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恋模様


約束の時間は太陽が真上に昇った頃だったが、今は少し傾き始めている。
珍しいこともあるものだとシンは心中で思う。
ユダが約束を破ることは稀だ。
多くの天使からも慕われているユダはゼウスからの信頼も篤く、そのお陰で突然の用事などが入ることも少なくないのだが、その際には必ずどのような手段であれ前もって一言あるのだが、今回はそれがない。
忘れているということは考えられないから、連絡を取れない事情があるのだろう。
このまま待っていても果たしてユダが現れるかどうかの保障はない。
いや、来てはくれるだろう。だがその時間が何時になるかまではわからない。
そもそも時間がわかるほどの状態であれば、事前に連絡が入るのが常なのだ。
かと言って時間が過ぎたからと言ってこのまま帰るつもりはシンにはない。
最初から今日の予定は何も入れていないのだ。
家に戻っても書物を読むくらいしかすることはない。
それならいずれ来るであろうユダをこのまま待つ方がいいに決まっている。

雲ひとつない穏やかな天気。
少々陽射しが強いような気がして、シンは大木の陰に腰を下ろした。
ユダに聞かせるためにと用意したハープが目に留まる。
誰かに師事したわけではない、まったくの独学で身につけたハープだが、ユダはその音色を褒めてくれた。
自分自身ではまだまだ未熟なところもあると思うのだが、その音色に癒されると言われれば嬉しくないはずがない。
頭に浮かんだフレーズを音にして曲を作るのが、趣味になったのはいつからだろう。
それを一番に披露するのはいつもこの場所だった。
今日もそうして新しい曲をユダに聞いてもらうために来たのだが、ユダの姿はまだ見えない。
それでも帰ろうとは思わなかった。
待つことは苦ではない。
少し慌てたように駆け寄ってきてくれるユダを見るのが、実はシンはかなり好きなのだ。
どれだけ待たされても、自分のために急いで来てくれたということのほうが嬉しくて。
すまないと謝られるのも、逆に申し訳ないと思っているくらいだ。
この森は美しいし、湖面に輝く光もキラキラと見ていて楽しい。
だがさすがに長時間過ごすには手持ち無沙汰になるのは否めない。
少しだけ手慰みにと弦を爪弾くと、優美な音色は静まり返った森に優しく響いた。
シンの奏でるハープは優しい音だと言われるが、正直なところシンには良く分からない。
最初は誰に聞かせるでもなく弾いていた。
上達したいというよりは、頭の中で思い描く曲を奏でたいという気持ちだけで始めたそれだったから、腕前は考えていなかった。
人気のないこの場所を選んだのもそういう理由なのだ。
近くに天使の住処がないと思ったからこそ、この聖なる泉で夜毎練習していたのだが、ユダの住処が近くにあったのは誤算だった。
毎夜流れてくる音色に耳を傾けていたと言われ、聞き苦しい思いをさせたのではないかと心配したが返ってきたのは予想外の一言で、それから機会があれば一緒に時間を過ごしていた。
今日のように前もって約束をする日もあれば、偶然会うこともあった。
シンがこの場所を気に入っているようにユダも気に入ってくれたらしくて、多忙なユダだがよく足を運んできてくれる。
特に会話をするでもなく、ただ一緒にいるだけ。
それがとても居心地がいいのが不思議だった。

だからシンはここに座っている。
遅くなってもいい。自分はここにいるからと。
音に願いを込めてシンはハープを爪弾いた。





   ◇◆◇   ◇◆◇





「シン」

頭上から声をかけられてシンは指を止めた。
ユダとはまた違う、耳に心地いい声。
バサリと聞こえる羽音。
誰と聞かなくてもすぐにわかる。
シンはその姿を認めてふわりと微笑んだ。

「ルカ」

翼をたたんで隣に降り立ったのはルカだ。
ユダが同士と呼び、レイが師と仰ぐ人物。
ユダと同様に多くの天使から尊敬されている天使だ。

「珍しいな、1人か。今日はユダと約束をしていたのではなかったか」
「はい。ですが、ユダはどうも用事が入ってしまったようで」
「連絡なしか。あいつらしくない」

ルカの秀麗な眉が潜められてシンは慌てた。

「いえ。急な用事なのでしょう。私のほうは特に急いでいるわけでもありませんし、待つことは苦にはなりませんから」
「シンは甘い。一度くらいガツンと言ってやればいいんだ。どうせあいつはお前に甘えきってるんだから」
「そんな…。ユダは忙しい方ですし、私は本当に大丈夫ですから」

本心から言っているとわかる口調に、ルカはお人よしだなと苦笑した。
そのまま隣に腰を下ろしてくるのを見て、シンはそういえばとレイの台詞を思い出していた。

「ルカこそ、今日はレイと一緒ではなかったのですか?」

明日はルカと遠くの頂まで行くのだと嬉しそうに話していたレイ。
楽しんできてくださいねと言って別れたのは昨日だ。
今頃は2人で遠出を楽しんでいるものと思ったのだが、ルカの表情はどこか浮かない。
喧嘩でもしたのだろうか。

「シンと同じさ。レイもゼウス殿から任務を言い渡されたと今朝やってこられてね。何時に終わるかわからないからと言われたので、1人寂しく時間を潰しているところさ」
「そうでしたか」

