怪我の回復は医者が感心するほど良好だったは、数週間もすると病院のベッドから動くこともできるようになっていた。
だが、新学期が始まってもが学校に姿を見せることはなかった。
は車と衝突した際に、両目の視力を失っていたのだ。
割れたフロントガラスが角膜を傷つけてしまい、視力の回復は見込めなかった。
角膜を移植しない限り、の視力が戻ることはない。
医者から告知されたとき、はそれをどこか他人事のように聞いていた。
いつまでたっても外れることのない包帯に、もしかしたらという予感があったのかもしれない。
事故に会う直前に見た、驚愕に目を見開いた不二の姿。
それがが見た最後の光景となった。
「具合はどうだい?」
「退屈」
病室にやってきた大石の言葉に、は短く答える。
病室には河村の姿。
学校を出る時間はほぼ同じだったが、寄り道をしていた自分よりも崎に到着していたらしい。
思ったよりも元気なの様子に、大石が苦笑する。
「、林檎が剥けたよ」
「ありがとタカさん」
綺麗にカットされた林檎は、のリクエストでウサギ型だ。
は見えないのに律儀にリクエストに答えてくれる河村の気持ちが嬉しい。
軽く口を開けると歯にリンゴが当たる。
しゃり、という歯ごたえと口中に広がる甘い香りに、の口元がふんわりと綻んだ。
「やっぱ、あれだよね。お見舞いの定番は林檎だよね」
もぐもぐと口を動かしながら、はそう言う。
病院食に辟易しているだろうと河村は予想していた。
は特別好き嫌いはないが、味も素っ気もない病院食が続けば、さすがに他のものが食べたくなっても無理はない。
何がいいだろうかと悩んだのだが、やはりここは定番の果物にしてみたのだが、大正解だったようだ。
おいしそうに食べるの明るい様子に、大石と河村は知らず笑みを浮かべた。
視力を失うということがどれほどつらいか、2人には想像するしかない。
自分がもし同じ境遇にあったとしたらと考えると、果たして今ののように明るくしていられるだろうか。
が失明したという事実は、青学でも大きな話題になった。
何しろ青学テニス部は学校内外でも有名である。
そこの敏腕マネージャーともなればやはり注目を浴びるし、はさばさばとした性格だったものだから学校内でも人気が高かった。
『高校に行ってもマネージャーをやってほしい』
誰ともなく言い出した台詞にが仕方ないなぁと言いながらも、笑顔で頷いたのはつい先日のこと。
だが、それが叶うことはない。
突然の交通事故による失明。
肩が壊れたわけでもない。足が動かなくなったわけでもない。
だが、その瞳が何かを映すことは二度とないのだ。
の心境を考えると、無理に元気づけることもできず、かと言って何事もなかったかのように振舞うことなどできるはずもない。
病室の前で、しばらく動けなかった。
この扉を開けて、もしが泣いていたらどうしたらいいのか。
声をかけて、拒絶されたらどうすればいいか。
にどんな声をかければいいのだろうか。
考え始めたら、手が震えて扉を開けられなかった。
どれだけの時間、そこに佇んでいたのかわからない。
勇気を振り絞って病室に足を踏み入れてみると、自分の予想に反しては明るかった。
『目が見えなくても、俺は俺』
そう言って笑ったの強さに救われた。
この笑顔が曇らないないように。
大石は強く願った。
病室は2人部屋だったが、現在同室者はいない。
多感な時期に視力を失ったが、大部屋で無遠慮な視線に晒されることを憂慮して家族が個室を希望したのだ。
あいにく個室に空きがなかったために、2人部屋を個室として使用している。
時間が許す限り、テニス部のメンバーは見舞いに訪れた。
話すことは新体制のテニス部での練習風景や、学校で起こった他愛のないことばかりだ。
彼らは決して事故について触れようとしない。
としてもあのときの恐怖は思い出したくないので、彼らの好意はありがたかった。
頻繁に姿を見せてくれるのは、練習が忙しいはずの桃城と海堂、それとリョーマだった。
色々気を遣う海堂に対して、桃城やリョーマの態度は普段通りで、部活後にやってくる彼らは滞在する時間こそ短いものの、ほぼ毎日姿を見せてくれる。
他のメンバーも受験があるというのに時間を作っては頻繁に見舞いに訪れてくれる。
大勢で話していると、自分の置かれている状況を忘れて楽しめた。
たとえ目が見えなくなっても、友情は変わらない。
それが、すごく嬉しかった。
- 10.04.23