リョーマが病室に入ると、は窓際の椅子に座っていた。
窓から見える景色を眺めているように見えるが、当然には見えるはずがない。
時折頬を撫でる風が気持ちいいのか、は口元に笑みを浮かべていた。
髪がなびいてその表情に影を落として、大人っぽく感じるその表情に思わずどきっとする。
病室から外に出ることのないは、部活をしていた頃に比べて驚くほど色が白い。
動き回ることもほとんどないため、筋力も落ちてしまっているのだろう。
病的とは言えないまでも、その身体は以前よりもほっそりとしている。
触れたら消えてしまいそうな儚い雰囲気を身につけてしまった先輩に驚くと共に、その横顔に見とれた。
の事故を知ったとき、最初は信じられなかった。
交通事故など誰もが起こりうることだ。
だが、まさか自分の知り合いがそんな目に遭うとは思っていなかった。
現場を目撃していた大石から状況を聞いたが、聞けば聞くほど信じられない。
生命に別状はないと告げられて胸を撫で下ろしたものの、が失明したと知らされそして……。
は失明の事実をあっさりと受け止めた。
ショックを受けていないはずはないのに、それでも皆の前では明るかった。
だがそれが強がりであることくらい、リョーマにもわかっている。
本当はつらいだろうに、無理に明るく振舞う。
まるでリョーマでは悩みを相談するに値しないと言われているようで、それがひどく悲しい。
が弱味を見せようとしない限り、リョーマには慰めの言葉をかけることができない。
ならば自分は普通に振舞うしかないのだ。
今まで通りの生意気な下級生の姿での前に現れるしか、リョーマにはできない。
リョーマは足音を忍ばせて病室に入った。
普段ならすぐに気づかれてしまうのだが、考え事をしているのだろうか、が気づく気配はない。
そのまま背後に忍び寄りに抱きついた。
怪我の回復は順調だとは聞いていたが、それでも完全に治っていない肋骨を圧迫しないように、凭れ掛かるというよりは軽く寄り添うように、背後からの首筋にそっと両手を回す。
「誰?」
静かな声が問いかける。
特に驚いた様子もないのに少々むっとしながら、でもいつまでも黙っているわけにもいかず、しばらくしてリョーマは答えた。
「…俺っす」
聞きなれた声に、がわずかに振り返る。
「なんだリョーマか。びっくりした」
「…あんまりしてないように見えるんすけど」
「そんなことないよ」
そう言っては笑った。
その笑顔は、今までのような天真爛漫なものではない。
穏やかなその笑顔は、どことなく不二に似ている。
仲がいいと笑い方まで似てくるのだろうか。
不二になら、もしかして弱みを見せるのだろうかなどと考えて、リョーマは苦笑する。
他人と自分を比較するなんて、愚かなことだ。
特にはテニス部の中では不二に対して特に心を開いているようなところがあった。
3年間同じクラス。しかも同じ部活。
聞けば家も近所で子供の頃から親しかったと言う。
ただの後輩である自分と比べること自体間違っている。
そうわかっていても、それでも無力な自分が悔しい。
リョーマはの首に顔をうずめた。
「? どうしたの、リョーマ」
「…甘え中」
「へんなの」
は苦笑しつつ、自分の身体を抱きしめている腕にそっと自分の手を添えた。
その白い手と、以前よりも格段に細くなった肩に、内心驚きを隠せない。
「…先輩、やせましたね」
「そうかな? 病院の御飯がおいしくないからかも」
「…それ関係あるんすか?」
「大有り。薄味の料理しか出ないし、本当に美味しくないんだよ。しかも量少ないし。見舞いの食べ物がないと、お腹減って眠れないんだから」
「あっそ」
「筋力も落ちてきたし、そろそろリハビリセンター通おうかな」
「このままでもいいっすよ。ほっそりしててかわいいし」
「リョーマ君も不二と同じこと言うんだな」
「不二先輩…?」
リョーマは不思議そうに聞き返した。
は頷いた。
「そ。いっつも人のことからかうしさ。この間だってさ、今なら簡単に抱き上げられるよねとか言われたし」
言葉にしたらその時のことを思い出したのか、が口を尖らせる。
小柄だと言われる不二より背の低いである。
成長期の少年としては背が低いよりも高い方が良いに決まっている。
