないからな。1人にしておくことすら危険だ」
「だけどよ、合宿中の洗濯や食事は…」
「そんなもんはコックを雇えばいいし、着替えなんぞ各自で用意すればいいだけの話だ。たかだか1週間じゃねえか。瑣末なことだ」
普段はバラバラのくせに、いざという時は素晴らしい団結力を見せ付けるテニス部である。
ごく一部の反論は見事に却下されてしまった。
そうしてマネージャーに合宿の存在を悟らせないという結論が出てからは、来週からの他校合同合宿という事実はなかったかのように普段の部活を進めていく。
休憩時間の会話はおろか、学校でもそんな事実はありませんとばかりに校長に緘口令を敷いてしまった。
どれだけ権力持ってるんだ跡部景吾と言う声が出そうなものだが、もし彼女に合同合宿のことが知られてしまっては全ての終わりである。
変態たちの魔の手からマネージャーを守ると称して一部の部員が練習どころではなくなってしまうだろうし、あのクセの強い連中に接触させて怖がらせてマネージャーを辞められても困る。
自分達がその変態たちの同類だと周囲から認識されているとは露とも思っていない部員達は、確固たる決意を持って合宿という事実を隠蔽する決断を下した。
だが、天は彼らに味方をしなかった。
彼らは知らなかったのだ。
氷帝学園マネージャーであるには、他校のテニス部関係者の知り合いがべらぼうに多いということを。
◇◆◇ ◇◆◇
「そういえば、来週から始まる合宿の件なんですけど」
の台詞に部室内に走った衝撃を何と言えば良いだろうか。
比喩ではなく稲妻が見えたとは、2年生準レギュラーH君の感想だ。
凍りついた空気と部員に全く気づかないは、相変わらずのほほんとした表情で話を続ける。
「1週間ってさすがに長いと思うんですよ。授業免除されるとは言っても学生の本分は勉強だし、勉強道具もきちんと持っていかないと駄目ですよね…って、あれ? 皆さんどうしたんですか?」
凍りついた者、ムンクの叫びのポーズのまま固まる者、がっくりとうなだれる者。
とりあえず四字熟語で表すならば「死屍累々」だろうか。
それらが自分の仕業だと微塵も思っていないは、不思議そうに首をひねる。
彼らの行動は往々にして独特である場合が多いので、意味不明の行動には慣れてしまっているのだ。
「合宿中の食事は各校ごとにマネージャーが用意すると窺ったのですが、他校ではマネージャーいない学校もありますよね。何人マネージャーが集まるかわからないけど大体選手は10人前後だし、結構な人数ですよね。分担で何とかなるのでしょうか。準備とか栄養面とか考えると皆で一緒に作った方が効率的のような気がするんですけど」
てきぱきと取り出したノートに必要事項を書き進んでいくとは反対に、部員達はまだ立ち直ることはできない。
誰が教えたんだというようにお互い目配せをしているが、勿論犯人がこの中にいないことは明白である。
では、誰か。
火急且つ速やかに解決しなければならない事態を前に、最初に復活したのは勿論部長である跡部景吾。
「…。お前、その情報誰から聞いた?」
テニス部員だったらつるし上げ、在校生だったら生徒会室に呼び出して正座で説教くらい軽い。
頭の中で報復の例を挙げている跡部の心境なんぞ気づくはずのないは、ごく当然のように答えた。
「さっき、榊監督から言われましたし、不動峰中の杏ちゃんからメールで連絡がきました」
ぶち、という音がした。
そりゃあもう盛大に。
「榊ーー!!!!」
跡部の叫びが部室に響いた。