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華麗なる大円舞曲


聖アルシュアカデミー。
それは全宇宙から良家の子息が集う、由緒正しき学院である。
前時代はヨーロッパのパリ郊外に居を構え、広大な敷地と多彩なカリキュラムを誇っていたこの学院は、時代の流れに従うようにいつの頃か、その拠点を卓越した技術を誇るプラントへと移し、次代を担う若者の育成に心血を注いでいる、プラントでは珍しい全寮制男子校である。
前時代はそれこそ名家の子息以外入学を許可されなかったが、数年前に新しく任命された理事長の方針から、アルシュ<方舟>の名前そのままに一般生徒にも門戸を広げるようになった。
だが荘厳にして美麗な雰囲気を醸し出すその学院に入学を許可されるのは、やはりそれなりの能力を持つ者だけで、聖アルシュアカデミーと言えば全宇宙でも入学困難な進学校として有名である。
一点の染みも許されない純白のブレザー。
胸元に燦然と輝く学院のエンブレムはエリートの証。
校名そのままに模されたそれは、旧約聖書に記された『ノアの方舟』である。
プラントのみならず全宇宙でも羨望の的となるその制服に身を包んだ生徒達は、今日もまた周囲の羨望と尊敬の視線を受けながら荘厳な学院へと足を踏み入れる。





◇◆◇   ◇◆◇





「なんかさ、いつ見てもすっごい学校だよな」

歩いても歩いても一向に正門へとたどり着けない広大な敷地を眺めやり、トールは小さくため息をついた。
何百ヤードになるかわからない広い広い敷地。
学院に隣接する寮からでさえ、登校時間は軽く20分を超える。
その間延々と続く塀はセキュリティ事情を考えてどこまでも高く、中を窺い知ることは出来ない。
長い長い一本道を歩いてようやく角を折れると見えてくる、聖アルシュアカデミーの正門。
最新式のセキュリティーを施してあるくせに、門には屈強なガードマンが2人。
一分の隙もない彼らの仕事ぶりは徹底していて、不審者は勿論のこと、始業のチャイムを1秒でも遅れた生徒も見逃してはもらえない。
最も良家の子息が集まるこの学院で、始業時間ギリギリに駆け込んでくる生徒はほとんどいないのだが。

「何か俺、場違いなとこに入学したのかも…」
「まあまあ」

入学してから1年と数ヶ月。
すでに何度目になるかわからない台詞を吐きながらがっくりと肩を落とすトールを、これまた何度目になるかわからない慰めの言葉が隣から降ってきた。

「何十倍という倍率を乗り越えて入学したくせに、そんなこと言うなよ。機械工学は学年でもトップクラスのくせに」
「それはそうだけど…、でもやっぱり何ていうか家柄の差が、なぁ…」

トールの家はお世辞にも裕福ではない。
典型的な中流家庭の家で、学院の高額な授業料など到底出せるような家柄ではないのだ。
トールがこの学院に通うことができるのは、偏に理事長が提示した奨学金制度に乗っかっているからなのである。
機械工学の実力を買われたトールは、一定以上の成績を修めていれば学費は全て免除されている。
一度でも成績を落とそうものなら在籍すら危機なのだから、トールも必死だ。
幸いにも機械工学の権威と呼ばれていた人物が祖父だったお陰で授業についていけないことは今のところないが、成績よりもこの学院の雰囲気に未だに馴染めていないのが唯一トールの悩みなのである。

「第一、この派手派手しい門からして一般市民の俺からは場違いって感じでさ…」

前時代の建物をそのまま移築した建物に相応しい荘厳な門は、確かに中流育ちのトールには敷居が高いのだろう。
だが1年以上も通っているのである。
いい加減慣れてもよさそうなものなのに、と探るような視線を向ければ、わずかに低い位置からトールの恨みがましい視線が向けられた。

「サイはいいよな。お前ん家って結構な資産家だし」
「俺の家もここじゃ全然大したことないって」

それこそ全宇宙から資産家の息子が集っているのである。
故郷ヘリオポリスではそれなりの家庭に育ったサイですら、この学院では一般市民と大差ない。
そのギャップはあまりにも大きくて、嫉妬すら抱けないのが救いではあるが。

