ユダが大公位に即位してから半年。
居所を私邸から城へと移したこと以外、ユダの生活に変化はなかった。
外国の要人との会見、法の改正、官僚の不正と政道の是正など。
ゼウスと対立してからというもの、国のために行っていた行動とさして変わらない。
だが、今までは出来なかった国政への関与が出来ることになった点は大きな変化であり、今まではゼウスの傍で利権を貪るだけだった政治家達からのご機嫌伺いが加わった為に、相変わらず寝る間もないほどの激務に追われていることに変わりはなかった。
実質的な仕事の増加量は驚くほどだが、ユダが以前と変わらず仕事を進めていられる最大の理由は、6人の腹心を手に入れたことだろう。
ゼウスの子飼いだと言われていた四聖獣と2人の兄弟。
暗殺集団という異名を得ていた彼らは、勿論その名の通りゼウスの命じるままに汚い仕事にも手を染めたことはあっただろうが、その心根はまっすぐで優秀だ。
本来はゼウスの元腹心だったルシファーが、彼の治世がより良いものであるようにと遣わした人物であり、暗殺などという闇の仕事以上に政治や経済などに精通していたのだ。
能吏として知られたルシファー。
その彼が心血を注いで育てた教え子なのだから優秀なのは当然。
だがゼウスは彼らを得てすぐに道を誤り、政治から興味を失ってしまったために知らなかったのだ。
ゼウスが失脚した後、ルシファーから己の目で主人を選ぶようにと言われた四聖獣は、躊躇いもなくユダを主君に選んだ。
シンはユダが放すはずもなく、ゴウも自らユダの高潔な意志を感じて膝を折った。
レイとガイも倣うように彼らに従い、その縁で2人の兄弟も一緒にやってきてユダの周囲は一気に華やいだ。
そんな彼らの手を借りながらユダは政治を見事に激変させた。
それまでもユダの手腕は誰もが知るところだったのだが、補佐する人物がルカしかいなかったためにどう頑張っても仕事には時間がかかってしまった。
そこに即戦力として6人もの人材が手に入ったのだ。
経済を立て直し治安を平定し、外国との貿易にも力を注いだ。
国は見る間に過去の勢いを取り戻し、国民は新しい君主を喜び、彼に協力することでオリンポスは再び輝きを取り戻していることを実感していた。
そんな国民が唯一懸念していることと言えば、国主の体調だった。
ユダは多忙だ。
朝早くから夜遅くまで、それこそ分刻みのスケジュールに追われている。
即位して数日は国主のスケジュールが国民に知らされることがあったが、あまりの過密スケジュールに国民の多くから休養をという声が上がったのも1度や2度ではない。
彼らにとってユダは国主であると同様に、自分達の苦境を憂えてくれた人物であり、その改正のために立ち上がってくれた救世主なのだ。
国が復興していくのは喜ばしいことだけれど、あまり無理をして欲しくはなかったのだ。
そのため国民の間で運動が起こり、国主は月に1度は完全休養を取るという異例の条例が発令されることとなった。
これに驚いたのは当事者のユダだ。
何しろ本人は自分の仕事密度がどれだけ過酷か自覚していなかったのだから。
それまで腹心であるルカが再三言ったところで無視、国民の為に出来ることをしなければならないと言いながら平然と無茶をしてきたのだが、生憎それらは公式に発表されることがないから国民は知らなかったのだ。
うちの国主様は大変な働き者だと単純に喜んでいた国民だが、彼がどのようなタイムスケジュールで動いているか知って驚いた。
ようやく現れた救世主が過労で早世なんて洒落にならないと、少しでもいいから休養を取ってくれという陳情の列は城を取り囲み城下へと続いた。
陳情に追われることになったために業務が滞り、見かねた側近達の声によりユダは月に一度の完全オフ日を強引に組み込まれることになったのだ。
下手したら新たに作られる法令に組み込まれそうな勢いだったため、さすがのユダも頷かざるを得なかったのだろう。
本来なら週に1度という話だったのだが、さすがにそれはユダが首を縦に振らなかった。
この話は『働きすぎの国主を案じる国民』として、揶揄と賞賛の声と共に他国でも報じられたが、他国の民は敬愛できる国主の存在を羨望の眼差しで見ていたという。
さて、そんな国民から忙しすぎると健康を案じられている国主はと言えば、持って生まれた強靭な体力と使命溢れる精神力で、まったくもって健康的な日々を送っていた。
何しろ強力な部下が6人も増えたのだ。
若干2名ほどは学生気分が抜けていないようなところがあるのだが、やはりルシファーが手づから教えていたというだけあって頭の回転は速いし、社会情勢の把握もしっかりしている。
他の4人のようにユダの名代として遣わせるには少々不安が残るものの、補佐としては申し分のない人材であり、結果としてユダの仕事は昔に比べると遥かに楽になっている。
何よりも彼らと一緒に生活することによって得られる安らぎが大きい。
ユダもルカも家族という概念に薄い人間だ。
そしてそれは四聖獣や2人の兄弟にも同じことが言えた。
ユダとルカは兄弟というよりはお互い同士のような関係で、2人で支えあって生きてきた。
