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誰よりも近くに


「あなたが、好きなんです」

消え入りそうな、だが真剣な声を耳にして、イザークは思わず足を止めた。
軍人になるためにアカデミーに入学して1年弱、思春期の男女が1つ屋根の下で1日のほとんどの時間を過ごすとなれば、その中に恋の花の1つや2つ咲くことも自然の流れなのだろう。
実際イザーク自身も告白をされたことは少なくない。
だが、プラントのため、ひいてはコーディネイターの未来のために尽くすべく、ザフトのエースパイロットになるという目標があるイザークにとって、それは時間の無駄以外の何物でもなく、告白以前にその手の呼び出しはすべて断っていた。
アカデミーには多くの生徒がいる。
全員が全員軍人となるべく入学したわけではないということも、様々な会話の中から推察できた。
特に前線に出る確率の低い女性は、この中で将来有望な結婚相手を探すことを目的としている者がいるらしいという話を聞いたときには、怒るよりも呆れてしまったほどだ。 だがそれはあくまでも個人の自由だ。
どんな目的であれ、イザークにとって害にならなければそれでいい。
自分には自分の目的があるのだから。
だから、偶然聞こえてしまった声も、イザークは無視してその場を立ち去ろうとした。
名前も顔も、ましてや相手がどう返答するかすら、自分には関係ないのだから。
だが、意外にも足が止まったのは、視界に見知った金の髪が映ったからだ。

(―――ディアッカ!?)

自分にも他人にも厳しいイザークには、友人と呼べる人物はそう多くない。
その中の1人、おそらく最も自分に近しいだろう金髪の少年が、そこにいた。
飄々とした普段の態度そのまま、木の幹にもたれた姿勢で、興味なさそうな視線を少女に向けている。
真っ赤な顔を隠すように俯いている少女を見る視線は、どこか冷たい。
こんな冷ややかな表情をすることがあるのか、とどこか見知らぬ人を見るように彼の顔を見つめた。

「あの…だから…もしよかったら、私と付き合ってもらえませんか…。恋人にしてくれなんていいません。ただ、ガールフレンドの1人としてでいいんです…お願いします…!」

搾り出すような、必死の声が耳に入り、イザークは慌てて視線を逸らした。
まるで盗み聞きのようではないか。
早くこの場を去らなければ。
イザークが一歩後ずさったその時、ディアッカの紫紺の瞳が周囲を彷徨い、そしてイザークの姿を捕らえた。
一瞬、視線が交錯した。
イザークが目を見開くと、ディアッカはわずかにその口元に笑みを浮かべた。
見てはいけない場面を見た気まずさから、イザークは慌てて踵を返してその場を去った。
どうやら少女には気付かれなかったようだ。
イザークは寮の自室に戻ると、扉に凭れたまま大きく息をついた。
安堵しているのは、あの場の空気を壊さずに立ち去ることができたからか、それとも紫紺の瞳から逃れることができたからか。
イザークには分からなかった。





◇◆◇◇◆◇





「俺さ、お前のこと好きなんだけど」

いつものように飄々とした態度の親友がそんなことを口にしたのは、1週間ほど前のこと。
ひっきりなしに受ける女子からの誘いを断るための口実なのだろうか、それとも自分をからかっているのだろうか。
当然のことながらイザークはその言葉を本気だと受け取ることはできなかった。

「寝言は寝てから言えよ」

冷ややかな視線とともにそう告げると、ディアッカはわずかに肩をすくめた。

「冷たいね〜。真剣な愛の告白なのに」
「ふざけるな。お前の態度のどこに真剣さがある?愛の告白とやらをしたいなら、俺を練習相手にするな。本命に直接言え」
「へえ〜、直接言っていいの?」
「だから、何で俺に訊くんだ…っ!?」

腕を引かれて、思わず振り仰いだ先にあったのは、真剣な光を浮かべた1対の紫紺。
魅入られるように動きを止めたイザークを抱き寄せると、ディアッカはその耳元に囁いた。

「お前が好きだよ」
「!!?」

息が耳朶をくすぐり思わず身震いしたイザークの唇を、ディアッカが塞いだ。
背後から回された腕が自分の二の腕を押さえイザークの抵抗を封じる。
だが、強引な腕の力とは対照的に、触れる唇は優しかった。
何をされているのか、一瞬わからなかった。
理解したときには唇は離れ、至近距離にある見慣れた顔が微笑んでいた。

「ついでに行動にもあらわしてみた」

悪びれた様子もないディアッカの態度に、思わず手を振り上げようとして、その手がまだ拘束されたままだということに気付いた。
持てる力の全てでその腕を振り払うと、ディアッカはおどけたように両手を挙げてみせた。

「降参、降参」
「きっ…貴様!俺を練習相手にするなと言っただろーが!!」
「だから練習じゃないって」
「ふざけるなっ!本命にしろ!本命に!!」
「だから、お前が本命なんだって」
「………!?」

ふりあげた手を軽く受け止められ、先程の態度とは打って変わった口調で言われて、イザークは言葉を失くした。

「な…に言ってるんだ…?」
「気付いてないみたいだからこの際伝えておかないとと思ってさ。俺はずっと前からお前が好きだったんだ。勿論友人としてじゃなく、恋愛対象として」
「お、れは男だぞ…?」

