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PARADISE


朝から食事を摂る時間すらなかったシンを、ユダはまずレストランへと連れて行った。
元々小食で肉よりも野菜を好む傾向があるシンのために選んだのは有名なフレンチレストランだった。
野菜中心のヘルシーなコースが人気で、有機野菜を使った料理は女性に人気が高い。
味は勿論見た目も重視した料理はここ数日食欲の落ちていたシンも気に入ったようで、通常のコース料理をしっかりと完食していた。
食事をしているうちに落ち着いたのか、いつもの様子を取り戻したシンだったが、マンションに戻るなりユダの部屋へ招かれて再び落ち着きをなくしてしまった。
ユダの部屋は基本的にシンの部屋と同じ造りになっているが、一回りほど広かった。
東南に面した二面バルコニーからは都内の夜景が見事に一望でき、最上階の部屋の中でも特に眺めのいい部屋なのだとわかる。
室内の家具は茶系で統一されているが、全体的にすっきりとしているのは無駄なものが置かれていないからだろう。
所々アクセントとして置かれている小物は白と黒をバランスよく配置していて、センスの良さを窺わせる。
だが、進められるままにソファーに腰を下ろしたシンはそんな室内を見る余裕すらなく、どうしていいかわからないと言うように視線を彷徨わせていた。
ユダは食後のコーヒーを淹れると言って先程からキッチンの中だ。
意外にも料理が得意らしく、キッチンは綺麗に片付いているけれどしっかりと使い込まれた感じがしていて少々驚いた。
シンは掃除はともかくとして料理は苦手で、お世辞にも家庭的とは言えない。
何をやらせても完璧な人っているもんだなぁとぼんやり思っていると、カップを手にユダが戻ってきた。

「口に合えばいいんだが」
「ありがとうございます」

目の前に置かれた白磁のカップ。
鼻腔をくすぐる香りは専門店のものと変わらない。
実はシンはコーヒーが苦手だ。
レイに子供だと言われているけれど、どうしてもブラックで飲めないのだ。
だが手づから淹れてくれたユダを前にミルクをくれとは申し訳なくて言えない。
ユダもシンがブラックで飲めないことを知っているのだから、これは意図してのものだろう。
恐る恐る口をつけると、見た目と反して味はとても繊細だった。
コクはあるけど苦味は少ない。

「美味しい…」

信じられない思いでもう一口飲み、そしてゆっくりと嚥下する。
喉を通る苦味は多少あるけれど、それも気にならない。
コーヒーとは実はこんなに美味しかったのかと思えるほどだ。

「美味しいです。とても…」
「そうか。よかった」

嬉しそうに破顔したユダにシンの頬が染まる。
シンの味覚は子供のそれだ。
好き嫌いが激しいわけではないが、極端に辛いものや苦いものや酸味の強いものが食べられない。
しかも猫舌ときている。
見事にお子様舌の持ち主なのだ。
そんなシンがユダの淹れたコーヒーを世辞ではなく美味しいと言ったことが嬉しかったのだろう。
まるで苦手なものを食べた子供を褒めるようなその笑顔に、シンの緊張もわずかに溶ける。

部屋に上がった当初はおかしいくらい心臓がバクバクしていてこのまま死んでしまうんじゃないかと思うくらい緊張していたのだが、それが溶けたのは偏にユダがシンの緊張をほぐすように一定の距離を保ってくれるからだ。
驚かさないように怖がらせないように。

