いきなり抱え上げられたは驚きのあまり言葉もない。
というよりは、あまりに突然すぎて何が起こったか一瞬理解できていなかったというほうが正しい。
突発的な行動に対する対応能力は自信のない――要するにトロいのだが本人は自覚ゼロである――は、自分が英二にお姫様抱っこで爆走されていると気付いたのは、英二が目的地の手前で速度を下ろした時だった。
「えと…………菊丸、さん?」
「にゃに?」
「何で私は抱えられたのですか?」
「役得――というのは冗談で、ちょっと急いでたからさ。ちゃんに走ってもらうよりもこのほうが速いと思ったんだよね」
言い方はソフトだが内容は何気にひどい。
だがにっこりと人好きのする笑顔を向けられれば悪気がないのは明白で、もそれほど気にしていないようだ。
「で、ちゃんがここに来たってことは、不二と仲直りしに来たって思ってもいいのかな?」
「はい。…あの周助君どんな様子でした?」
「いやもう最悪。機嫌悪いってよりもどん底に落ち込んでてさ。ちゃんが来てくれて大感謝」
「そうですか…」
自分の予想以上に不二が落ち込んでいると聞いては申し訳なさそうに視線を伏せた。
(周助君、許してくれるかな…)
そんな沈んだ様子に気付いた英二が、を慰めるようにその小さな頭を撫でる。
自分が末っ子だからだろうか。
初めて会った時からは自分にとって妹みたいな存在だ。
世話好きだし意外としっかりしているのだが、どうにも放っておけないところが可愛くて仕方ない。
残念なことに恋愛感情はまるでないのだが。
最もそんなもの抱いた日には不二によって闇に葬られることは確実なので、現在の自分のポジションはわりと気に入っている。
「大丈夫。不二なら絶対許してくれるから」
「本当…ですか?」
「絶対!保証するって」
自信持をってそう言われて、それでも疑問を抱くのは英二に失礼だろう。
「よし、行ってきます」
自身を奮い立たせるように胸元で拳を握り締めて、は部室へと歩いていった。
の後ろ姿を眺めながら、英二は安堵のため息をついた。
青学テニス部のためにも、是非とも2人には仲直りしてもらわないと。
このままだと死人が出るのも時間の問題なのだから。
「英二先輩!」
大きな声で呼ばれて振り向くと、そこには先程置き去りにしてきた後輩2人の姿。
何が起きたか分からない様子だった彼らは、我に返ると慌てて後を追ってきたらしい。
の姿が見えたので夢中で連れてきたのだが、どうやら2人は彼女のことを何も知らなかったようだ。
そういえばが一度だけマネージャーを務めた際には、桃城は体調不良で欠席していたために彼女と会ったことはなかったのを今更ながらに思い出した。
今年入学したばかりのリョーマが知らないのも無理はなく、確かにいきなり抱き上げて連れていかれたの存在が気になっても仕方ないだろう。
ましてや彼女は今テニス部員以外立ち入り禁止の部室に入っていったのだから。
「あの子…その、不二先輩の彼女っすか?」
「ちゃん?違う違う」
「英二先輩の彼女とか?」
「とんでもない」
そんな恐ろしいこと、想像しただけでただではすまない。
まだ生命は惜しいのである。
「あの娘は、不二の大切なた〜いせつな人なの。変なことしたら殺されるよ」
あながち間違っていない台詞を述べると、2人の表情がわずかに強張った。
先程までの不二を思い出したからだろう。
「感謝しろよ」
部室のベンチで撃沈したままの親友がどれだけ驚くか想像しながら、英二は小さく笑った。
◇◆◇◇◆◇
部室の扉が開いたのは気付いていたが、誰が入ってきたか確認する元気はなかった。
に嫌われた。
仲直りする気はあるのだが、彼女に会いにいくのが怖くて仕方ない。
我ながら女々しいとは思うが、相手がだとこうも不器用になってしまうのが自分でも不思議だった。
が生まれた時からの付き合いで、それこそ目の中に入れても痛くないほどに可愛がってきただけに、を怒らせてしまったことが自分の中では相当ショックだったようだ。
どうやって仲直りしようかと頭の中で様々なシュミレーションを繰り広げている今、誰が入ってきても関係なかった。
静かに用事を済ませて出ていけばよし、何か話しかけてこようものならどんな目にあわせてくれようかと、非常に物騒なことを考えている不二の耳に、予想外の柔らかい声が響いてきた。
「周助君」
幻聴にしてははっきりとした声に音がしそうな勢いで顔を上げれば、そこには見慣れた小動物のような少女。
大きな瞳を申し訳なさそうに瞬かせて、1つ年下の従妹は所在なげに佇んでいた。
「…」
「あの…ね…、昨日のこと…謝りたくて…来ちゃった…」
おどおどと申し訳なさそうな従妹を前に、不二は声が出ない。
そんな様子をどう感じたのか、が一瞬泣きそうな顔を浮かべた。
「周助君は私のことを考えてくれてるのはちゃんとわかってたのに…ひどいこと言っちゃって…本当にごめんなさい」
「…」
ふらりと立ち上がった不二は、目の前で泣きそうな従妹の頭をそっと撫でる。
拒絶しないの様子に、不二の心がふわりと軽くなる。
「僕のほうこそ、ゴメンね?」
ふるふると首をふる少女に、不二は笑顔を浮かべる。
いつもの笑顔に、目の前のも安心したように笑みを浮かべる。
「あのね、嫌いなんて嘘だよ…。周助君のこと嫌いになんてならないから…」
だって大好きなお兄ちゃんだから、という言葉はの胸の内でだけ語られた言葉である。
「うん、僕ものこと大好きだよ」
「よかったぁ」
甘えるように腕にしがみついてくる従妹の姿に蕩けるような笑みを浮かべながら、不二は部室の窓から覗いている親友と後輩の姿を視界の端に映す。
おそらくは心配半分興味半分であろう後輩2人の姿に、そういえば彼らはまだと対面したことがなかったことを思い出し、彼らがに妙な関心を抱かないように釘を刺さなければと心に決めた。
(まあ、そんなことになったらただじゃすまさないけどね)
でも…。
今は目の前の少女の笑顔が嬉しいから、大目に見てあげるとしよう。
柔らかい髪の感触を楽しみながら、不二はそう思った。
- 06.10.07