突然の撤退命令に、イザークは憤りを感じていた。
4機でかかればアークエンジェルの1つや2つ、簡単に落とせるはずだった。
なのに何故攻撃もしていないのに撤退しなければならないのか。
承諾しかねる命令に、イザークは見ないフリを決め込んでアークエンジェルへと近づいていた。
「ふん、気にすることはない。さっさと沈めて帰還すればいいだけの話だ」
「命令違反だぞ、イザーク!」
「うるさい、腰抜けめ!」
アスランが咎めてもイザークは帰還する様子を見せない。
「こんな好機滅多にないでしょ。このまま帰ってどうすんの?」
ディアッカもイザークに便乗する。
帰還命令が出ているということはそれなりの理由があるからだということを考えていないのかと、アスランは不安になる。
キラがザフトに入隊する際の条件を、イザークとディアッカは知っていたはずである。まさか、忘れてしまったのだろうか?
普段はぽやぽやとしているキラだが、本気で怒ると手がつけられないということをアスランはよく知っていた。本気で怒ったキラは、半端じゃなく恐いのである。
イザークとディアッカは、当然のことながらそのことを知らない。
ニコルは撤退命令が出ているということもあり、特に反論もなく撤退する構えだ。
「どうなっても知らないからな」
アスランは2人に最後通告をすると、大人しくヴェサリウスへと帰還することにした。
「ふ〜ん、命令違反するんだ」
イージスとブリッツが格納庫に収容されても、依然としてデュエルとバスターが帰艦する気配はない。
むしろアークエンジェルとの距離が縮んでいく。
無線が故障しているわけではないのだから、これは完全に命令を無視するということだろう。
元々好戦的な2人のことである。
そうすんなりと応じてくれるとは思っていなかったが、こうもあからさまに命令違反されるとなると面白くない。
「アークエンジェルには手を出さないって約束だったのにね・・・」
画面を見ながらキラがポツリと呟く。
鮮やかな紫水晶の瞳がちらりとクルーゼへと向けられると、クルーゼはわずかに視線をそらした。
そもそもデュエルとバスターが戻ってこないのは、クルーゼに原因がある。
キラが眠っている隙にアークエンジェルを沈めようと小細工をするからいけないのだ。
その結果、イザークとディアッカが戻ってこない。
「クルーゼ隊長のお仕置きは、この件が片付いてからね」
冷ややかな視線を向けたまま、キラはそう告げる。
普段の無邪気な声ではなく、どこか感情の欠落した声。
クルーゼを始めブリッジにいるクルー達は、キラのそんな声を初めて聞いた。
明るく穏やかな笑顔を浮かべるキラしか知らないクルー達は、目の前にいるキラがまるで別人であるかのような錯覚を覚えた。
それほどキラの表情は冷たい。
大きな目を細めて画面を凝視しているキラ。
造作が整っているだけに感情の伺えないその表情は、まるで精巧に作られた人形みたいだ。
「キラ!!」
パイロットスーツのままブリッジへやって来たアスランが入るなりキラの名を呼んだのは、恐らくこの部屋の空気を本能的に察したのであろう。
キラはちらりとアスランを見る。
無表情のまま自分を見上げるキラに、アスランはキラの怒りの深さを知った。
キラが本気で怒ると、まず表情が消える。
イザークのように怒りを爆発させるのではなく、静かに怒るのだ。
そして静かに、だが確実に相手にダメージを与える方法で報復する。
過去に数回そんなキラを見たことがあるが、今までの可愛らしいキラは一体どこに? と疑ってしまいたくなるほど恐ろしかった。
普段怒らない人間を怒らせると恐ろしいということを、アスランはその時初めて知ったのである。
「イザークとディアッカは?」
キラが訊ねる。
アスランはこれ以上キラを怒らせないようにと、極力言葉を選んだ。
「・・・何度か説得はしたんだが・・・」
「・・・そう・・・」
じゃあ仕方ないな、とキラが小さくため息をついた。
そしてクルーゼに向き直り、にっこりと笑った。
「ストライクで止めに行ってきますね?」
駄目とは言いませんよね、と瞳に力を込めてクルーゼを見ると、クルーゼの返事も待たずにブリッジを飛び出していった。
「キラさん笑顔でしたけど、怒りは治まったんですかね?」
アスランから少し遅れてやってきたニコルは、極上の笑顔を浮かべたままパイロット待機室へと向かっていくキラの後ろ姿を見送ってそう呟いた。
「いや・・・…あれは相当怒ってるぞ」
「え? でも満面の笑顔でしたよ?」
「キラは怒ると表情が消える。そして報復を決めたときは、極上の笑顔になるんだ」
不思議そうに言うニコルに、アスランはため息とともにそう答えた。