「いや、ほんと。世界は広いな」
「何だそれ?」
「何でもない。ほら、行くぞ。もたもたしてると遅刻だ」
「うわっ、ヤバッ!」

聖アルシュアカデミーでは、成績よりも生活態度のほうが規律が厳しい。
特に遅刻者に対しての処罰は重く、1度ならば勧告で済むものの、それが3度続くと罰を課せられる。
1週間の清掃ではあるがその場所は学院でも1,2を誇る講堂で、普段なら清掃業者が数人がかりで行う場所である。
生徒が1人で掃除できる場所ではない。
実際その処罰が課せられたのは数える程ではあるが、同じ生徒が2度処罰を受けるようなことは今までにない。
トールもサイも以前に1度遅刻をしている。
たとえ今日遅刻してもまだ1回執行猶予はついているが、だからといって人生何があるかわからないものである。
危険は冒さないに越したことはない。
2人は小走りで門へと急いだ。





◇◆◇   ◇◆◇





門をくぐると、両脇に並ぶオリーブの木。
ノアが放った小鳥が加えてきた枝から生えたオリーブを移植したと噂のそれは、門から校舎までの長い一本道の両脇を飾っている。
この分ではどうやら予鈴までには教室に着けそうだと歩む速度を緩めた2人の目に、見知った後ろ姿が飛び込んできた。
ほっそりとした体型は後ろ姿だけでも十分に窺えて、純白のブレザーと茶褐色のパンツが、華奢な身体を一層際立たせている。
柔らかそうな茶色の髪は風に遊ばれているのか毛先がふわりと揺れ、目の前の少年の細いうなじが髪の間から覗いている。
登校中の生徒の視線を一身に浴びていながらもそれに一向に気付かない少年は、一体何に気をとられているのか、一本道の真ん中で立ち止まったまま動く気配はない。

「何だと思う、あれ?」
「さあ…?でも、このままだと遅刻だよな」
「だよな」

目の前の少年だけでなく、惚けたように少年を見つめているギャラリーともども遅刻になるのは明らかだ。
いくら学院の生徒数が数千人を超えるとは言っても、これだけの遅刻者を作るとわかっていて原因を放置しておくことなどできないだろう。
彼らにとっては垂涎の的でも、トールやサイにとっては見慣れた顔。
そして、その麗しい顔に不似合いなほどのトラブルメーカーだったりするのだ。
トールは先程よりも大きなため息をついた。
なるべくなら目立ちたくない。
奨学生の自分とは生きる世界が違うこの学院の生徒達とは、なるべくなら深く関わりたくなかったのだが…。
だけど仕方ない。
目の前にいるのは、確かに自分とは別次元に住む人ではあるけれど、それよりも何よりも大切な友人なのだから。
何よりも目の前の少年が遅刻したら、色々と面倒が起こる。
だから、仕方ないのだ。

「キラ!」

トールが声をかけると、少年がゆっくりと振り返った。
柔らかな髪が風に舞い、繊細な輪郭を縁取る。
キラ・ヤマト・アスハ。
トールとサイが生まれ育った国オーブの王子であり、学年次席の優等生。
そして、本人無自覚だが学院一のアイドルである。

「やあ、トールにサイ。おはよう」

おっとりと微笑むその姿はどんな美少女よりも可憐で。
その微笑に周囲の生徒が固まっていくのを、トールは今までの経験から知っていた。

「珍しいな、1人?」

サイが問えば、あどけない仕草でこくんと頷く。

「今週アスランは週番だからね」

普段なら必ずキラの隣に立っているであろう幼馴染の姿がないことに首を傾げれば、返ってきたのはそんな答えで。
いついかなる時でもキラの傍を離れようとしないキラの同室者が、今この場にいない理由はそれくらいしかないだろうと納得してしまうのも、それはそれで何か空しい。 だが冗談でなく学校行事以外は常に2人一緒でいる姿が当然なものだから、単独行動をしているキラというのはひどく珍しい。
そのせいだろうか、普段よりもキラの様子を窺う生徒の数が多いような気がするのは。
「それよりも、お前何やってんだよ。遅刻するぞ」
「あぁ、もうそんな時間なんだ」

時間が経つのって早いよね、とあどけない仕草で小首を傾げる。
菫色の瞳がふんわりと眇められ、見慣れた笑顔だというのにも関わらずトールは頬が熱くなるのを感じた。
無邪気で素直。
キラを知る誰もが言う言葉ではあるが、本人が絶世の美少女の如き美貌の持ち主であるからか、そんな子供のような愛らしい仕草も目を奪われるほどの吸引力があった。
だが自身がどれだけ周囲の視線をひきつけるかまったく自覚のないキラは、相変わらずの笑顔で2人に視線を向ける。