そして逃げ出さないように。

ユダは常にシンのことを気にかけてくれる。
最初は強引にモデルに誘った罪悪感からかと思った。
そうでなければデザイナーとモデルとしての良好な関係を築く上での行動かと。
そうでないと思わなかった。――思えなかった。
欲を出せばきりがなくなる。
こうして傍にいられるだけで十分だと思っていなければ、いつも一緒にいたくなってしまう。
想いを告げたくなるし、受け止めてもらいたくなる。
だが、そんなことはできなかった。
ユダは才能溢れるデザイナーで、自分のような男ではなくもっと相応しい女性がいるはずなのだから。
だから知らず知らず想いを封印していた。
自分ですら気づかないように、ただの憧れだと言い聞かせて。
想いを秘めた扉には、決して開かない頑丈な鍵をかけた、はずだった。
それが綻んできたのは、たった数ページの記事。
ユダが手放しで自分を賞賛していた、あの対談の記事だった。
理想だと言われ、最高だと褒められた。
かけがえのない存在で、いないことが考えられないと。
まるで恋人のようですねと揶揄したのはインタビュアーの男性。
それに否定するでもなく返された答え。

ごく簡潔に――そうですね、と。

その言葉に自分の心は揺れなかったか。
直接聞きたいと思わなかったか。
こんな誌面ではなく、ユダの口から直接言ってほしいと、そう思わなかっただろうか。
ユダと一緒にいる時間はドキドキするけれど、とても心地よい。
ユダはどうなのだろう。
ふとそう考えれば、自分の中の気持ちが堰を切ったように溢れてきて。
それでも言葉にして言う勇気はどうしても出なくて、シンは隣に座るユダへと視線を向けた。
思い悩むシンは美しい。
それはシン以外の誰もが認めることで、当然ユダも同感だった。
思考がすべて顔に出るシンだ。
今何を考えているかなんて、幼馴染のレイでなくてもわかる。
潤んだ黄金の瞳。何かを言おうとかすかに開いた形のいい唇。
躊躇うように動く細い指先。
想いを告げるのは簡単だったが、シンが勇気を振り絞っているのだ。
もう少し見守ってみたかった。
それに、やはり愛しい人からの告白も聞いてみたい。

「ユ、ダ…は」

かすかに、喉の奥から搾り出すような声。
消えてしまいそうなほど小さな声だったけれど、瞳はそらされないまま。
黄金の瞳が頼りなげにユダへと向けられている。

「私のことを、どう…思っています…か…」

中学生の恋愛のように純粋で、だからこそ真摯な気持ちがそこにあった。
多分、これがシンの精一杯なのだ。
羞恥に顔を真っ赤に染める姿は幼い仕草の中にも凄絶な色気があって、ユダは吸い寄せられるようにその頬へと手を伸ばした。

「雑誌を読んだのだろう? なら、俺の想いはわかっているはずだ」
「でも…」
「でも?」

うつむきそうになる顔を、もう片方の手も添えて上を向かせる。
不安そうで泣きそうな表情。
安心させるように笑みを深めれば、少しだけ表情が柔らかくなる。

「直接聞きたい?」

顔を寄せて囁けば、小さく首が動いた。
あぁもう、どうしてこんなに可愛いのだろうか。
恋愛なんていくらでもしている。
だが、こんなに心を揺さぶる相手に出会ったことがあるだろうか。
まっすぐに見つめる眼差しは自分だけを宿していて、それがユダを満足させる。

「シンが好きだよ。お前だけを愛している」
「ユダ…」

その途端、黄金の瞳から涙が頬を伝った。
綺麗だと思い、気が付いたら唇を寄せていた。
眦に落された口付けに一瞬驚いたように目を瞠ったシンだったが、ユダの蒼瞳と視線がからむと嬉しそうにふわりと微笑んだ。

「私も、あなたを愛しています」

頬を押さえるユダの手に、自分の手を添えて。
シンはそっと囁く。
嬉しくて、でも恥ずかしくて。
シンは甘えるようにユダの手に頬をすり寄せた。
シン、と囁く声に自然と瞼が下りた。
ふわりと落ちてくる口付けに、閉じた瞳から涙が零れ落ちていく。

「泣き虫だな、シンは」

笑いを含んだ声でそう言われるけれど、どうやって止めたらいいか自分にだってわからないのだ。
涙が出るほど幸せなんて言葉、本当にあると思わなかった。
あやすように抱き込まれた腕の中、シンはうっとりと目を閉じる。
好きなだけ泣けばいい、という優しい声に今は甘えることにした。


  • 09.01.17