『悪魔の微笑』とは誰が言ったのだろうか。
幼年学校にいたとき、些細なことが原因でアスランがキラを庇って大怪我をした。
そのときのキラの怒りは凄まじいものがあった。
怪我を負わせる原因となった少年数名に対して身体的精神的共に追いつめて、とうとう転校させてしまったのだ。
さらにリーダー格だった少年の父親が、会社の金を横領したとして逮捕されてしまい、結果その少年は月から逃げるように引っ越していった。
横領が発覚したのは偶然だとキラは言うが、恐らくそれは違うだろう。
数日間キラがパソコンを使って何かしていたらしいとキラの両親から聞いていたので、十中八九キラが横領の証拠を警察に流したのだろうとアスランは確信していた。
その数日間のキラは、まさに今のように満面の笑みを浮かべていたのを、アスランは忘れることができなかった。
「それは・・・」
アスランが説明すると、ニコルは幼い顔立ちに冷や汗を浮かべた。
まさかそこまでとはいかないにしても、今回のキラが相当怒っているとなるとさすがにイザークとディアッカが心配である。
「戻ってこないあいつらが悪いんだからな。運が良ければ多少の怪我で済むはずだ」
アスランはそう言いながらも、画面に映し出されたストライクを見ながら、生命だけは取らないでくれと切に願った。
「イザーク、後方から何か来るぞ!!」
バスターのモニターに機体反応があった。認識番号はX-105。
「ストライクだ! ということは、乗ってるのはキラか!?」
『ストライクだと!?』
イザークの怪訝そうな声がコックピットに響いた。
キラは戦闘に参加するのが嫌で整備班になったのだ。
実際は整備というよりも奪還した4機のシステムを担当しているのだが、パイロットとしての実力を惜しまれつつも断固としてストライクに乗ることを拒否し続けたキラである。
まさか戦場に現れるとは、イザークもディアッカも思っていなかった。
ストライクはもの凄い速度で2機に追いついてきた。
『天誅ー!!』
どかっと音がして、ディアッカは突然バランスを失い後方へとはじき飛ばされた。
その目の前を加速をつけたストライクが飛んでいくのが見えるので、おそらくストライクの踏み台にされたのだろう。
踏みつけられる際に、ご丁寧にもバスターのモニター画面を半分壊してくれていったお陰で、機体に大した損傷はないがモニターが使い物にならなくなってしまった。
極端に狭くなってしまった視野では、戦闘を続けることは不可能である。
バスターは撤退を余儀なくされた。
バスターを戦闘不能にしたストライクはそのままビームサーベルを抜き、デュエルへと飛び掛った。
『とーうっ!!』
なんとも気の抜けた声でそう叫びながら、キラはデュエルへとサーベルを振り下ろしていた。
まさか味方から攻撃されると思ってなかったイザークは、咄嗟に避けようとして機体の向きを変えた。
が、反応が一瞬遅れたためにデュエルの右腕を切断されてしまった。
しかし、避けるのがほんのわずかでも遅れていたら、ビームサーベルはデュエルを真っ二つにしていたはずなので、右腕だけで済んだことを感謝しなければならないだろう。
「きっさま……! 俺を殺す気かー!!!」
『撤退命令が出てるのに戻ってこないのが悪いんでしょ? ほら、早く帰るよ』
言うなりキラは傷ついたデュエルの機体を支えると、半ば強引にヴェサリウスへと撤退を始める。
バスターとすれ違いざま、キラはディアッカへ通信を入れる。
『ディアッカは自力で戻れるよね? 僕もう手一杯なんだ』
「了ー解」
ディアッカは肩をすくめて諦めたように答えた。
ストライクがデュエルに襲いかかった時、ディアッカは確かにキラの殺意を感じた。
イザークはなんとか避けたものの、もしあのとき自分が斬りつけられていたとしたら上手く避けることができたかわからない。
一瞬でモニター画面まで壊されたのに、自分は何の反応もできなかったのだから。
「デュエルの右腕を……! 貴様、一体何考えてるんだ!?」
『はいはい、ちゃんと修理してあげるから安心してよ』
イザークの抗議の声にまったく耳を貸さず、キラはデュエルを搬送していく。
命令違反をしてアークエンジェルを落とそうとしたことをかなり怒っていると察したディアッカは、触らぬ神になんとやらとキラの言葉に一も二もなく従った。
後日、右腕を失ったデュエルはキラの案によりジン用の装備を加えることになった。
このためデュエルの攻撃力防御力ともに強化されたが、その後大した戦闘もなくこの装備が活かされることはほとんどなかった。
そして、その日から3日間、クルーゼの姿を見た者は一人もいなかった。