「鳥をね、見てたんだ」
「鳥?」

不思議そうにサイが訊ねれば、キラは頷いて細い指で少し離れた場所にある木を指差す。

「あの木の枝にね、2,3週間ほど前から巣が出来てたんだ。昨日そこに雛がいるのを発見したら気になっちゃってさ」
「見るのもいいけど、このままじゃ本当に遅刻だよ。そうしたら怒られるんじゃないのか?」

誰かさんに、と呆れたトールが続けようとした時、その当人がやってくるのが見えた。
藍色の髪を風になびかせて颯爽と歩いてくるのは、キラの幼馴染であり寮の同室者でもあるアスラン・ザラ。
プラント国防委員長を父に持つ正真正銘良家の子息であるアスランは、気品ある顔立ちを不機嫌さに歪めながら、つかつかと大きなスライドで目の前の少年の前に立ちはだかる。

「キ〜ラ〜」
「アスラン、おはよう」
「おはよう、じゃない!あれだけ遅くなるなって言ってたのに、お前はいつまで経ってもこないし」
「え?だって別に遅刻してないよ、まだ」

まだ、とあっさり告げるからには、どうやら本人時間の感覚はしっかりしているらしい。
確かに今ならまだ遅刻にはならないだろう。
だから何故アスランの機嫌が悪いのか分からないキラは、きょとんとした表情でほんの少しだけ高いアスランの顔を仰ぎ見る。

「遅刻してるさ。大遅刻だ!」
「嘘だ。まだ予鈴も鳴ってないよ」
「今日8時から執行部の会議があるって、俺言ったよな?」
「…………………………………………………………………………あ」

地を這うようなアスランの声と、どうやらすっかり失念していた様子のキラの声に、トールとサイはがっくりと項垂れた。
成績は間違いなく優秀、運動神経も悪くない、生まれも育ちも完璧で多くの生徒の羨望の的であるキラ・ヤマト・アスハ。
だが、普段からおっとりとマイペースで、何かに対して大きく執着することのないキラは、時々大切な予定もすっぱりと忘れ去って自分の世界に浸っていたりする。
それでも王族の一員としてか責任感はあるので約束事を破棄したことはほとんどないが、今回は本当に綺麗さっぱり忘れ去っていたようである。
どこか焦ったようなキラの様子に、助け舟を出そうか出すまいか悩んだのは、目の前の藍色の髪の少年がひどく不機嫌だったからである。
下手に助けようとして自分が被害を被っては大変だ。
しばし考え、そして傍観者に徹した2人は賢明な選択をしたと言えよう。

「え、と……、終わっちゃった?」
「当然」

冷ややかにそう告げられて、キラは困ったように眉を顰める。
どうしたらよいものやら本気で迷っているキラに、アスランは諦めたように大きくため息をついた。
長年の付き合いもあるのだろうが、キラを溺愛しているアスランがいつまでもキラを困らせていることはできないのだ。

「放課後」
「え?」
「今日の放課後会議の続きがあるから、それは忘れずに出席するんだぞ」
「…うんっ!」
「やっぱり明日から一緒に寮を出た方がいいかもな」
「え、やだよ。アスラン週番じゃない。僕、付き合いで早起きできないよ」
「だが、お前1人で登校させるのはやっぱり危険だよ」
「いつまでも子供扱いしなくていいよ。隣なんだから問題ないじゃない」
「だったら時間くらい守れよ」
「う…精進します」
「ならいいけど。来週からは一緒に登校するんだぞ」
「うん」

ぽん、と慰めるように栗色の髪に手をやれば、一気に機嫌を直したキラが笑顔で頷く。
そんな仕草は入学してから1年以上見慣れてはいるが、相変わらずの親密度の高さに閉口している2人は、大人しく目線だけで会話をしていた。



やっぱ、露骨だよな。
まあ、アスランってばキラ第一だから。
俺ら眼中なし?
ないだろ、当然。



思っていても口に出してはいけないこともある。
入学してから1年と数ヶ月。

それだけはしっかりと学んだ2人であった。


  • 06.11.17