きっとレイはひどく気に病んでいるだろう。
昨日の様子を考えれば今日の遠出をどれだけ楽しみにしていたかわかる。
多分ルカにもその気持ちは伝わったのだろう。
仕方ないから終わるまで待っていると言いながらもその表情は優しそうで、クールな外見に反してルカはとても細やかな気遣いが出来る人だから、きっとレイへのフォローも万全なのだろう。

「そういうことで、ふられた者同士話でもしようじゃないか」
「ルカ…」

言葉遊びをしているのだということは分かるがその言い回しは少々御幣があるのではないだろうかと思うものの、ルカがいつになく楽しそうなのでシンは苦笑しつつ頷いた。

「そういえばハープは弾かないのか。わたしに遠慮などしなくても構わないぞ」
「いえ、特に手慰みに弾いていただけですから、ルカのお耳汚しになってはいけませんし」
「気にするな。お前の奏でる音色はとても美しい」
「ありがとうございます」
「シンの音色はお前そのものだな。控え目で優美で、とても優しい」
「褒めすぎですよ、ルカ」
「いや、さすがにあのユダが夢中になるだけのことはあると感心したよ」
「ル…ッ、ルカ!」

真っ赤になって反論するシンにルカは笑って取り合おうとしない。
何か一曲弾いてくれと言われて、シンは赤い顔のままハープを構えた。
落ち着くように深呼吸を1つ。
穏やかな曲を選んで爪弾けば、ルカの口元に刻まれた笑み。
瞳を閉じて耳を傾けているのだろう。
ルカとこうして2人で過ごすのは、そう言えば初めてかもしれない。
ルカに会う時シンの隣には常にユダがいたし、またルカの隣にはレイの姿があった。
ゆっくり話したことはないけれど、どこか自分と似ているかもしれないとシンは思っていたが、こうして話してみればその思いは確信へと変わる。
勿論ルカに比べれば自分の方が断然未熟なのだが、穏やかな時間を好むことや一歩控えた性格など、どことなく共通点があるような気がするのは気のせいではないはずだ。
会話を交わさなくても気持ちが通じるとでも言えばいいのだろうか。
先程からルカは瞳を閉じたきりでどうやら眠っているのかもしれない。
だが、それでもその沈黙が不快ではないのだ。
ユダと一緒にいる時間とは違う。
レイやゴウたちと一緒にいる時とも違う。
どこか安心できる時間に、シンもまた静かに瞳を閉じた。

天界は平等で平和で、本当に楽園のような場所だ。
その中でもこの聖なる泉はシンの気に入りの場所でもある。
ユダと初めて会った記念の場所ということも勿論あるが、この静謐で優しい雰囲気が好きなのだ。

頬に感じる木漏れ日の温かさ、風が葉を揺らす音、水面で魚が跳ねる音。
小鳥のさえずりもまたシンの心を満たしてくれる。
ここにいれば時間は気にならない。
そう、いつまでも――。





   ◇◆◇   ◇◆◇




「……これは、どういうことでしょうか」
「さあな」


約束の時間に遅れること数刻、ようやく待ち合わせの場所に辿り着いた2人は、お互いの恋人が肩を寄せ合って眠っている姿を発見して複雑な表情を浮かべていた。
家を出ようとした矢先ゼウスから呼び出され仕方なく向かった神殿には、ユダ同様不服そうな顔をしたレイがいた。
ルカと待ち合わせをしているのにという不平を聞きながらゼウスの下へ赴き、大急ぎで用事を終わらせ待ち合わせ場所である聖なる泉にやってきたというのに、目の前では愛しい恋人が自分の親友の肩に凭れるようにして熟睡しているではないか。
無防備な寝顔は相変わらず可愛らしい。
だが、いくら親友とは言えルカの前でそんなに安心しきった寝顔を見せられては、恋人として面白くないのは事実。
かなり長い間待たせてしまったという自覚があるから強くは言えないものの、やはりそんな顔は自分だけに見せてほしいわけで。
狭量といわれても仕方ないが、それが本音なのだ。
言葉にこそしないものの内心ユダがそう思っていれば、レイが小さくため息をついた。

「遅刻した僕が言うのもなんですが、これはやはり面白くありませんね」
「…そうだな」
「ルカってばあんなにシンに寄りかかって」

僕にだってあんな姿は見せないくせに、と呟く声はやはり明らかに不満を宿していて。
尤も相手がシンでなければレイも血相を変えてルカを起こしにかかるのだろうが、やはりシンに対しての信頼は篤いらしい。
少年天使の頃からの付き合いなのだから無理もない。
そういうユダも、シンの隣にいるのがルカでなければ心穏やかでいられなかったはずなのだから。

「さて、面白くないと言ったらとっても面白くないんですけど、どうしましょうか」
「とりあえず、目覚めるまで待つか」
「そうですね。起こすのも申し訳ないですし。シンの寝顔可愛いですしね」

泉のほとりに腰を下ろし、大木に寄りかかって眠る二人の姿をしばし眺める。
果たしていつ頃目覚めるだろうか。
そしてどのような反応を見せるだろうか。
ルカの慌てふためいた様子というのは少々見物かもしれない。
そう思いながら、ユダは手土産に持ってきた果実を口に含んだ。


  • 09.01.30