月光に照らされたシンは、柔らかな微笑を浮かべたままハープを奏でている。
いつからともなく始められた月下での演奏は半ば習慣化しているだが、己のみに捧げられる音色はどれほど聞こうと一向に飽きることはない。
心に染み渡るような繊細な音色は何度聞いても耳に心地良く、細い指が弦を弾く様を見ているだけで時間はすぐに過ぎていく。
拙い爪弾きだとシンは謙遜するが、音楽にそれほど造詣が深くないユダではあってもその腕が相当のものであることを窺うのは容易なほど、シンの音色は素晴らしいものだ。
その音色に浸りながらワインを楽しむのも、これで何度目になるだろうか。
心地良い酩酊に身を任せながらもこの酩酊感をもたらしているのは、アルコールなのかハープの音色なのか、それとも月光の下で微笑む愛しい恋人の姿なのかユダにはわからなかった。
いつまでも浸っていたいと思うほどには、この時間は貴重なものだ。
6人の同士を得て賑やかになった生活はこれまで家族という概念に薄かった自分やシンにとって新鮮な喜びをもたらしてくれるものの、やはり恋人と2人きりで過ごす時間は何ものにも替え難い。
言葉にはしないけれど皆気づいているのだろう、東屋で過ごす時に邪魔は入らない。
もしかしたらルカがお子様2人を制しているのかもしれないし、シンの親友とも呼べるレイが止めているのかもしれない。
どちらにしろこうして2人の時間を過ごせるのだから有難く受け取っておくだけだ。
ベンチに腰を下ろし、切れ長の瞳を伏せて音の世界に浸っているシンは美しい。
繊細で整った顔に、かすかに笑みを浮かべた口元。
ただでさえ白い肌は、月光に照らされてまるで大理石の彫像のようだが、冷ややかさは一切感じられない。
それは決して惚れた欲目などではないだろう。
笑みを浮かべた口角が、シンの整った表情に生気と暖かさを宿しているのだ。
シンの姿をまるで彫像のようだと思ったのはただの一度。
ユダの前に敵として現れたあの一瞬だけだ。
外見に反してシンは情が深い。
だからこそ一切の感情を封印しなければ暗殺者としての責務を果たせなかったのだろう。
勿論それはゼウスの臣下だった頃のことであり、ユダの臣下となった今ではシンがそのような表情をすることは二度とない。
他でもないユダがそれをさせるつもりはない。
この優しいシンの手を二度と汚させないような治世を作るのが、ユダに課せられた使命なのだから。
弦が最後の一音を爪弾き、ややしてシンがゆっくりと顔を上げた。
賞賛を浮かべたユダにはにかんだ笑顔を浮かべたシンは、ユダの進めるまま隣に腰を下ろした。
「いつもながら美しい音色だ。ありがとう、シン」
そっと肩を引き寄せ耳元で囁けば、シンは頬を朱に染めながら小さく首を振る。
恋人となってから半年以上が経つ。
多忙なユダではあるけれど、シンは彼の秘書として働いているのだから昼となく夜となく一緒にいるのだからそろそろ慣れてもいいと思うのだが、未だにシンは初々しい態度を見せる。
それは言葉以上にシンの奥ゆかしい性格を現している上に、他人と触れ合うことに慣れていないことの証明になっていてユダを喜ばせる。
思わず抱き寄せる手に力を込めれば、シンは甘えるようにユダの肩に凭れ掛かってくる。
纏めていない髪がさらりと風に揺れユダの頬を撫でる。
仕事の時は纏めているシンの長い髪は、ユダと2人きりの時は下ろしていることが多い。
ユダがリボンをほどいてしまうからだ。
まるで絹糸のように柔らかく綺麗な髪は、一度触ってしまえば手放すのが難しい。
手触りを楽しむようにそっと撫でれば、シンはうっとりと目を閉じる。
まるで子猫のようなそれは毎回のことながら、その度にシンへの想いは深くなる一方だ。
言葉もなく、ただ寄り添って傍にいるだけ。
そんな関係が苦痛ではなく、むしろ安らぎだと感じることが来るとは思わなかった。
何気ない日常。
その幸せを確かめるようにユダは腕の中の存在を抱きしめれば、腕の中で小さな笑い声がした。
「シン?」
「何でもないのです。ただ…」
うっとりとユダの肩に凭れながらシンは上目遣いでユダを見上げる。
甘い陶酔に浸っているような眼差しは、シンにしてみれば無自覚なものかもしれないが、普段の清楚な雰囲気とは正反対に妖艶さを醸し出していて目を奪われる。
「ただ、幸せだなと。そう思ったのです」
触れられるほど傍にいられて。
声を聞くことができて。
そして、愛されて。
「とても、幸せです」
そんな健気な姿に思わず感極まったユダとシンがいいムードになるのも、面白がって見学していたお子様2人を保護者が窓から引き剥がすのも、それを眺めて揶揄いのネタが出来たとルカがほくそ笑むのも、いつもと変わらない穏やかな日常の1コマであった。
オリンポスは今日も平和である。
- 10.01.21