そこは偶然入った店だった。
特に馴染みの店だったわけではない。
幾多ある店の中からそこに決めたのは、その店の看板が偶然目についただけだ。
どこかレトロな感じのする木製の扉をくぐると、店内は想像していたよりも広かった。
カウンターとテーブル席が20程度だろうか。
客層は20代〜30代、仕事帰りのサラリーマンが多い。
女性よりも男性が多いのは、おそらくここが居心地のいい店なのだろう。
騒々しい様子は見られず、各々店内の雰囲気を楽しみつつ静かに会話を交わしているようだった。
店員の対応も良く、偶然入ったにしては当たりかもしれないと思いながら、ユダはカウンターではなく奥のテーブル席に腰を下ろした。
店内を一望できるが飾られている観葉植物のお陰で自分の姿は周囲から隠れる、静かに飲みたい自分には格好の場所だ。
更に薄暗い店内では、自分の姿はほとんど分からないだろう。
ユダは自分の容姿が他人の目を惹く事を十分に理解していた。
1人で飲んでいればほぼ間違いなく麗しい女性から声がかかる。
普段ならばそれなりの対応をするのだが、今日はそういう気分ではない。
むしろ店内に入った途端窺うように向けられた視線を鋭い眼差し1つで追い払い、ユダはバーボンのダブルを注文した。
周囲からの視線を感じなくなって初めて、ユダは小さく息をついた。
疲れた。
忙しいのは慣れているはずだが、さすがに物には限度がある。
新進気鋭の2人組デザイナーとして華々しくデビューしたのが3年前。
洗練されたデザインと素材にこだわった服は男女問わず人気が高く、デビューしてわずかだというのにユダの名前は業界でも一躍有名となった。
デザインも然ることながらデザイナーであるユダとルカがモデルも裸足で逃げ出すほどの美形だからマスコミからの注目も高く、結果としてユダのブランドは業界でもトップクラスの売り上げを記録している。
それが嫌だというわけではない。
ただ、ユダの外見のお陰でブランドの売り上げが伸びていると揶揄されれば面白くないのは当然のこと。
そのため次回のショーは何としても成功させなければならなかった。
ユダの人気ではなく、真実デザインを認めてもらうために。
そのために必要なのが、モデルだ。
ただのモデルでは駄目だ。
ユダのデザインした服を完璧に着こなすことのできる女性がどうしても必要なのだ。
ユダの服は繊細で着る人を選ぶ。
一流のモデルであっても、ユダの理想通りに服を着こなすことの出来る人物は数少ない。
唯一モデルとして見つけた女性は、数年前から別のデザイナーと専属契約を結んでいるため新たにモデルを探す必要があった。
書類選考に費やした時間が1週間、面接に費やした時間が3日。
数百名の写真を見て、数十人のモデルと会い、それでも見つからなかった。
一流と言われるショーモデルは勿論、今回は新人やスチールモデルも候補に入れてみたがそれでも該当者はゼロ。
他に手立てもなければ、さすがのユダも途方に暮れるというものだ。
ルカには少し妥協をしろといわれているが、それでもどうしても譲ることができない部分はある。
欲しいのは芯の強さ。
他人に媚びを売らず、肉感的でもない、瞳に知的な光を宿す女性。
そして柔らかく包み込む穏やかな雰囲気の持ち主。
ユダが探しているのはそんな女性なのだ。
今回のショーが成功するか否かは、偏にモデルの女性にかかっている。
だから妥協できない。
自ら立ち上げたブランドはそれなりの評価を得ていたが、急激な成長を遂げたせいで他のデザイナーから恨みを買わなかったと言えば嘘になる。
何度となく嫌がらせを受けたこともあったし、進退に影響するような危機を迎えたこともあった。
そのたびにルカとともに危機を乗り越えてきたのだ。
すべては確固とした地位を築くために。
今回のショーを成功させれば、ユダのブランドは世界的に名が知れることになる。
小さな嫌がらせなどに揺らがないだけの地盤を築くことができるのだ。
だからこそ失敗できないのに、肝心のモデルが見つからないのでは話にならない。
数ヶ月に及ぶ慢性的な睡眠不足に加え、目の前につきつけられた現実。
期日が迫ってくるというのにそれらの解決策が見つからないのだから、さすがのユダでも弱気になるのは無理はない。
今回の服をデザインするに当たって、ユダは特定のモデルを作らなかった。
強いて言うならばユダが求める女性がモデルかもしれない。
イメージするならば、風。
自己主張が少なく控え目で、だが何者をも包み込む包容力があり、弱く見えるが強い。
躍動感よりも穏やかな存在感。
そんなイメージで作られたから、個性の強い外人モデルでは服のイメージを殺してしまうのだ。
実際に服を着るのはモデルではなく、一般の女性だ。
だからこそ普通をイメージしてデザインしたのだが、ルカに言わせるとそのイメージこそが普通ではないらしい。
だが出来上がったデザインはルカですら太鼓判を押す出来で。
今更デザインを変更するわけにいかないし、ユダ自身そのつもりは最初からない。
