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右目と挨拶


「改めまして、と申します」

そう言って片倉小十郎に深々と頭を下げたのは、まだ若い女性だった。
政宗曰く『母上』とのことだが、目の前の女性はどう見ても20代前半で、自分よりも年下であることは確かだ。
母というよりは姉という言葉がしっくりくるほど若々しい姿は、どこからどう見ても政宗の母には見えない。
何よりも政宗の母と言えば、保春院。
伊達家内ではお東の方と呼ばれる最上の義姫だ。
今でこそ修復不可能なまでに親子関係は断裂しているけれど、それでも政宗を産んだのは彼女以外の何者でもない。
だがそれを言葉にするほど片倉小十郎は愚鈍でもなければ、場の空気が読めないわけでもない。

「伊達家家臣、片倉小十郎だ」

が顔を上げるのを待って名を名乗る。
その際に軽く頭を下げたのは、に敬意を払ったからではない。
怖かったからだ。奥州筆頭伊達政宗様の目が。


『お前、俺の母上に対して無礼な態度取ったらどうなるかわかってんだろうな。あぁぁぁん?!』


とでも言わんばかりに睨みつけてくる隻眼は、竜の右目と呼ばれた武将ですら怯ませるほどの眼力だった。
だがその眼力も突き刺さらんばかりの殺気も、には全く分からなかったらしい。

「政宗くんがいつもお世話になっています」

のほほんとした笑顔でそんなことを言ってくるので、小十郎としてはどう反応して良いかわからない。
身一つで拾われた女性が来ているのは、発見された時に着用していた黒い服ではなく、政宗が急遽用意させた袿。
この城には女性が少ないから慌てて城下に買いに行かせたらしい。成実を。



「色白で儚くて愛らしい20代の女性が着るに相応しい最高級のものを選んでこい」



という政宗の命令を忠実に守ったであろう衣装は、おそらく城下の呉服屋に置いてあるうちでも最高級のものなのだろう。
若い女性が似合いそうな淡い青ではなく深い海のような濃紺の地に、桜の花びらが舞い散っている。
一見地味に見えそうな色なのに裾に行くにつれて増えていく花弁がまるで本物のようで、花弁が増えていくのを現わしているのか、下半分は薄桃色へと色が変わっている。
どこぞの大名家の姫が着ていても可笑しくないほど上等なものだ。
明らかに着る者を選ぶ柄。
それなのに目の前の女性は見事なほどに着こなしている。
政宗の説明がなければ、どう見ても良家の姫君にしか見えない。
違いがあるとすれば、戦乱の世においては不釣り合いなほどに澄んだ瞳とおっとりした雰囲気だろうか。
争いの中に身を置いたことがあるとは到底思えないほど警戒心がない。
今もふんわりとした笑顔を浮かべて小十郎の顔を見上げている。
強面である小十郎を見ても動揺した様子が見えないということは、大人しそうな外見に反して結構肝が据わっているのかもしれない。

「政宗くんから良く話を聞いてました。とっても頼りになる大事な人なんだって」

にっこり笑顔でそんなことを言うに、拗ねたように顔をそむけたのは上座にいる政宗だ。
ちなみに上座にいるのは政宗。はそのすぐ下に座り、一番下座にいるのは小十郎だ。
は武家の作法は知らないけれど一般常識は知っているため、すぐに下座に動こうとしたのだが、それは政宗が許さなかった。
むしろを上座に譲ろうとした政宗をどうにか宥めて譲歩した形が今の席次である。

「…俺はそんなことを言った覚えはない」
「あら、残念。私はしっかり覚えてるもの。『こじゅーろーは俺のあにうえなんだ』って。すっごく誇らしげに言ってたじゃないの」
「母上っ!」

真っ赤になる政宗を見てがコロコロと笑う。
そんな様子は母に見えなくもないが、良くて姉と弟であろう。

「男の子って照れ屋ねぇ。私の前ではあんなに『俺のこじゅーろーは強い』とか『俺のこじゅーろーはかっこいいんだ』とか自慢してたのに」
「政宗様が…?」

あの頃の政宗は自分以外を拒絶しているように見えた。
小十郎の言葉とて半分ほどは聞き入れてもらえなかったのだが、言葉にしないだけでそこまで信頼を寄せていてくれたのかと思えばやはり嬉しい。
疑うわけではないがつい確認したくて政宗へと視線を移せば、バツが悪そうな顔で視線を彷徨わせていたが、ややして小さな声で「…まぁ、そういうことだ」と呟いた。
そんな政宗を微笑ましそうにが見ていて、そんな視線に気づいて政宗がはにかんだように笑う。

思わず「誰だ?」と思ってしまう光景だが、その瞳に宿っているのは紛れもない信頼と愛情。
の方も愛しくて仕方がないという表情を浮かべているので、どこからどう見ても恋人同士のようである。
本人達は否定しているが。

…殿」
「はい」

小十郎が名を呼べば、しっかりと背筋を伸ばして応対する。
若干上座から「母上の名を呼び捨てにするんじゃねえよ」的な視線が突き刺さったが、とりあえず気にしないことにした。
が了承していれば問題ないだろう。

ふんわりと浮かぶ笑みは慈愛に満ちていて。
黒曜石のような瞳には一切の濁りも闇もない。
膝の上で揃えられた手は白く、傷一つない。
まるで陽だまりのような女性。
傷ついた梵天丸を包み込んで癒してくれたと言われても納得してしまうほど、柔らかい空気を纏っている。

彼女が政宗の『母上』。
嘘のような政宗の体験談は昔に聞いたことがある。
森を彷徨っていたら知らない世界に迷い込んだのだと。
そこで優しい夫婦に息子として世話になったのだと。
最初聞いた時は、正直信じることができなかった。
政宗は高熱を出して寝込んでいたのでおそらく夢でも見たのだろうと思っていたのだが。
刺客によって負わされた傷が綺麗に消えているのを見れば信じないわけにもいかず。
更には母に作ってもらったという装飾品は、こちらの技術ではどうあっても作れない精巧な彫の施された水晶の腕輪。
相当高価だとわかるそれを見ず知らずの少年に譲るようなお人よしは少ない。
況してや森の奥で遭難しているような子供に与えるなど、まずありえないだろう。
向こうの両親からとても大事にされたのだと、まるで宝物のようにその日々を語る政宗の言葉を信じるようになったのはいつだったろうか。
名門伊達家の嫡男として若干我儘に育ち、そして母に疎まれたせいで塞ぎ気味になった政宗――梵天丸は、どちらかと言えば猜疑心が強く心を開かない少年だった。
唯一の例外と言えば父である輝宗くらいで、小十郎とて機嫌が悪い時の梵天丸には近づけない時があった。
幼い身で片目と同時に母の愛情を失った子供の、やり場のない怒りを治める術を小十郎は知らなかった。
だが、その梵天丸があの日を境にぴたりと大人しくなったのだ。
常に俯いていた瞳を上げ、しっかりと前を見据え。
苦手なことからも嫌なことからも逃げ出さず、一歩ずつ前を向いて歩くようになった。
そう育てたのが目の前の『母』だと言うのなら、小十郎が取る行動は1つしかない。

「貴女が政宗様の『母上』となってくださったこと、この片倉小十郎景綱、感謝のしようもございません」

深々と頭を下げた小十郎に目を丸くしたがわたわたおろおろする姿に、何ともいえず安堵してしまったのは自分の心の中に秘めておこう。

こうして竜の右目は自分でも驚くほどあっさりと竜の母を受け入れたのだ。


  • 12.05.28