四聖獣は幼い時に施設に預けられ、自身の両親を知らない。
そしてキラとマヤは四聖獣と同じ施設で育った点では同じだが、彼らは事情により実父に会うことが許されない兄弟だった。
誰もが家族という関係を知らない。
そんな彼らが共に生活することはまるで新しい家庭を持ったかのようで、次第に家族のような感情を抱くようになっていったのは不思議ではないだろう。
それ以前にウマが合うというものなのだろう。
つい半年程前までは敵対していたということが嘘だったかのような打ち解け様は、警戒心の強いルカですら苦笑してしまうほどだ。
「不思議なものだ」
こうして一緒に生活してみれば、これ以上ないほどにしっくりと来ている現状がとても不思議だ。
「まぁ、確かに僕達は置かれている状況から道を違えていましたけど、決して憎んでいたわけではありませんからね」
ソファーに座ってガイとマヤの会話を楽しそうに見ていたルカの呟きに気づいたのか、食後の珈琲をルカの目の前に置きながらレイが柔らかい笑顔で答えた。
ルカとゴウにはブラック、キラにはミルク入り、ガイとマヤには砂糖とミルクたっぷりのお子様カフェオレを用意し、自分はミルクティーを片手にルカの隣に座る。
どうやらレイは家事をするのが好きなようで、食事の後の飲み物や休憩時の茶菓子などは大体レイの手作りだ。
彼らのことを知れば知るほど暗殺者と呼ばれていたことが信じられない。
最もルカが掴んでいた情報はほとんどが噂であって、大体は始末したふりをして国外へ逃がしていただけだったらしい。
それでもゼウスの目を誤魔化すのは相当難しく、実際にその手を染めたこともあったようだが、ルカが聞いていたように人を人とも思えない冷酷な集団でないことは確かだった。
元々の主がルシファーなのだから彼らの本質が歪んでいないのも当然か。
四聖獣の本来の主であったルシファーは、ゼウスが国外に逃亡したこととユダが大公位を継いだことを知ると、用は済んだとばかりに国を出て行った。
ユダもルカもルシファーがオリンポスに戻る気があれば受け入れるつもりだった。
だが彼は既に他国に住む場所があり、今のオリンポスには自分は必要ないだろうと言うだけで首を縦に振ろうとはしなかった。
緊急の事態だったとは言え国に残していかざるを得なかった幼い2人の子供に父親だと名乗り出ることもせず、ただこの国の将来に光あれと祝辞を述べて帰っていったルシファーの真意がどこにあったのかルカにはわからない。
だが、彼が願った通りにこの国を立ち直らせることがユダやルカ、そして四聖獣達に課せられた使命なのだと再認識するだけだ。
「ところで、ユダとシンはどちらです?」
僅かに思考を飛ばしていれば、レイが困ったように首を傾げていた。
テーブルに置かれたトレイには手付かずのカップが2つ。
勿論ユダとシンの分だ。
食後は全員でリビングで寛ぐというのが習慣化しているためいつもならいるはずの2人の姿が見えないことが不思議なのだろう。
そんなレイにルカが軽く笑う。
「今日はいい月夜だからな」
視線で窓の外を示せば、レイが首をあぁと納得したように小さく笑う。
窓の下にあるのは中庭だ。
綺麗に手入れされた庭園と噴水がある。
その近くには小さいながらも東屋があり、月の綺麗な夜はシンがその場所でハープを奏でることが少なくない。
そしてそんなシンを愛しそうに見つめるユダの姿も。
ほんの少し開いた窓からシンのハープの音色が聞こえてくる。
シンのハープは格別だ。
特別な技術があるわけでもないのだが、妙に心に馴染んで癒される。
恐らく噴水の傍には音色に惹かれた小動物の姿もあるだろう。
もっと近くで聞きたいと思うのだが、月夜のハープはユダのために弾かれるものだと誰もがわかっているから、東屋に行って2人の邪魔をしようという者はいない。
「成る程、だからマヤとガイが窓際の席を争っているのですね」
自他共に認めるほどシンに懐いているマヤと、子供のような好奇心でユダとシンの2人の世界を覗きたいと思っているガイ。
普段なら夢中になってテレビを観ている時間帯なのに珍しいこともあるものだと思えば、成る程そういう理由か。
レイとしてもシンのハープをもっと近くで聞きたいと思う気持ちがないわけではないが、最近は特に忙しかったユダの数少ない安らげる時間を邪魔するのはいただけない。
ましてや恋人達の逢瀬を邪魔するほど無粋ではないのだ。
勿論2人も邪魔するつもりは毛頭ない。
ただ、好奇心があるだけだ。
「困った人たちですね」
「まったくだ」
こんなお子様2人を政治に参加させてもいいのか疑問に思わなくもないが、それを言えば自分だって同じようなものだ。
勿論、あの2人よりは役に立つ自信はあるけれど。
「マヤ、ガイ。2人の邪魔をしたら駄目ですよ」
「はーい」
「わかってるっつーの」
窘めるように言えば聞き分けのいい子供のような返事が返ってきたが、どう見ても止める様子は見られない。
毎回のことなのに飽きないものだと、レイはため息をつきながらも平和な日常に口元が笑ってしまうのを止められなかった。
- 10.01.16