童顔もあって性別を間違われることだって多いため、が少しでも男らしくなりたいと思うのは無理ないだろう。
それなのに痩せただの可愛いだの言われるならまだしも、抱き上げられるなんてもってのほかだ。
「せめて不二よりは逞しくなってやる」
屈託のないその表情。明るい口調。
まったく変わらないが…。
何かがおかしい。
足元からぞわりと這い上がってくる何かに、リョーマは小さく身震いした。
「不二が俺を子供扱いするのはいつものことだけどさ。でもね、やっぱり気になるんだよ」
ぶつぶつと文句を言うに、リョーマは違和感を拭えない。
「先輩、…それ、いつのことっすか?」
「ん? この間だよ」
リョーマが問いかけると、はあっさりと答える。
「…不二先輩が?」
「そう」
「え? だって不二先輩は…」
「越前!!」
リョーマが口を開こうとしたとき、桃城が血相を変えて病室に入ってきた。
その声音に呼ばれたリョーマばかりかまでもが驚いた。
いつ来たのだろうか、そこには今まで見たこともないような厳しい表情の桃城がいた。
「…桃先輩……」
桃城はリョーマを鋭い視線で睨んでいる。
「お前なあ……もがっ!」
尚も言葉を続けようとした桃城の口を、後から現れた海堂が塞いだ。
そしてリョーマへと視線を向ける。その口元にそっと人差し指を当てられて、リョーマは海堂の意図を悟った。
「どうしたんだよ桃。大きな声出して。一応病院なんだよここ」
「…あ、すみません先輩。だってリョーマが…」
「リョーマが?」
「え…いや……」
「桃先輩は俺が先輩に抱きついてるのが気に入らないんすよ」
「違っ…!」
「違わねえだろうが。越前を羨ましそうに見ていたくせに」
「あれ、海堂も一緒なんだ。3人セットで仲いいね」
「「どこがっすか!!」」
の言葉に、二人が見事にハモって反論する。
「ほら、息ぴったり」
は楽しそうに笑った。
「それより越前。お前いつまで先輩に抱きついてるつもりだ」
いつまで経っても離れる気配のないリョーマに、海堂が眉間に皺を寄せる。
「別に関係ないじゃん」
リョーマはぷいとそっぽを向き、を抱きしめる腕に力を込める。
「先輩、抱き心地いいんすよ」
「何だそれ。俺は抱き枕じゃないぞ」
が苦笑した。
「いつまでも先輩に抱きついてちゃいけねーな、いけねーよ」
桃城が大きなスライドでリョーマの元まで行き、リョーマの襟首を掴む。
だが、リョーマも負けてない。
の首にしがみついて離れようとしない。
「ほら、離れろよ」
「いやだ」
「は・な・れ・ろ!」
「い・や!」
噛み付いたスッポンのようにから離れないリョーマを離そうとするが、渾身の力で抗われてしまう。
根負けしたのは桃城の方だった。
リョーマが抵抗するということは、抱きついているにも負担がかかってしまうため、力ずくで引き剥がすことができなかったのだ。
結局リョーマは帰る直前までから離れようとしなかった。
も可愛がっている後輩に甘えられて悪い気分はしないのだろう。
そんなリョーマを咎めることはなく、むしろしがみつくようににくっついているリョーマの頭を撫でたりしていた。
開いた窓から一陣の風が吹き、の髪を揺らした。
季節が夏から秋へと変わったと言っても、まだまだ残暑は厳しい。
夕方になればようやく陽射しも和らぎ、過ごしやすくなる。
移り行く季節を視覚で捉えることはできなくなったが、それでも肌で感じる空気はに季節を感じさせてくれる。
「風が気持ちいいね」
「そっすね。でも、そろそろ寒くなってきますね」
「もう秋だね」
ぽつり、とがもらした。
9月ももうすぐ終わる。
「先輩、どうなるのかな…」
病室の窓を見上げ、リョーマは呟いた。
「何が?」
急に立ち止まったリョーマを、桃城が怪訝そうに振り返った。
「だって、知らないんでしょ」
何が、とは言わない。
言わなくても桃城も海堂もわかっている。
以外の誰もが知っている事実だ。
「…俺たちが口出しすることじゃない」
「海堂先輩…」
「これは先輩の問題だ。俺たちがどうこう言っても何にもならない。むしろ混乱するだけだ」
「……」
「俺たちは口出しできる立場じゃない」
きっぱりとそう言い切った。
- 10.04.23