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SILVER HEART


慣れというのは怖いものだとシンは思う。
女性モデルとして初めて撮影に及んだ日は頭の中が真っ白で、自分で何をしているのかわからないまま1日が終わってしまったというのに、今では考え事をする余裕まで生まれている。
カメラマンの指示するままにポーズを取り目線を送る。
お世辞にも器用とは言えないシンだ。
笑えと言われてもすぐに笑えるはずもなく、最初の頃は笑顔が凍りついて何度も失敗した。
そのせいか最近では表情を無理して作る必要はないと言われているため正直助かっている。
モデルを始めてから数ヶ月、日々はあっという間に過ぎ、街中には至る所に自分のポスターが飾られている。
撮影中はどう考えても上手く出来た自信なんてないのに、ポスターの中の自分は柔らかく微笑んでいて、初めて見た時はまるで自分ではないようでひどく驚いたものだ。
当初危惧していた正体がばれるかもしれないという不安も杞憂と終わった。
メイクをし衣装を身に着けたシンはどこからどう見ても女性にしか見えず、又、眼鏡をかけていないこともあって、その姿は普段のシンとはまるで別人になっていたからだ。
幼馴染のゴウやガイですらも気づかず、髪の色が同じだけの別人としか受け取ってもらえなかった。
尤も彼らは幼い頃から知っているため見慣れてくればなるほどそうかもしれないと思えるようだが、それでも別人だと言われれば信じてしまいそうなほどなのだから、それほど深い付き合いでない大学の友人達が気づくはずもない。

さて、そんなシンの評判と言えばかなりの高評価で、ショーを開く前からユダのデザイナーとしての地位は揺らぎないものとなっていた。
新しく立ち上げたブランドのデザインは勿論ながら、やはり話題に上るのは素性不明の美人モデルのことで、モデルの素性を知りたがる者も多かったが、それは当初の約束どおり事務所が徹底的にガードしてくれている。
万が一を考えてシンはセキュリティ完備のユダと同じマンションに引越し、マネージャーとして気心の知れているレイが同居することになった。
お陰でシンは何の支障もなくモデルと学業の両立ができているのだ。
撮影は主に週末を利用して行われている。
スタッフも全員協力的で、シンが男だということを知っても誰も何も言わない。
むしろ賞賛の眼差しで見られて身の置き所がないくらいだ。
ここはとても居心地がいい。
仕事はショーが終わるまで、長くても1年間の契約だ。
女装なんて嫌だと思っていたけど、この時間が1日でも長く続くようにと思ってしまう自分がいることをシンは自覚していた。
そのようなこと、できるはずないのに。

「どうした? 疲れたか?」
「あ、いいえ。すみません。大丈夫です」

浮かない表情をしていたのだろう、ユダが訝しげに声をかけてきた。
シンの撮影の時には必ずユダが付き添っている。
本来ならばマネージャーのレイが同行するだけで十分の仕事でも、常にユダは一緒に行動してくれて、進行状況やシンの体調を細かく気遣ってくれる。
決して暇ではない――むしろ寝る時間すらない程に多忙であろうユダが毎回立ち会ってくれることは正直嬉しいが、その反面ユダの負担になっているかと思えば申し訳ない。
何度かその旨を伝えたのだが、その度にそれも自分の仕事の一貫だと言われてしまえばシンはそれ以上何か言えるはずもなく、デザイナーはスチール撮影にも立ち会うのが普通なのかと思ったほどだ。
すぐにスタッフから普通は立ち会うことはないと言われて打ち消したのだが。

だが、正直な気持ちを言えばユダが傍にいてくれるのは心強い。
客観的に判断するまでもなく、素人であるシンが上手く微笑えているのは、間違いなくユダの存在があってのことだ。
撮影の邪魔にならないように、だけどシンの視界から決して消えることのないユダの姿。
戸惑うたびに小さく微笑まれ、温かい言葉をかけてくれるたびに、シンの身体は緊張から解されていく。
常にカメラマンの後ろにいる彼を意識することは、そのままカメラを意識することになって。
結果としていい表情が撮れるのだろう。

だが…。
普通ならしないであろう撮影の同行は、人見知りが激しい自分のためなのだろうか。
それとも本当に言葉の通り、撮影の進行状況が気になるだけなのだろうか。

シンにはわからなかった。







   ◇◆◇   ◇◆◇





「そう言えば、シンこれを読みましたか? 今月号の『vogue』なんですが」

撮影終了後にレイから差し出されたのは、先日発売したばかりの女性向け雑誌だった。

「いえ、まだ…」

無類の読書家であるシンだが、さすがに購読者の9割を女性が占める雑誌まではその範疇ではなく、況してや今発売しているファッショ誌には必ずと言っていいほど自分の写真や記事があるものだから、気恥ずかしさから正直手に取ってみたこともなかった。
シンが首を振るとレイはやっぱりと納得した様子でパラパラとページをめくる。

