その知らせを聞いたのは、病院のベッドの上だった。
目を覚ました時視界に広がった天井で、勝負の結果がわかってしまった。
自分のテニス人生の中で最も過酷な試合だったと思う。
悔しいと思わないわけではないが、それ以上にあのチビの根性に感心した。
触れた先に今までの髪の感触はない。
全力を出し尽くした結果だ。
結果を受け止めないほど餓鬼じゃないし、自分の言葉に責任を持てない愚者でもない。
だが、は俺を許さないだろう。
テニスに対してあくまでも真摯で潔癖なあいつだから。
見下ろしてくる中からの顔を探しても、やはりそこにはいない。
「…あいつは?」
試合に挑んだ俺をは止めなかった。
それは俺の言葉に賛同したからではないことくらいわかっていた。
多分、が本気で止めればあんなくだらない賭けはやめただろう。俺もあいつも。
試合開始まで制止の声がなかったのは何故か、その理由は知らない。
ただ、の泣きそうな顔が頭から離れなかった。
それを負けた理由にするつもりはないが。
「電話してくる言うて席を離れただけや。さっきまで泣きそうな顔してはったんやで」
「…そうか」
「その前は無表情で怒ってた。俺はあないに恐ろしいを見たのは初めてや」
「恐ろしい?」
およそとは不釣合いな言葉に眉を顰めれば、心なしか顔色の悪い宍戸が言葉を続けた。
「全国大会が終わったら、は青学のルーキーと本気で対決することになった」
「なんだと?!」
「『神』の実力を見せると言っていた。あいつが、本気になった」
今までどれだけ挑発されても懇願されても決して見せることのなかったが、本気で対決するというのか。
「…が、あのチビを認めたってことなのか…」
俺ですら見たことのないの全貌。
あいつにはそれに見合うだけの実力があると判断したのだろうか。俺ではなく。
「それは違う」
「萩ノ介?」
「は越前に対して本気で怒ったんだ。多分、跡部に対してもだと思うけど。そして何よりも自分自身に」
萩ノ介はどこか痛そうな表情をしていた。
それをさせているのは俺なのか、なのか。
「今回の君はとても愚かだったね、跡部。わかってるはずだよ。はテニスに関してとても真剣だ。君達の勝負は、内容はどうあれの逆鱗に触れた」
わかっていたことだが、実際突きつけられるとこんなにも痛みを伴うのか。
を怒らせた。そして、を傷つけた。
「シングルス1にならないと言ったのは、確かにだ。だから2人がどんな賭けをしようが止める権利はない。だからは自分が許せない。越前がどれだけとの勝負を望んでいるか知っていて、敢えてそれを避けたにはね。だから今、は自分を責めてる。これ以上ないくらいに」
「俺は…」
「うん、跡部はそこまで考えていなかったはずだ。勿論越前も。だけどには関係ない。がシングルス1を務めれば跡部が今回のような目に会うことはなかったはずだから、多分が許せないのはそれなんだと思う」
形のいい指が伸ばされた先は俺の頭。
別に俺は男だから髪が短くなったくらい大した問題じゃない。
だが、萩ノ介が言いたいのはそういうことじゃないんだろう。
俺の行動がを傷つけた。多分、俺が想像しているよりも深く。
「まあとにかく跡部の行動に呆れてはいると思うけど安心していいよ。多分すごく心臓には悪いけど、跡部のことを怒ってるわけじゃないから」
「はあ?」
心臓に悪いってどういう意味だ?
「…僕はあんなを見たのは初めてだけど、出来るなら一生見たくなかったかな」
「俺も」
「同感」
「ウス」
いやな予感がするのは気のせいじゃない。
ほんの3年弱の付き合いだが、とは毎日一緒にいると言っていいほど深い付き合いだ。
その間が怒ったことがないわけではない。
確かに温厚で滅多に怒らないだが、それでも一度や二度は本気の怒りに触れたことがある。
…あまり思い出したくないことだが。
多分、今回はそれよりも数段深い怒りなのだろう。
「会いたくないな…」
そう思ってしまうのは無理ないだろう。
自業自得とはよく言ったものだ。
「自業自得だよ」
萩ノ介が止めをさしてくれた。
◇◆◇◇◆◇
「気が付いたんだ」
部屋に戻ってきたは普通の顔をしていた。
少なくとも表面上は。
だが決して俺の顔を見ようとしない様子は普通とは呼べない。
気を利かせたのか被害が及ぶのを恐れたのか、忍足達はが戻るとすぐに部屋を出て行った。
「脳波には異常がなかったけど、一応念のため今日は入院だってさ。綾子さん怒ってたよ」
「…あぁ」
「食事制限はないから食べたいものは好きに食べていいっていうから、帝国ホテルの和食を手配したけどいいよね」
「あぁ」
「それじゃあ、僕は帰るから」
「」
「……何?」
固い声。けれどそれは怒りを含むものではない。
決して目を合わせようとしないのは怒りではないということがわかる。
忘れていた。
は誰よりも潔癖で、誰よりも純粋だ。
目の前で誰かが傷つくことをひどく嫌う。
誰よりも脆く、それ故に強い。
の弱さを、見誤っていた。
「…悪かった」
「……」
「お前を傷つけるつもりじゃなかった。勿論ふざけていたわけでもない。だが、結果としてお前を傷つけた。すまない」
「………馬鹿だよ景吾」
「そうだな」
「何で僕に謝るの?」
「俺の迂闊な行動がお前を傷つけた」
「…別に僕に謝ることじゃない。選んだのは君だよ」
「……最低だな」
「そうだね」
「…」
振り返った顔はやはりどこかつらそうだが、想像していた程には悲痛な影はなかった。
の手が俺の髪に触れる。
短くなってしまった髪を手で弄びながら、は笑う。
「でも僕は嫌いじゃないよ。尊大で自信家で、でも誰よりも努力家で。プライドが高くて妥協を許さなくて、我儘で傲慢で意地っぱりだけど、僕はそんな景吾が大好きだよ」
告げられた言葉に、重く沈んでいた心が軽くなるのを感じた。
俺も大概単純なものだ。
- 07.05.23