声が喉にひっかかって上手く話せない。
何を言っているんだろう。
恋愛対象?
ずっと前から?
紫紺の瞳に射竦められたように、身動きができない。
思考が徒に空回りする。

よほど呆けた顔をしていたのだろうか。
ディアッカが皮肉げに笑った。

「んなのとっくの昔から知ってるって。何度も一緒に風呂入ったじゃん」
「…じゃあ、何故だ?」
「さあね。俺にもわからない。ただ、ある日気付いたらお前が俺の一番になってた。それだけ」
「それだけって…」
「まあ、お前のことだ。返事は急がないからゆっくり考えてくれよ」

そう言うと、ディアッカはするりと腕を離して部屋を出ていった。
それから1週間が経過したが、イザークは答えることができなかった。
ディアッカの態度は今までと変わらない。
むしろ自分に告白したことなど幻だったように。
幼いころからの付き合いだから、彼のことは全部とはいかなくてもほぼ知っていたと思っていただけに、その事実に驚いた。
ディアッカは自分と違い人当たりもよく、名門エルスマン家の長子ということもあってか、女子からの人気は高い。
特に入学したばかりの頃はいつでも周囲の女性の姿があった。
それはいつだっただろうか。
気がついたら、ディアッカの周りには1人の女性の姿も見えなくなった。
珍しいこともあるものだと皮肉を言ったら、ディアッカは明るく笑った。
本命が出来たのだと、だからその人に誤解させたくないのだとそう言っていた。
今までの何を考えているのか分からないような表情ではなく、屈託のない笑顔。
思わず見とれてしまったのを覚えている。
そして、この男にそこまで想われる相手は幸せだと、少し羨ましかった。
まさか、その相手が自分だとは思いもせずに―――。





◇◆◇◇◆◇





大人しそうな、気の弱そうな少女だった。
今までディアッカを取り巻いていた派手な女などではなく。
ディアッカはどう答えたのだろうか。
触れたら壊れてしまいそうな、あの少女に。
いつものように断るのか。
それとも気紛れを起こして付き合うのか。
そして、自分に紹介をするのだろうか。
新しい彼女だと。

「………」

不意に何かもやもやした気持ちが、胸の奥に生まれた。
今まで自分がいた場所が、見知らぬ女のものになる。
何だか、ひどく面白くない。

「くそっ!」

苛立ち紛れに枕を投げつけてみても、気分は晴れなかった。
イザークは室内を見回す。
整然と片付けられた自分の机と、整頓というよりも何もない同室者の机。
その上に置かれていた1冊の雑誌を取り上げ、それを相手のベッドに叩きつける。
自分に口付けしたのと同じように、彼女にもするのだろうかと思うと、胸の中のもやもやが一層ひどくなった。
いつだって振り返れば、背後にいた存在。
それを見知らぬ女に奪われることになるのだろうか。

「奪われる…?」

ふと、疑問を感じた。
手元からフォトスタンドがすべり落ち、足元で硬質な音を立てた。

(奪われる…)

何故そう感じてしまったのか。
何故それが面白くないのか。
答えは簡単だった。
イザークはわずかに目を伏せ、それから小さく笑った。

「そうか、そういうことだったんだな」

ひっそりと呟いた声は、どこか自嘲しているようだった。



しばらくして帰ってきた同室者が目にしたのは、自分のベッドに投げられた雑誌とイザークの枕、そして不機嫌そうにベッドに座って腕を組んでいる銀髪の少年の姿だった。
「…随分早かったな」

揶揄を込められた言葉に、ディアッカは苦笑で返した。

「ちょっとヤボ用があってね」

そう答えて自分のベッドに放り投げられたままの枕をイザークのベッドへ戻す。
ページが開かれたままの雑誌を取り上げ、それを無造作にダストボックスに放り込むと、ディアッカはイザークの隣に腰を下ろした。

「断ったから、あれ」
「ふん、当然だ」
「妬いてくれた?」
「何故、俺が妬かなくちゃならないんだ。うぬぼれるなよ」
「へえ〜」

ディアッカの含むような笑みに、イザークの頬が赤くなる。
イザークが物に当たるときは、機嫌が悪いときだ。
そして今回イザークが機嫌が悪くなる理由は1つしかない。

「全然、少しも気にならなかったんだ?」
「あ、当たり前だろ」
「本当に?」

耳元で囁かれて、イザークは視線を向ける。
自分の心の中なんて、この男にはすべてお見通しなのかもしれない。
だが、素直に認めるのは何となく癪で。
イザークはディアッカの口元に浮かぶ笑みを消すように、自分の唇を重ねた。

「イザーク…?」

紫紺の瞳を、青い双眸でしっかりと見据えて。

「最初からお前は俺のものなんだからな。妬く必要なんてない。そうだろ?」

そう告げた。
見開かれた瞳が、やがてふわりと笑みを浮かべる。
屈託のない笑顔。
この笑顔が好きだと思う。
それを他の誰かに向けることなど、決して許さない。

「お前は俺のものだ」

もう一度そう言うと、ディアッカが嬉しそうに頷いた。

「あぁ、俺はお前だけのものだよ」


  • 09.10.11