緊迫した空気が談話室に漂っていた。
パイロット達の休息の時間中だというのに、周囲には殺伐とした空気が流れており、ヴェサリウスのクルー達は休憩を取ろうと談話室に一歩入るとその空気に気圧され、無言で部屋を後にする。
その空気を作り出しているのは2人の少年―――正確には銀髪の少年だけ―――である。
ザフトの軍人の中でも憧れのMSパイロットであり、その中でも特に優秀だと認められた赤い軍服に身を包んでいるアスランとイザークは、先程からチェス盤を挟んで対峙している。
真剣な目で盤上の戦略を練っているアスランに対し、イザークは鋭い視線でアスランを睨みつけている。
視線で人を殺すことができるものなら、アスランは確実に殺されていただろう。
アスランはゆっくりとポーンを動かす。イザークの表情が一層厳しくなる。
戦局はアスランに有利なのだろう。
(全部顔に出るんだもんなぁ、イザークは)
大人しく2人の横で戦局を眺めていたキラは、のほほんとそんなことを思う。
(アスランのポーカーフェイスって、結構便利だよね。イザークも少しは感情を抑えたらいいのに)
以前そんなことをイザークに言ったら無言で額を叩かれたので、今回は心の中で留めておく。
ギリギリとアスランを睨みつけるイザークに、アスランはため息をつく。
「イザーク、君の番だ」
「わかってる!!」
もしかしたら、もう勝負はついているのかもしれない。
生憎とキラはチェスをしたことがないので、どこまで行けば終了になるのかよくわかっていなかった。
キラはちらりとディアッカを見る。
ディアッカは3人とは少し離れたソファにもたれ雑誌を読んでいたが、キラの視線を受けてわずかに肩をすくめた。
どうやら2人の勝負には関わりたくないようである。
「投了するのか?」
「誰がするか!!」
アスランの静かな声にイザークがかみつくように返事をしたとき、扉が開いてニコルが姿を現した。
「あれ、皆ここにいたんですか」
「ニコル、お疲れ様。もう用事はすんだの」
ふわりと部屋に入ってくるニコルに、キラはひらひらと手を振った。
「はい、少し時間がかかってしまいましたけど。そういえば、アスランとイザーク。クルーゼ隊長が呼んでましたよ。至急隊長室に来るようにって」
「至急〜?」
アスランとイザークの声が重なる。敵艦の姿の見えない今、特に急ぎの用事はないはずだ。つい先程ゆっくり休むようにと言ったのは、他でもないクルーゼ自身だった。
ましてやアスランとイザークの2人だけを呼び寄せる用事とは、一体何なのだろうか。
「どうせ、たいしたことじゃないんじゃないの?」
ディアッカが笑いながら言う。
アスランもそう思うが、一応隊長命令なので従わなければならない。
勝負はしばらくお預けだなと思いつつ、2人は隊長室へと急いだ。
「でもさぁ、チェスって意外に面白そうだよね」
盤上のポーンをつつきながら、キラは楽しそうにそう言った。
「何? キラ、お前やったことないの?」
ディアッカが意外そうに質問した。ニコルも首をかしげてキラを見ている。
「ないよ。だってやってる人がいなかったもん。将棋ならやったことあるけどさ」
「似たようなものですよ、チェスも」
「んじゃ、俺が教えてやるよ。やってみる?」
「いいの!?」
ディアッカの声に、キラの瞳が輝く。
プログラミングを得意とするキラである。シュミレーションの類も嫌いではないし、そういえばコンピューターゲームも好きだった。
身体を動かすことよりも、こういう頭を使うことのほうがキラは好きなのだろうと、ディアッカとニコルは思った。
「じゃあ、教えてよディアッカ。これってどうやって動かしたらいいの?」
「あ、キラさん、それは・・・・・・」
アスランとイザークが使っていたチェス盤の前に座り、キラはにこにことそう言った。
ひょいひょいと、何の躊躇もなく動かしていくキラの頭には、その盤が使用中であるということは忘れ去られているらしい。
ディアッカはくすくすと笑い出し、ニコルは片手で額を押さえた。
◇◆◇ ◇◆◇
クルーゼの至急の呼び出しは、予想通り大したことではなかった。
用事を済ませて談話室に戻ってきた2人の目に飛び込んできたのは、先程自分達がいた席に当たり前のように座っているディアッカとキラの姿。
イザークが眉を顰めた。
「お前達、何をしている!!」
「あ、お帰り」
3人が戻ってきたアスランとイザークに気付いて声をかける。その手に握られているのは、白のナイト。
「・・・・・・キラ? 何やってるの?」
「チェスだよ?」
アスランの問いかけに、キラはあっさりと答える。
「いや、それは分かるんだけど・・・・・・」
問題は使っているチェス盤である。
イザークとアスランは呆然と、テーブルの上のチェス盤を見た。
それは、先程までイザークとアスランが使っていたもので、アスランが頑張って築き上げてきた布陣はものの見事に壊されていた。
お陰であと数手でチェックメイトというところまで追い込んでいた黒のキングは、ビショップとルークに守られていて容易に落とせそうになかった。
「キラがどうしてもチェスがしたいっていうからさ」
教えてたんだと、ディアッカが悪びれもせずに言う。
「あの、僕は一応止めようとしたんですよ?」
ニコルも遠慮がちにそう言った。
「ほら、2人がやってるの見て楽しそうだったからさ、続きしてたんだ」
にこにこと笑顔を絶やさずそう言う幼馴染に、アスランは何と言ってよいのやらわからなかった。
「キラってチェスやったことあったっけ?」
「全然」
「ルールは?」
「勿論、知らないよ」
「・・・・・・そうだよな・・・・・・」
はぁ、とアスランはため息をついた。
完璧とも言える布陣をここまで無残に壊せるとは、むしろその腕前を評価したくなる。
ある意味凄いと思う。
「勝手にいじっちゃまずかった?」
キラが上目遣いにアスランとイザークを見る。
アスランが困ったようにイザークを見ると、イザークは肩を震わせていた。
怒りで肩を震わせているのかと思ったが、そうではなかった。
「くっくく・・・・・・。お前はやっぱり面白いなキラ」
「イザーク?」
首をかしげてイザークを見上げるキラの頭をぽんぽんと軽く叩くと、イザークはディアッカのどいた席に座った。
「キラ、そこをどけ。アスランと対決の途中だからな」
「あ、うん・・・」
「ちょっ、ちょっと待てイザーク。これは・・・・・・」
無残に変わり果てた盤を指差すと、イザークがにやりと笑った。
「文句を言うな、貴様の幼馴染が親切に続きをしていてくれたんだからな」
「そうそう、人の親切は素直に受けなくちゃな」
「頑張ってね、アスラン」
ディアッカばかりかキラにまでそう言われて、アスランは盛大にため息をついた。
翌日。
談話室でキラにチェスのルールを教えているアスランの姿が見られた。