「えぇと、確かこのへんに…あった。ほら、シン。これ見てください」
「何ですか…って、これ…ユダ?!」

レイが指差したのは、インタビュー記事だった。
誰かとの対談らしい。
雑誌でコーナーを持っているということはそれなりに名の知れた人物なのだろう。
実際シンもテレビで見たことがあるような気がする。
だがシンは呆れるほど世間に疎く、その人物の名前までは知らない。
対談の相手はユダだった。

「多分読んでいないと思って持ってきたんです。どうぞ、読んでみてください。シンのことが書いてありますよ」

はい、と渡された以上受け取らないわけにはいかなくて、シンはそれに目を通した。
読み進めていくうちに真っ赤になっていくシンを見て、レイは微笑う。
シンの反応が予想通りなのが嬉しくて、そして相変わらず純真なシンが可愛くて。

「どうです? 熱烈な愛の告白みたいじゃないですか?」
「レ…レイっ!」

対談の内容はごく普通だった。
今回のパリコレへの意気込みやモデルとの出会い、ファッションに対する情熱など、世界へ進出しようとしているデザイナーらしい熱意を感じさせる内容だ。
だが、事情を知る者だけがわかるユダの真意がそこには込められていて、レイは即座にそれを読み取った。
シンとの出会いを運命と呼び、その存在をかけがえのないものだと公言するユダ。
モデルのシンを『女神』と呼び、彼女こそ自分の理想とまで言い切っている。
表面上は理想のモデルに出会えた喜びを伝えているようだが、ユダがモデルとして以上にシンのことを気に入っているのは周知の事実。
レイやルカは勿論、スタッフやカメラマンですら知っていることだ。
気づいていないのは当の本人だけだろう。
ユダ自身自分の感情を隠すつもりはないのだろうし、だからこそ多忙な中でも撮影に同行しているのだろう。
シンに雑誌の取材が多数入ってきているのにも関わらずそれらをすべて蹴っているのは、シンが拒んでいることも勿論ながら実際はユダがシンを表舞台に出したくないからなのではないかとレイは思っている。
ユダがシンに向ける熱い視線はモデルに対するそれではない。
シンがユダに対して特別な感情を抱いているのは一目瞭然だし、聡いユダが気づかないはずがない。
ユダはモデルには手を出さないとルカから聞いたことがあるから、もしかしたら契約が切れるのを待っているのではないかと思ったのだが、この対談を読んでしまえばそういうつもりではないのだろうと認識を改めさせられる。
ではユダはどうしてシンに想いを伝えないのだろうと思いながらシンへと視線を移すと、そこにはレイの言葉にうろたえる姿。

あぁ、成る程そうか。

その瞬間、ユダの気持ちがすとんと理解できてしまったのはさすがというか何というか、やはり幼馴染としてシンのことを誰よりも理解できていると自負しているからであろう。
真っ赤になって興奮か羞恥か目を潤ませながらわたわたおろおろしている姿を見て、これでは確かに口説くも何もあったものではないだろうと納得する。
純真なのはシンの美徳で、謙虚なのも奥ゆかしいのもシンらしくて可愛いと思う。
が、まさかここまでとはさすがのレイも思っていなかった。
確かに対談の内容はユダが手放しでモデルであるシンを褒めちぎっているし、彼女こそ自分の理想だと公言している。
誰よりも大切な存在だと、愛しいと思っている相手から直接じゃなくても告げられて嬉しくないことがあろうか。

「レ…レイ…、どうしましょう…私…わたし…」
「シン、大丈夫ですから落ち着いてください」

軽くパニックになっているシンの手をゆっくりと握りこんで、レイは微笑する。
シンは万事において控え目で、それは恋愛においても同様だった。
己の感情を相手にぶつけることを良しとせず、常に謙虚、控え目。
勿論相手から好意を向けてもらおうとは思わず、それはまるで無償の愛情そのものだ。
見返りを求めない愛は素晴らしいとは思うけれど、シンはもう少し欲張ってもいいのだとレイは常々思っていた。
おそらくシンはユダの気持ちには気づいていなかったから多分驚くだろうなくらいにしか思っていなかったのだが、ここまで初心な反応をしてくれると可愛いとは思うものの少々可哀相に思えてしまいつい慰めたくなってしまう。
だけど、多分それは自分の役目ではない。
開かれた扉の先にいる人物を認めて、レイは小さく笑った。
本当は親友を取られてしまうようで面白くはないけれど、仕方ない。
レイはシンが大好きだし、シンにはいつも笑顔でいたいと思うから。
うろたえるシンを落ち着かせるように――または目の前の人物に見せ付けるように、シンの額に口付けを落として、レイは部屋を後にした。


  • 09.01.10