どうしたものかと小さくため息をつけば、カランという音がして店の扉が開かれた。
新しい客かと何となしに目をやり、そして硬直した。
「っ?!」
どこか所在なげに店内に入ってきた若い女性。
長い水色の髪、白い肌。
白地にグレーの模様が入っている細身のスーツに黒のハイヒール。
ほっそりとしているが手足は長く、全体のバランスはよい。
「…見つけた…」
理想の女性が目の前にいた。
彼女の着ているスーツは遠目でもわかる、ユダがデザインしたスーツだ。
まだ今ほど知名度が上がる前、小さな店舗で自分のブランドを立ち上げた時に作った初期の作品。
全ての服は自分にとって子供も同然だが、その中でも初期のデザインは殊更愛着がある。
襟元は大胆に開いていて胸元が強調されるデザインになっているが、そこにはスカーフが巻かれ目立たないようになっている。
センスの良さは中々だ。
何よりも着こなすことが難しいといわれるユダのスーツを難なく着こなしているのだから、彼女のセンスは素晴らしいと言えるだろう。
おそらく彼女ならユダがデザインしたドレスとて軽く着こなせるはずだ。
初めて見つけた理想の女性。
着こなしや身体のバランスは何より、その外見こそがユダが捜し求めていた理想そのものだった。
凛としていながらも清楚で品があり、歩く姿も控え目でありながら自然と目が惹きつけられる。
そこだけまるで清浄な空気が流れているかのような存在感。
決して派手ではないけれど無視できない吸引力がある。
文句なしの美女だ。
だがその美女は自分の魅力に気づいていないようで、店に入るなり集中している視線には一切気づいていない。
カウンターに座った彼女の前に差し出されたのはロンググラスのカクテル。
口をつけて、秀麗な眉がわずかに潜められる。
そんな幼い仕草が妙に可愛らしくて、ユダは自然と笑みが浮かぶのを止められない。
影から見て笑うなんて不審者もいいところだが、どうせ相手には見えていないのだから構うまい。
声をかけるのは簡単だ。
だが、どうしてだろう。
1人でいるその姿をもう少しだけ眺めていたいと思ってしまうのだ。
見た目は完璧な美女。
だが中身はどうやら外見ほど成熟していないようで、彷徨う視線や軽く握られて膝の上に置かれている手元など、端々に子供っぽさが見え隠れしている。
この場所からは彼女の顔がはっきりとは見えないのが残念だが、どうも物慣れない彼女に急に近づいて警戒させるのも得策ではない。
タイミングが重要だ。
さてどうやって声をかけようかとタイミングを窺っていると、近くのテーブル席に座っていたサラリーマンらしき2人の男性が美女に声をかけた。
軽く首を振って拒否を伝える。相手の顔が一瞬で赤く染まったところを見ると笑いかけでもしたのだろうか。
やはり慣れていないとユダは判断する。
相手は酒の入った男だ。気持ちも多少大きくなっている。
その証拠に相手は立ち去る気配など見せずに、馴れ馴れしく隣の席に腰をかけた。
困ったように腰を浮かせても逃げる場所などなく、困ったように眉が顰められた。
男たちの気持ちもわからなくはない。
だが、やり方が悪い――徹底的に。
まあお陰で話しかける格好のタイミングを手に入れたので感謝はするけれど。
ユダはひっそりと笑んで席を立った。
ゆっくりと歩く。存在を相手に知らせるように。
平均よりも高い身長はそれだけで相手を威嚇するには十分だ。
そして自らの容姿が女性ならば目を奪われ、男性ならば威圧される外見だということもユダにはよくわかっていた。
それを有効に活用して、ユダは瞳を細めて2人の男を一瞥する。
「俺の連れに何か用か?」
◇◆◇ ◇◆◇
「で、ナンパしたというわけか」
「人聞きの悪い。運命の出会いを果たしたと言ってくれ」
ルカの皮肉にしれっと悪びれない調子で答えるのはユダ。
ルカの勤務する会社の社長であり、業界でも有名な若手デザイナーでもある。
ユダと同じくデザイナーという肩書きを持っていても、実質的にルカはユダの部下になるのだが、何せユダとルカの付き合いは物心がつく前から。
俗に言う幼馴染という関係だが、幼馴染と呼ぶよりも兄弟、もしくは相棒と言ったほうがしっくりくるほど親密な間柄だから遠慮など端からない。
ユダの言葉を素直に信じるつもりは毛頭ないのだ。
モデル顔負けの美貌を持つユダだ。
大抵の女はユダに見つめられるだけで落ちる。
尤もユダが求めているのは理想のモデルなのだから手を出したということはないだろうが、それでも正攻法でモデルとして口説き落としたとは思えない。
モデルを決めるのにユダと自分がどれだけ苦労していたか、それを考えれば理想通りのモデルが見つかったのは実際喜ばしいことだ。
だがこの浮かれ具合は、本当にモデルが見つかったことだけだろうか。
「…手を出すなよ」
「当たり前だろう」
過去を顧みればユダがモデルに手を出した例はない。
だが、今回ばかりはユダの言葉が信じられそうになかった。
受付からの電話でルカの不安は確信へと変わるのだが、それはほんの少し後のことだった。
- 08.12.09